1: 名無しさん 2018/09/23(日)10:30:56 ID:83a

※地の文の話です。

 一部キャラ崩壊してます。

引用元: ・【バンドリ】蘭とモカがキャッチボールする話

2: 名無しさん 2018/09/23(日)10:31:49 ID:83a

 季節は秋で、秋霖の合間を縫うような、空気の澄んだ晴れの日だった。

「……え、なに?」

 そんな金曜日の羽丘女子学園の教室で、あたしは幼馴染のモカに言われた言葉が上手く頭の中に入ってこなくて、そう聞き返す。

「だからキャッチボールだよ、蘭~」

「…………」

 間延びした声が鼓膜を打つ。

 なるほど、キャッチボール。野球のグローブを付けて、ボールを投げ合うというよくある遊びだ。うん、やっぱりあたしの聞き間違いじゃなかったんだ。

 それはいいけど、とりあえず。

「……なんで?」

「んー、なんとなく?」

「はぁ……そう」

 理由を聞いてみたけど、思った通りの言葉が返ってきた。多分、スポーツ漫画か青春漫画でも読んでやってみたくなったんだろう。モカのことだから。

3: 名無しさん 2018/09/23(日)10:32:50 ID:83a

 そう思いつつ、窓の外へチラリと視線を送る。

 秋口の清涼な空は西へ傾き始めた太陽に赤っぽく染められはじめていた。まだ夜の帳が落ちるには時間があるだろう。

 視線を校庭の方へ移す。

“男心と秋の空”とはよく言う諺だ。それぞれの運動部が、移り気な想い人の気持ちを引き留めるように、この貴重な機会を逃すものかと清秋の空気に青春の汗を流していた。

「……巴を誘えば?」

 秋の空気は好きだし、その中で体を動かすのはさぞかし気持ちのいいことだろう。

 そう思うけれど、あたしの口からはそんな言葉が出る。散歩くらいならいくらでも付き合うけど、正直大きく身体を動かすようなことはあんまりしたくなかった。

4: 名無しさん 2018/09/23(日)10:33:29 ID:83a

「トモちんは今日和太鼓の練習だって~」

「ひまりは?」

「ひーちゃんはバイトで食欲の秋~」

「つぐみは……」

「生徒会の仕事~」

「…………」

「蘭はなーんも予定なっしーん、だよね?」

「……まぁ」

 モカはあたしの予定を楽しそうに口にする。

 ……みんなと共有してるスケジュール表、あたしもしっかり更新するようにしたから『華道の集まりが』という逃げ道は使えそうもなかった。

「じゃあ決まり~」

「はぁ……」

 やりたくない、で逃げることも出来るだろうけど、乗り気になっているモカに水を差すようなことを言うのも少し憚れる。

 あたしは観念したようにため息を吐いて、「ほらほら、行こー」と手を引くモカに大人しくついて行くのだった。


5: 名無しさん 2018/09/23(日)10:34:32 ID:83a



 校庭に出ると、モカはサッとソフトボール部の友達のところへ行って、グローブ二つとボールを借りてきた。そんな簡単に借りれるものなの、と聞いたら「これは学校の備品だからいくらでも使っていいんだってー」と返ってきた。

「はい、こっちが蘭~」

「ん」

 差し出されたグローブを受け取り、左手に茶色のそれをはめる。生まれて初めて付けたけど、サイズは大きいのに窮屈な手袋を付けたような、変な感覚がする。

「ふっふっふ~、モカちゃんはしっかり漫画で予習してきたからね。上手い人は人差し指をグローブから出すんだよ~」

「え、指を出すって……」

「ほらー、指の付け根のとこに穴が開いてるでしょ? そこから人差し指をグローブの上に出して付けるんだって。そうするとボール捕った時に指が痛くならないし、しっかり捕りやすくなるー……って漫画に描いてあったよ~」

「ああ、こう」

 モカの言う通りにしてみると、確かにニュース番組なんかで見るプロ野球の選手はそうしている人が多いような気がした。

「他にもコユニとか色々あるらしいんだけどね~」

「こゆに……?」

「おっと、それはまだ蘭には早い情報だよ~。モカちゃんの領域にまで達してから覚えることだねぇ」

「…………」

 いや、絶対にモカも何のことか分かってないでしょ。そうツッコミを入れるべきか少し迷って、話が長くなりそうだからやめておく。

6: 名無しさん 2018/09/23(日)10:35:42 ID:83a

「よーし、それじゃあ早速やってみよー」

「そうだね」

「距離は……まずこれくらい?」

 モカはそう言って、あたしから五歩半ほど離れる。距離にすると大体六メートルくらいだろうか。それくらいならちゃんと投げられそうだった。

「そういえば、ボールはソフトボールじゃないんだね」

「うん。友達の子がね、キャッチボールくらいなら小さい軟式球の方がいいと思うよーって」

「へぇ」

 軟式球というのがどんなものかはよく分からなかったけど、あたしは『R』とロゴの入ったグローブを右手でポンポンと叩きながら相づちを返す。とりあえずソフトボールよりは小さいということだけ分かったし、それでいいだろう。

「ではでは……ピッチャーモカちゃん、第一球、振りかぶってぇ……」

 言いつつ、モカは大きく振りかぶって、様になっているようななっていないような投球フォームを作る。

「投げましたぁ!」

「ちょっ……!」

 一球入魂、とまではいかないにしても、なかなか気合の入った声と共に投じられたボール。それは茜色に染まり始めた空に高く浮かんだ。

 あたしが二メートルくらいジャンプ出来ればそれに届くだろうか。まぁ、そんなことは不可能な訳で。

7: 名無しさん 2018/09/23(日)10:36:32 ID:83a

「あれぇ?」

「こんなの捕れる訳ないでしょっ」

 不思議そうに首を傾げるモカに文句を言いつつ、あたしは呆れながらボールを追うのだった。

「やーめんごめんご。上手くいかないもんだねぇ」

「…………」

 あたしの遥か後方に弾んだボールを回収してから元の位置まで戻ると、モカは悪びれた様子もなく謝ってきた。それに対して目で無言の抗議をする。

「ごめんってば~。そんなに怖い顔しないで、次はちゃんと投げるからさ」

「はぁ……」

 ため息を吐きながら、あたしもボールを投げる。どう投げればいいのか分からないけれど、とりあえずモカの胸の辺りに届くように、と思いながら右腕を振る。

「ほっ、と」

 だけど、ボールは胸の高さではなく膝の辺りに力なく飛んでいった。モカはそれを難なくキャッチする。ぽす、と情けない音がグローブから鳴った。

「さっすが蘭、ちゃんと捕れる球だね~」

「……まぁ」

 モカはそう言うけど、自分の思った通りに投げられなかったのが少しだけ悔しかった。

8: 名無しさん 2018/09/23(日)10:37:25 ID:83a

「それじゃあ次はしっかり投げられるように……えーっと、肘を耳の高さまで上げて……」

 モカはボールを持った右手を高く空へ突き上げる。

「そこから肘を曲げて、頭の後ろくらいにボールを持ってきて……あ、そうだ。グローブは相手の方に突き出さないと、だったね~」

 漫画で得た知識だろうか。一つ一つの動作を確認しながらフォームを作っていく。あたしもそれを参考にしてみようと思い、モカの動きをまじまじ見つめる。

「あとは、身体の回転? で……えいやぁ!」

「ちょ、だから……!」

 先ほどのように気合と共に投げられたボール。さっきよりもマシだけど、やっぱりそれは一球目と同じようにあたしの頭上を超えていった。

「ありり~?」

「モカっ」

「いやいや、ほんとわるいっすな」

 そしてまたも悪びれた様子のないモカの謝罪を聞きながら、あたしはボールを追いかけることになるのだった。

9: 名無しさん 2018/09/23(日)10:38:11 ID:83a

「はぁ、はぁ……」

 駆け足でボールを回収して再びモカに向き合う。どうしてだろう、まだ一回しか投げてないのにもう息が上がりかけている。

「ホント、どうしてだろうね、モカ……」

「えーっと……いい準備運動になったんじゃないかなぁ?」

「…………」

「本当にごめんってぇ。わざとじゃないんだよー、だからそんな睨まないで~」

「はぁー……まぁいいよ」

 大きく息を吐いてから、あたしはさっきのモカのフォームを参考にしつつ、ボールを投じる。

 半身でモカに伸ばした左手のグローブをキュッと胸に引き込むと、その動きに合わせて身体が正面を向く。その回転と連動して右の肘が頭の横を通り、遅れて右の掌がそれに追随して、ボールを放つ。

 ――ぱんっ。

 思った以上にスッとモカの胸元に伸びていったそれがグローブに収まって小気味のいい音を立てた。

10: 名無しさん 2018/09/23(日)10:39:00 ID:83a

「おー、ナイスボール。蘭ってばもしかして天才?」

「え、いや……偶然だと思うけど」

「モカちゃんも負けてられないな~。よーっし……」

 なんて気合を入れながら、モカは右肩をぐるぐると回す。その姿を見てあたしは慌ててモカを制止する。

「待って。その調子で行くとまた絶対捕れない球がくるから」

「いやいや、三度目の正直って言うし?」

「絶対、二度あることは三度ある、になるでしょ」

「そこはモカちゃんを信頼してね?」

「無理」

「まぁまぁ。信じることはタダだよ。そいや~」

 そんな押し問答じみたことをしながら、今度は力を抜いたモカがふわりとボールを投げた。それはゆったりとした山なりの軌道であたしに届き、お腹の前あたりへ差し出したグローブにすっぽりと収まった。

「ほら~。モカちゃん、やれば出来る子なんだよ~?」

「……そうだね」

 なんかモカらしいボールだな、と思いつつ、あたしはさっきみたいに球を投げ返した。

11: 名無しさん 2018/09/23(日)10:40:13 ID:83a

 そんな風にキャッチボールを繰り返しながら、あたしとモカは他愛のない話をする。

「そういえば蘭~、風邪はもう大丈夫?」

「うん。ライブの時も調子よかったし、まぁ……みんなのおかげ、かな」

「そっかそっか。えへへ~、これもハボンバ様を……あれ、なんだっけ? カボンバだっけ?」

「カボンバって、水草の?」

「んーん、そーじゃなくて……あ、そーだ、ババンボ様だ。ババンボ様を頼ったおかげだねぇ」

「なにそれ」

「……これはある砂漠にいる仮面の部族の話で、掟によって秩序を保つその国の神様がババンボ様なのであった」

「は?」

「かの部族の掟、第40914にこう記されている。『病を患った際はハボンバ様に祈りを捧げるべし』と……」

「……それ、あこが前にやってたゲームの話じゃないの」

「あ、バレた?」

「バレたも何も、そもそも神様の名前が変わってるし」

「えー、ちゃんと名前言ったよ? ハボ……あれ、カボン……えーっと……?」

「ダメじゃん」

12: 名無しさん 2018/09/23(日)10:41:18 ID:83a

「まーまー、細かいことは気になさんな。それよりよくゲームの話だって覚えてたね」

「なんか巴がすごくうるさかったから」

「そーいえばトモちん、異様に主人公に感情移入してたね」

「感情移入っていうか、対抗心燃やしてムキになってただけじゃない、アレは」

「あーそうかも。あのゲームの主人公くん、ものすごーく妹想いだったもんねぇ」

「『アタシだってあこの為ならなんでもしてやらぁ!』……なんて言ってたっけ」

「トモちんってばシスコーン。まーでも、あこちん可愛いから、気持ちは分かるなぁ」

「……まぁ。あたしもあこみたいな妹がいたら、ってちょっと思うかな」

「でもどっちかっていうと蘭は妹系だよねぇ」

「はぁ?」

 と、モカがボールと共に投げてきた言葉へ不平をこぼした拍子に、グローブがボールを弾いてしまう。ポトリと力なく足元にボールが落ちる。

13: 名無しさん 2018/09/23(日)10:42:17 ID:83a

「初エラーだね、蘭」

「モカなんかもうニ回も暴投してるじゃん」

「あれは練習~。だからノーカンノーカン」

「……はいはい、そうですかっ、と」

 妹系と言われた憤りやら何やらを込めて、拾ったボールを少し強めに投げ返す。パンッ、とボールを捕ったモカのグローブから乾いた音がした。

「ちょーちょー、痛いってば~」

「モカが変なこと言うからでしょ」

「も~、そういうところが妹系ぽいって思うなぁ」

「また妹って……」

「多分みんなに聞いたらそう言うと思うよ~? 放っておけなくて、妹っぽいって」

「……そうかな」

「うん。あ、でもあたしたち以外だと違うかも。蘭って羽丘に隠れファンクラブみたいなのあるし」

「は?」

 再びモカがボールと一緒に投げてきたセリフ。それが意外過ぎてまたもボールを捕り損ねてしまった。

14: 名無しさん 2018/09/23(日)10:43:40 ID:83a

「2エラー目~」

「うるさいってば。モカのせいだし」

「あはは~、これでお相子だねぇ」

「やっぱ暴投もカウントしてるじゃん」

「気にしない気にしない~。それでさ、蘭のファンクラブがあって」

「その話、続けるの?」

「うん」

「……そう」

「んでんで、そこの子に話聞くとね、いっつも凛々しい顔してるし、歌ってる姿もカッコいいってね、きゃーきゃー言ってるんだ。上から目線でぞんざいに扱われてみたい、みたいなことも言ってたよ~」

「…………」

15: 名無しさん 2018/09/23(日)10:44:24 ID:83a

「蘭、モテモテだねぇ」

「待って、あたしそれにどんな反応すればいいの……?」

「さぁ~? トモちんに聞いてみれば?」

「絶対に参考にならない答えが返ってくるってば……」

「……んふふ~」

 と、肩を落としたあたしを見て、モカは変な笑い声をあげた。

「え、なに? いきなりどうしたの?」

「んーん、別になんでもないよ?」

「なんでもないのにそんな変な笑い方しないでしょ。……ああ、でもモカだしそんな時もあるかもね」

「え~、それどういう意味~?」

「そのままの意味」

「ぶーぶー、モカちゃんはその発言の取り消しを要求しまーす」

「ぷっ……」

 口を尖らせてブーイングをするモカ。その姿がおかしくて思わず笑ってしまった。

16: 名無しさん 2018/09/23(日)10:45:15 ID:83a

「もー、笑うなんてヒドイなぁ。そんな蘭には……こうだ~!」

 言うが早いか、モカは手にしたボールをギュッと握り、思いっきり腕を振ってそれを投じてくる。

「魔球、カーブ~!」

「ちょっと、またそういう……!」

 コントロールというものをおおよそ無視したそれはフワリと夕景の空に浮かび、ゆるく曲がりながら飛んでくる。

(捕れる訳……!)

 そう思いながらも、必死でボールを追う。

 キャッチボールをしているうちに、あたしとモカは少しずつ距離を離していた。最初の六メートルくらいの距離だったら間に合わなかったかもしれないけど、少し右後ろに下がりつつ、思いっきり手を伸ばしたら、グローブの中にボールが入る感触がした。

17: 名無しさん 2018/09/23(日)10:45:52 ID:83a

「おー。捕れないと思った」

 十メートルとちょっとくらい離れたモカが驚いたように声を上げる。あたしはそれにキッと睨み返す。

「蘭ー、ナイスプレ~!」

 しかしモカは相変わらず悪びれた様子もなく、笑顔でそんなことを言うのだった。

「はぁ……もう慣れたよ」

 あたしはため息を吐きつつ、モカへボールを投げ返す。

「流石だね、蘭。蘭だから、あたしも安心して変なボールを投げられるよ~」

「変なボールって自覚してるなら投げないでよ」

「んー、蘭にしか投げないからへーきへーき」

「何が平気なんだか、まったく……」

 呆れたように呟きつつも、モカらしい言葉に自分も少し笑っているのが自覚できる。だけどそれをモカに見られるのは癪だったから、あたしはわざとらしく顔の前にグローブを構えてみせたりなんかしていた。

18: 名無しさん 2018/09/23(日)10:46:39 ID:83a

 ……そうしてキャッチボールは続いていく。

 西に傾き始めていただけの太陽はいつしか稜線の向こう側へ朝を届けに行こうとしていた。そして東の空にやや暗い色が見え始めたところで、あたしとモカの距離はソフトボールの塁間くらいになっていた。

 ちらりと校舎に付けられた時計に目をやる。もうキャッチボールを始めてから一時間以上経っていた。

 それでもまだ、あたしはモカにボールを投げ、モカもあたしにボールを投げ返す。

 距離がある分、少しだけ声を張って言葉を交わし合う。

 どこか懐かしい金木犀の匂いを連れた色なき風が、汗ばむ身体を優しく撫ぜて吹き抜けていく。爽籟を運ぶ。

19: 名無しさん 2018/09/23(日)10:47:23 ID:83a

 モカがどういうつもりでキャッチボールにあたしを誘ったのかは分からない。モカの言った通りにただの気まぐれか、それとも漫画に影響されたのか、あの日誤魔化していた涙が関係しているのか。

 本当のことは分からない。だけど、いつの間にかこの時間を楽しんでいる自分がいるのは確かなことだった。

 あたしはモカの胸にめがけてボールを投げる。最初に投じたみたいに変なところへ行ってしまうこともあったけど、ほとんどがスッとまっすぐに届いた。

 モカもあたしにボールを投げる。時には大仰なフォームで、時には普通に、時には変な変化球の名前を叫んで。最初の二球以外、それは全部あたしが捕れる場所に飛んできた。

 不器用だったキャッチボールもどんどん上手になって、少し歩み寄れば触れられたモカの姿がもう随分遠くになった。それでも言葉は伝わるし、ボールだって届く。

20: 名無しさん 2018/09/23(日)10:47:59 ID:83a

「…………」

「えっ? 何か言った?」

 ふとモカが何かを呟いた気がした。あたしは声を張ってその内容を聞き返す。

「なんでもないよ~。そろそろ終わりにしよっかー」

 しかし当の本人はそんな風に、本当になんでもないように、いつもの間延びした声を返してくるのだった。

「……そう」

 小さく呟きつつ、思う。

 往々にして、モカの『なんでもない』はなんでもある時のことで、『なんでもある』はなんでもない時のことだ……というのは長い付き合いで分かっている。だからその呟きにはきっと何かの意味があったんだろう。

 だけど、それを深く聞き返した方がいい時と聞き返さないでいい時っていうのもあって、これは後者のことだろうというのも分かっていた。

「うん、そうだね」

 だからあたしも何ともないようにそう返す。

21: 名無しさん 2018/09/23(日)10:48:43 ID:83a

「じゃーこれが最後の一球! 捕れるものなら捕ってみろ~!」

 頷いたあたしに対し、モカは胸を張ってそんな挑発をしてきた。どんな球を投げるつもりなんだか、とあたしは苦笑しながらグローブを構える。

「秘球、消える魔球!」

「はぁ?」

「とりゃ~っ」

 気合の掛け声とともに、モカは大きく振りかぶって、最後の一球をあたしに投じた。

 また変なとこに飛ぶんじゃ、と少しだけ思ったけど、その球はまっすぐにあたしの胸元へ伸びてきて、グローブに吸い込まれた。パァン、という乾いた音が校庭に響く。

「……全然消えてないじゃん」

「ふっふっふ、これぞ相手の意表を突く、消えないけど消えそうでやっぱり消えない魔球なのであった……」

「なにそれ、変なの。ふふ……」

「えへへへ~」

 いつも通りなモカに思わず笑いがこみ上げてきた。モカもそんなあたしを見て嬉しそうに笑った。


22: 名無しさん 2018/09/23(日)10:49:18 ID:83a



「あ、蘭ちゃんにモカちゃん」

 二人でひとしきり笑いあった後、ソフトボール部にグローブとボールを返した。そして肩を並べて校門の方へ歩いていくと、ちょうど昇降口からつぐみが出てきて、声をかけてきた。そして駆け足であたしの右隣までやってきて、足並みを揃える。

「おつかれ、つぐ~」

「生徒会の仕事、終わったの?」

「うん、ちょうど今終わったところだよ。二人はどうしたの? もう放課後になってから結構経ってるけど」

「モカがどうしてもって言うからキャッチボールしてた」

「え~? 蘭だって途中からノリノリだったじゃん~」

「そうかな」

「そうだよ~」

「ふふ、そっか」

 あたしとモカのやり取りを見て、つぐみはいつものように笑った。

23: 名無しさん 2018/09/23(日)10:50:13 ID:83a

「あー、運動してたらお腹減ったなぁ~」

「そうだね。そういえば今日、ひまりがバイトだっけ?」

「うん。ひまりちゃん、スケジュール表に『バイト! あと新作ハンバーガーの日!』って書いてあったし」

「ほうほう、これは寄り道の機運が高まっておりますなぁ。つぐもこの後帰るだけでしょ?」

「そうだね。今日はウチの手伝いもないから」

「よーし、それじゃあトモちんも誘ってみんなでひーちゃんを冷やかしに行こ~」

 モカは元気よく声を上げ、スマートフォンを取り出して巴にメッセージを送ろうとする。あたしはその素早い行動に苦笑しつつも頷いた。

「まぁ、たまにはハンバーガーもいいかもね」

「巴ちゃんは和太鼓の練習……だっけ。来れるのかなぁ?」

「今の時期はお祭りもないし、大丈夫じゃない?」

「んー、トモちんもダイジョブだって~。時間かかるかもだから先に行っててだってさー」

 そんな言葉を交わしつつ、三人で並んで校門を通り抜ける。モカとつぐみの声に挟まれながら、ふと空を見上げてみた。

 黄昏の空はもう半分ほどが宵闇の色に繋がっていた。


24: 名無しさん 2018/09/23(日)10:51:01 ID:83a



 モカとキャッチボールをしたあと、ひまりに見せつけるように四人で新作ハンバーガーを食べ、バイトが終わったひまりも入れた五人で何でもないことをいつも通りに話しながら家路を辿った翌日の、土曜日の朝。

「……は?」

 右腕のみならず背中や足も筋肉痛になっていて、流石に投げすぎたな、なんて思いつつ自分の部屋からリビングに向かうと、いつものように新聞を読んでいた父さんがあたしに言葉を投げてきた。それがいまいち上手く耳に入ってこなかったので、変な声を上げてしまう。

「え、なに、今なんて?」

「だから、蘭。キャッチボールをしないかと言ったのだ」

「……はぁ? 急に何言ってんの、父さん」

「昨日モカちゃんに聞いたのだ。蘭とキャッチボールをしたら、すごく楽しそうだったと」

「…………」

 その言葉を聞いて、あたしは少し天井を仰ぎたくなった。

 ……モカ、父さんになんでそんなこと言ったの? 何を思ってそんなことを伝えたの? ていうかどうやって伝えたワケ? まさか連絡先交換してるの?

25: 名無しさん 2018/09/23(日)10:52:22 ID:83a

「お前が華道とバンドに真剣に取り組む姿を見て、私も親として、蘭にあまり関われていなかったんじゃないかと最近は考えるようになっていてな」

 そんなことを考えるあたしを置いて、父さんは独白するように言葉を続けている。

「親子の交流といえばキャッチボールだ、と湊さん――友希那ちゃんのお父さんも言っていたことだし、これもいい機会じゃないか、と」

「え、なんで湊さんのお父さんと交友があるの……」

「お前のライブを欠かさず見に行くようにしてから、ロゼリアのライブを欠かさず見に行くようにしている湊さんと顔を合わせる機会が多いのだ。そうしているうちに意気投合してな」

「は?」

「それで、湊さんがそう言うのであれば、私たちもそういうコミュニケーションを取ることが大切なのではないかと思ったのだ。だから、ほら、昨日の内にあれを用意しておいた」

 と言うお父さんの視線の先にはまっさらな新品のグローブが二つと野球ボールがダースで置いてあった。

「えぇっと……?」

「キャッチボールだ、蘭。今日はお前も一日、予定がないだろう?」

26: 名無しさん 2018/09/23(日)10:53:32 ID:83a

「……なんで知ってんの」

「ひまりちゃんが蘭のスケジュールを教えてくれたのだよ」

「…………」

 その言葉を聞いてとうとうあたしは天井を仰いだ。

 いや、本当に何やってんのひまりも? 何を思って父さんにあたしのスケジュールを教えたワケ? 昨日ひまりがバイト終わりに食べようとしてた数量限定の安納芋パイの最後の一個をあたしが注文した腹いせなの?

「まぁ、なんだ。親としてお前には常に厳しく接しなければと思い、実際その通りに今まで接してきたのだが……それで蘭に寂しい思いをさせていたんじゃないか、と思っているんだ」

「…………」

「お前が作った新曲の感想も話したいし、どうだ。今日は私と一緒に、親子水入らずでキャッチボールをしないか?」

 天井を仰いでいた顔を前に向けると、花を生ける時のようにキリッとした表情の父さんがいた。なんで今そんな顔でいるのかが理解できない。

「……父さん」

 今度は視線を床に落とし、あたしは呟くように声を出す。

「うむ」

 父さんは父さんで、何か期待するような響きをした相づちを返してくる。

27: 名無しさん 2018/09/23(日)10:55:15 ID:83a

 それをうんざりしたような気持ちで聞きながら、あたしの脳内には色々なことが巡っていた。

 父さんとあたしの幼馴染たちとの無駄な連携というか無駄な親密さ。正直、それがものすごくウザったいというか照れくさいというかめんどくさい。

 そして下手すると湊さんのお父さん繋がりでいずれ湊さん本人をも巻き込むかもしれない、とまで考えるともう嫌になるくらいに煩わしい。

 湊さんに対してもほんの少しだけ申し訳なさが募らないでもない。

 今後、スケジュール表の更新は止めようか。

 いやでも今さら止めたら止めたで『蘭もきちんとやり方覚えたし、空白は暇ってことだ』という認識がアフターグロウの中でされる可能性だってあるし……とまで考えたところで、あたしは観念したように大きくため息を吐いた。

(まぁ、これも新しいいつも通り……なのかな)

 そんな大層な話である訳がないけど、とりあえず今はそう思うことにしよう。これから先、色々とめんどくさいことが起こりそうだけど……まぁ、いいや。それもこれもいつも通りであり続けるために変わっていくことなんだろう。

 無理矢理そう結論づけて、あたしは今現在直面しているめんどくさいことに向かい合うことにした。

 ……そう、なんかソワソワしている父さんに、とりあえず言わなければいけないことがあるのだ。

 あたしは一つ息を吸って言葉を吐き出す。

28: 名無しさん 2018/09/23(日)10:55:40 ID:83a

「父さんとキャッチボールするのは絶対にイヤ」

「…………」

29: 名無しさん 2018/09/23(日)10:56:18 ID:83a

 言うべきことはもう言った。父さんの対応はこれで終わりだ。なんかすごくガックリ肩を落としてるけど、もう話すことは何もない。

 さぁ、次はモカとひまりに事の次第を問いただしに行こう。二人とも今日はスケジュール表に何も書いていないから暇のハズだ。

 そう思って、あたしは出かける準備をするために洗面所へ向かうのだった。



 後日、「最近娘が冷たい」と嘆く蘭パパと友希那パパが哀しみを分かち合うのはまた別の話。


 おわり

30: 名無しさん 2018/09/23(日)10:57:23 ID:83a

BUMP OF CHICKENの“キャッチボール”という歌を参考にしました。

その上でなにかこう秋めいた話を書きたいな、と思った結果がこれでした。
BUMPのファンの方、並びに蘭パパが好きな方、本当にすみませんでした。