60: 名無しさん 2019/03/24(日) 21:05:43.44 ID:o5Zx5igvo

「ククク……我が闇の祝福を与えし地か!」 


 右の手の平、中指と薬指の間からプロデューサーを見る。 
 呼び出されたから、何か仕事の話かなって思ってたの。 
 プロデューサーって、とっても真面目な人だもん。 
 そんな私の予想は、外れてはいなかった。 


「いざ! 我らが翼を広げ、彼の地へと羽ばたかん!」 


 左の手の平を広げ、プロデューサーへ向ける。 
 急な話だったけど……えへへ、嬉しいな♪ 
 だって、今度のLIVE会場の下見に、一緒に行けるんだもん! 
 最近、プロデューサー忙しそうだったから……。 


「あ、いえ……今日の話ではなく、ですね」 


 プロデューサーが、右手を首筋にやって困った顔をしてる。 
 う、ううっ……は、恥ずかしいよ~! 
 ちゃんと話を聞かずに、行きましょう、だなんて言っちゃった~! 
 えと、こういう時は、 


「ふむ……時を司る神、クロノスが我らを阻むか」 


 右手を下ろして、今度は前に出していた左手を顔の前へ。 
 指の隙間から、プロデューサーを見る。 


「我が友よ! 鬨の声が上がるは、いずれの時か!」 


 プロデューサー、行くのはどの日ですか? 


「そう、ですね……」 


 プロデューサーは手帳を出し、カレンダーのページを開いて見せてきた。 
 ポーズをやめて、デスクに近づいてそれを見る。 
 プロデューサーの指先が示したのは、第二週と第三週の、日曜日。 
 確か、この日はまだレッスンの予定も、仕事の予定も無かった……と思う。 


「この、どちらかの日は……どうでしょうか?」 


 少し遠慮がちな、プロデューサーの声。 
 それは多分、その日をお休みにする事も出来るから……ですよね? 
 でも、私の答えは決まってますよ! 
 だから、そんな遠慮なんてしないでくださいっ。 


「アーッハッハッハ! この身に安息は不要! 求めるは、さらなる高みへと登る力!」 


 私、今がとっても楽しいんです! 
 予め会場の下見をすれば、 
ファンの人に喜んで貰えるアイディアが浮かぶかも知れませんし! 
 そのためだったら、頑張っちゃいます♪ 


「……ありがとうございます」 


 向けられる、優しい……ほんの微かな笑顔。 
 いつか、満面の笑みをさせたいなぁ~……な、なんて! 


「そこで……一つ、お願いがあるのですが……」 


 はい?

引用元: ・武内P「泥酔、ですか」

61: 名無しさん 2019/03/24(日) 21:48:41.66 ID:o5Zx5igvo
  ・  ・  ・

「目立たない格好?」


 346プロダクションに所属するアイドル専用の女子寮。
 その食堂に集まった皆が、口を揃えて言った。
 予想外だったのか、やっぱり驚いてる。
 私の普段の服装は……目立たない、という言葉から程遠いから。


「戦装束を纏っていては、人の世に紛れる事は叶わない……」


 私の普段の服装は、目立つ。
 せっかくプロデューサーとお出かけだから、バッチリ決めていこうと思ってた。
 でも、それだとファンの人に見られて下見にならないかも知れない、って。
 そう……言われちゃった。


「しかし、我が衣は全て漆黒の魔力を放っている……」


 他にあるのは、学校の制服。
 でも、多分それだと……プロデューサーが捕まっちゃうかも知れない。
 プロデューサーは、知らない人が見たら怖い顔をしてるもん。
 最近は、警察の人に職務質問される事は少なくなってきたらしい……けど。



「――話はわかったにゃ!」



 みくちゃんが、大きな声を出して席を立ち上がった。
 そして、胸に手を当てながら楽しげに笑って、


「みく達で、蘭子チャンをコーディネートするにゃー!」


 そんな言葉を聞いた皆が、おー、と声を上げた。


「そ、それは真か……?」


 そうして貰えると、本当に助かる。
 出来るだけ可愛い格好をして行きたいな、って思うと……やっぱり、
私はいつもの服装を選んじゃうから。


「もっちろんネコミミも!……は、ジョーダンだけど」


 みくちゃんが、私の隣に来て椅子に座った。
 そして、ため息をつき、肩をすくめながら、


「前、Pチャンと出かけた時は制服で……二回捕まったの」


 なんて、冗談みたいな思い出話を語りだした。
 うわぁ……やっぱり、勇気を出して皆に相談して良かった~!
 せっかく、私のためにプロデューサーが誘ってくれたんだもん。
 それなのに、悲しい思いをさせたくないもんね!


「フフッ! ランコは、アー、着せ替え人形、ですね?」


 アーニャちゃんが、両手をポンと合わせて言った。
 そして、あれよあれよと……私が、ボクが、うちが、アタシが、って、
誰が一番私を可愛く出来るか勝負だ、なんて事に。


「ふ、フヒ……キノコは何にでも合うぞ……」


 ……そ、それはちょっと遠慮させて~!?

62: 名無しさん 2019/03/24(日) 22:40:26.58 ID:o5Zx5igvo
  ・  ・  ・

「ううっ……! 結界が……!」


 女子寮の前に、車が停まっている。
 約束の時間まではもう少しあるけど、
それよりも早くプロデューサーが来ているのはわかっていた。
 なのに、私の足は一向に女子寮の外へ出ようとしてくれない。


「心配ない、です! ランコ、とっても可愛い♪」


 アーニャちゃんが、ニコニコと笑いかけてくる。
 今日の服は、ほとんどアーニャちゃんに借りた物だった。
 それが一番……ううん、二番目に似合うって皆が言ったから。
 シンプルだけど、女の子らしい……普通の服装。


「フフーン! まあ、ボクの次位にはカワイイと思いますよ!」


 幸子ちゃんが、そうやって勇気づけてくれる。


「そうやねぇ、髪に櫛を入れたうちも安心して送り出せるわぁ」


 紗枝さんが、これは……は、早く行けって意味……!?


「やっぱり、胸にクマさんのシャツに着替える?」


 美穂ちゃん、あのシャツは、その……ごめんなさい。


「クッ……! 降臨せし時は、今ではない……!」


 皆が応援してくれるけど、踏み出せない。
 今日は二つにくくっていない髪が、サラリと揺れた。
 被った帽子と、いつの間にか置かれていた伊達眼鏡。
 準備は万端……だけど、



「で……デートの時間が減っちゃうよ……?」



 小梅ちゃんが言った――デート、という言葉。
 其の言の葉が降魔の剣と化し我が翼を此の地へと縫い付ける。
 羽ばたきは意味を為さず、只、乙女達の園の門を打ち鳴らす。
 嗚呼! 嗚呼、我が友よ! 汝は、今、何を想うのか!


「――蘭子ちゃん!」
「ぴっ!?」


 私を呼ぶ声で、正気に戻る。
 うぅ……ビックリして、変な声が出ちゃったよ~!
 恐る恐る、後ろを振り返る。
 きっと皆、モタモタしてる私に怒ってるよね……?


「せーのっ――」


 ……なんて、私の考えは……全然当たって無くて、



「――闇に飲まれよ!」



 笑顔の力で、背中を押された。

64: 名無しさん 2019/03/24(日) 23:17:44.05 ID:o5Zx5igvo
  ・  ・  ・

「……」


 車の助手席に座りながら、横目でプロデューサーを見る。
 今日のこの格好の感想は……聞いてない。
 言おうとしてくれてたんだけど、私が喋り続けて……そのまま。
 だ、だって! は、ははは、恥ずかしいっちゃもん!


「……あの」


 プロデューサーの、低い声。


「はいっ!?」


 私の、裏返った高い声。


「その服は……神崎さんの物ですか?」


 聞かれて、私はポツリポツリと話し始めた。
 目立たない格好と言われて、少し困ってしまった事。
 そして、寮の皆に相談して、コーディネートを手伝ってもらった事。
 プロデューサーは、それを時折合いの手を挟みながら、静かに聞いてくれた。


「……成る程、それで」


 プロデューサーは、何に納得したのかわからないけど……頷いた。
 続く言葉が、どんなものなのかは……わからない。
 でも、私は心のどこかで、普段通りの私の服装の方が似合うと言って欲しかった。
 だって、あれが――我が身を包むに相応しい衣だから。


「とても、よく似合っていると思います」


 私は、少しだけ俯き、



「……仲間達の力を一つに集めた、友情の衣」



 すぐに、ハッと顔を上げた。


「……で、合っているでしょうか?」


 答えは、決まってます!


「そう! この姿は――乙女達により導かれし、覚醒した姿!」


 どちらの方が、じゃなく……どっちも似合う、で良い!


「人々の目を欺き! 使命を果たさんとする我を……しかと目に焼き付けよ!」




 結局、プロデューサーは職務質問を受ける事になった。
 人々の目を欺くための衣が、よもや我が魔力を高める事になろうとは……!
 でも、プロデューサーとのデー……下見!
 下見は楽しく……じゃなくて! ちゃんと出来たから、良いの!



おわり

372: 名無しさん 2019/04/04(木) 22:24:16.96 ID:l0nqr7PNo

「ただいま」


 玄関のドアを開けて、言ってみる。
 返事が無いのは、わかってる。
 だけど、もしかしたら……なんて。
 いつも通り、二人の靴は無い。


「……」


 靴を脱ぎ、廊下を歩く。
 ウサギさんのスリッパが、パタパタと音をたてる。
 この子達は、いつも二人一緒。
 良いなぁ、羨ましいなぁ。


「……」


 リビングのドアを開けて、電気を点ける。
 テーブルの上を見ても、何も無い。
 しょうがないよね。
 だって、皆お仕事なんだもん。


「……」


 電気を……消して、ドアを閉める。
 誰も居ないのに、つけっぱなしは勿体無いもんね。
 あれ? 点けたり消したりする方が、電気代がかかるんだっけ?
 ちょっとだけ首を傾げて、部屋に向かう。


「……」


 部屋のドアを開けたら、鞄をちょっとの間だけ床に置く。
 コートを脱いで、ハンガーに。
 もう桜が咲いてるのに、風は冷たい。
 まだまだ、活躍してもらっちゃいそう。


「あっ」


 気付かなかった。
 肩の所、桜の花びらがついてたんだ。
 親指と人差し指で、ピンクのそれをちょこんとつまむ。
 ついてたのは、一枚だけ。


「……」


 ピンク色で、小さくて。
 風に吹かれて、こんな所まで来てしまった、一枚の花びら。


「……あれ?」


 目に、ゴミでも入ったのかな。
 いつの間にか……涙が、頬を伝っていた。
 反対の手で、軽くすくい上げるように拭う。


「……」


 涙は、もう止まっていた。
 どうしちゃったんだろ、わたし。

373: 名無しさん 2019/04/04(木) 22:48:32.82 ID:l0nqr7PNo
  ・  ・  ・

「おはようございます」


 プロジェクトルームのドアを開けて、挨拶をする。
 そうしたら、返ってくる。
 低い、低い声で。
 気付いたら、すぐに振り向いてくれて。


「緒方さん、おはようございます」


 ほら、ねっ?
 最初の頃は……怖い人なんじゃないかと思ってたの。
 だけど、今はそうじゃない。
 だって、


「プロデューサー、おはようございます」


 こうやって、笑顔を向けると、


「はい、おはようございます」


 ほんのちょっとだけ、口の端が上がってるから。
 プロデューサーは、笑顔が好き。
 だって、『笑顔』が口癖みたいになってますから。
 だから……えへへ♪


「はい♪ おはようございますっ♪」


 わたしは、プロデューサーに笑顔を向ける。
 今の笑顔、どうですか?
 皆と比べて、一番じゃないかも知れないけど。
 わたしの――智絵里の出来る、一番の笑顔です♪



「……あの、緒方さん」



 なのに。
 それなのに、プロデューサーは右手を首筋にやって、困った顔をした。


「……?」


 なんで?
 プロデューサーは、笑顔が好きなんですよね?
 どうして、困った顔をわたしに向けるんですか?
 智絵里、わからないです。
 どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよ――


「挨拶は、一回で十分ですので……はい」


 ――あっ、そうですよね!
 あう、はずかしいです~……。


「そ、そうでした……」


 顔が熱くなって、下を向く。
 そのまま、上目遣いでプロデューサーを見る。
 その表情は、とっても優しい――笑顔。


 ……えへへ、良かった。

374: 名無しさん 2019/04/04(木) 23:22:34.55 ID:l0nqr7PNo
  ・  ・  ・

「いただきます」


 今日は、テレビ収録のロケ。
 メンバーの誰とも一緒じゃない、わたし一人のお仕事。
 ちょっと不安だったけど、プロデューサーが一緒に来てくれた。
 今は、そのお昼休憩中。


「……」


 控室のテーブルの上に置かれたお弁当。
 プロデューサーは、まだそれに手を付けてない。
 今日のロケ弁は、ちょっと豪華。
 なのに、手元の資料から目を離さずに居る。


「あの……プロデューサー」


 声をかける。


「はい、どうかされましたか?」


 視線が、わたしに向けられる。


「今日のお弁当……ハンバーグが入ってます」


 目玉焼きがのったハンバーグ。
 それが見えるように、箱の両端を掴んで斜めに持ち上げる。
 あ、あわわ、持ち上げ過ぎちゃった!
 煮物のニンジンさんが転げ落ちそうになり、慌てて元に戻す。


「お……美味しそう、ですよね……?」


 今の、プロデューサーに聞こえたかな?
 もう一度、言った方が良いのかな。
 だけど、もし……



『――仕事中だから』



「……っ」


 ……なんて、言われたら。
 そう思っただけで、声が出ない。
 言いたい言葉があるのに、聞いて欲しいお願いがあるのに。
 アイドルとして頑張ってきて、自信がついたと思ったのに。



「――ええ、そうですね」



 プロデューサーは、テーブルの上でトントンと資料を整えた。
 それを汚さないように、ちょっと遠くに置くと、


「せっかくなので、ご一緒させてください」


 そう言って、微笑んでくれた。


 ……量が多くて、全部食べられないと思ってたのに。
 美味しくて、ごちそうさまを言うまでずっと笑顔でいられた。

375: 名無しさん 2019/04/04(木) 23:55:02.04 ID:l0nqr7PNo
  ・  ・  ・

「……」


 レッスンが終わって、シャワーを浴びて。
 後はもう帰るだけ……と、思ったら……忘れ物に気付いた。
 お昼に見つけた、四葉のクローバー。
 多分、まだ机の上にあると思う。


「……」


 はぁ……気付いて良かった~。
 四葉のクローバーは、
宿題をやろうと思って持ち歩いていた古典の辞書に挟んである。
 事務所に来た時に比べて鞄が軽くて、不思議だなー、って思ってたんだよね。


「……」


 レッスンが終わったらそのまま帰る、って言ってたから……。
 わたしが戻ってきたら、プロデューサー驚くかな。
 もしかしたら、居ないかも知れないよね。
 わ、忘れ物をして戻ってきたって言うのは……ちょっぴり、恥ずかしい。


 だから……居なくても、大丈夫です。


「……」


 そっと、プロジェクトルームのドアを開けると、



「緒方さん?」



 椅子から立ち上がる途中のプロデューサーと、目が合った。
 なっ、何て言おう?
 あぅ……ドアを開ける前に、考えておくんだった~!
 えーと、えーっと……!?



「おかえりなさい……?」



 プロデューサーは、不思議そうな顔をして、言った。


「……あっ……た、た――」


 手が、勝手にドアを勢い良く開ける。
 声が、上ずって……だけど、言いたい。
 言わなきゃ……言わなきゃ――!



「ただっ、いま!……です」



 えへへ……智絵里、帰ってきました……。
 ただいまです、プロデューサー♪


 四葉のクロバーが挟まった辞書を手に取りながら、思う。
 お仕事やってて、良かったなぁ……って。



おわり

382: 名無しさん 2019/04/05(金) 22:23:00.06 ID:hqcVN+MUo

「漏れる」


 何がですか?
 ……そう聞こうと、テーブルの上に置かれた資料から目を離し、顔を上げた。
 そこにあったのは、
先程まで興味深げにアイドルとしての活動内容を確認していた顔では無かった。


「……!」


 諦観。
 彼女は、何もない筈の中空の一点を見つめ、


「……ごー」


 カウントダウンを開始した。


「……」


 今の私も、彼女と同じ表情をしているだろう。
 破滅への時を刻む声が、
事務所に置かれた時計の秒針と重なり、部屋に響く。
 そして、また、



「「……よん」」



 もう一つ、声が重なった。


「……えっ?」


 重なったカウントダウンは、私のものではない。
 彼女と同じユニット。
 彼女の相棒が発したものだった。
 ちなみに、今驚きの声を上げたのは……私です。


「……さん」


 不意を突かれ、カウントダウンが止まった相棒を見て、


「……にー!」


 彼女は、笑った。
 その笑顔から感じるのは、意志。
 相棒を独りではいかせない。
 漏らすのならば、二人一緒だという……傍迷惑な、決意。


「っ、待ってください!」


 並んでソファーに座りながら、彼女達は手を取り合っている。
 そんな余裕があるのならば、トイレまで我慢出来ないものか。
 片方が漏らしたとしても、その後処理を残った方が出来ないものか。
 そもそも、何故五秒前と言う限界点へと至ってしまったのか。


「せめて、お一人ずつ!」


 無駄とわかっていても、最後の足掻きとして声を上げた。
 びしっと☆Shit!

383: 名無しさん 2019/04/05(金) 22:49:31.21 ID:hqcVN+MUo

「「……いち!」」


 二人の声が、綺麗に重なる。
 こういった場面で無駄にハモるのは、流石と言った所だろうか。
 しかし、今の私にそれを褒めるだけの心の余裕は無い。
 一刻も早く、彼女を止めなくてはならないのだから。


「待ってください!」


 二人一緒ならば、恥ずかしさも半分。
 一人ではないという心強さが、
腹立たしい事に彼女達の歩みを止めてくれない。
 そして、厄介なのは……それだけではない。


「ふっ……!」


 歩幅が、違うのだ。
 一人は、目をつぶって穏やかな川の流れが如く。
 一人は、歯を食いしばって噴火直前の火山が如く。
 そう――


 ――バディ!


「あぁ……」


 私は、右手を首筋にやって俯いた。



「はっ……!?」「なっ……!?」



 彼女達の性格は、あまり似通っているとは言い難い。
 だが、視界の端に写った表情は、全く同じ。
 鏡合わせ、瓜二つ……コピー&ペースト。
 決定的に違うのは、



「「そっち……?」」



 一人は、小。
 一人は、大。
 大は小を兼ねるので、正確に言えば一人は小、もう一人は大小、か。
 ……と、まだ状況を冷静に判断出来ていると、自分に言い聞かせる。


「「……」」


 二対、四つの瞳が私に向けられているのが、わかる。
 顔を上げたくないという欲求が、胸の奥で悲鳴を上げている。
 嗚呼……たまりにたまった、有給休暇。
 せめて、今この時だけ、嗅覚が休暇をとって……ダジャレを言っている場合ではない。


「……今、換気をします」


 ソファーから立ち上がって、窓へと向かう。


「……」


 涙が流れそうになっているのは、差し込んでくる太陽の光のせいだと……そう、思います。
 だから……どうか、お願いします。
 この臭いを消し飛ばす北風よ、吹いてください。

384: 名無しさん 2019/04/05(金) 23:22:39.47 ID:hqcVN+MUo

「……」


 春風が、前髪を揺らす。
 そろそろ散髪に行った方が良いだろうか?
 満開の桜を眺めながら、顎に手を当てて思考し――即座に、振り返る。
 危ない……春の陽気に誘われて、今を見失いそうになっていた。



「……?……?」
「……!……!」



 右の革靴の踵を軸にして、クルリとターン。
 窓枠に両手を置き、軽く息を吐き出す。
 ……さあ、もう一度振り返ろう。
 先程の光景は、何かの間違いだろうから。



「……?……?」
「……!……!」



 先程、目に飛び込んできた地獄は……果たして、其処に存在していた。
 一方――大をした方が。
 一方――小をした方に。



「……?……?」
「……!……!」



 ……――目で、疑問を投げかけているのだ。


 一緒じゃないのか、と。


 そっちは大をしないのか、と。


 あまりにも、あんまりな。
 疑問と呼ぶには、生ぬるすぎる。
 脅迫めいた、純真無垢な視線。


「……?……?」


 バディッ!
 ソファーによって変化した放屁が、突撃命令を下すラッパの様に部屋に響いた。
 ですが、貴女達はユニットでデビューしているとは言え、
そのプロデュースの方向性に関しましては、まるで同じではありません。



「――絶対に、駄目です」



 己の、限界。
 プロデューサーレベルの、その向こう側へと至るまで。
 それだけの力を込めて、私は残された彼女へ声をかけた。
 心中させる訳には、いかないのだ。



「うぷ、っ……!?」



 その結果、彼女は口元を手で覆った。
 上か☆Wake Up!

385: 名無しさん 2019/04/05(金) 23:52:24.40 ID:hqcVN+MUo
  ・  ・  ・

「……」


 互いが、互いを補い合うかのように。
 それだけでなく、高め合うかのように。


「……」


 一人が吐いたら、もう一人は三秒後に――もらった。
 その勢いのまま、大をした方は――二人になった。
 ひとしきり内容物を出し切った後、彼女達は……笑った。
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を突き合わせ、笑ったのだ。


「……」


 一人、此処に残った私からは最も遠い表情。
 自分は車輪だと自己暗示し、淡々と事後処理をする。
 彼女達は細身なので、量が多くないのが幸い……ではなく、
そもそも何故こんな事になったのか、戻り次第説教しながら――


「……笑顔です」


 ……いけない、冷静にならなくては。
 冷静……そう、クール。
 例えば、彼女達を同じタイプではなく、別のタイプに分類するのはどうだろうか。
 そうすれば、別の仕事も増え、今回の様な連鎖爆発が起きる可能性は下がる。


「……」


 二人は、別個の人間なのだ。
 便も、硬めと柔らかめ。
 吐瀉物に見える、未消化のパスタと……やめよう。
 いくら私でも、悲しいという感情が湧き上がってくるのを止められなくなってしまう。


「……」


 彼女達は、きちんと謝罪をしてくれた。
 親御さんの教育の賜物だろうか。
 個性を尊重しつつ、しっかりと言うべき事は言える子達だ。
 惜しむらくは、きちんとトイレへ行くという教育がなってはいなかった事、か。


「……」


 だが、やはり似ている。
 互いを相棒と呼び合うだけは……はい、ありますね。
 私も、彼女達の間に入れる……とまでは言わないが、
良い信頼関係を構築出来るのだろうか。


「……」


 ……今、考えるのはよそう。
 アイドルとして活動していく事に前向きな彼女達に後ろ向きなまま、
全力で走ってしまいたくなってしまうから。
 

「……」


 ピウ、と風が吹いた。
 新鮮な空気は冷たく、少しだけ……心に沁みた。



おわり



655: 名無しさん 2019/04/15(月) 22:50:00.82 ID:LWtsUkSMo

「……」


 ――時は金なり、と言うだろう?


「……」


 そう言って笑った、今西部長の顔が思い出されました。
 部長は、プロジェクトクローネの活動もしばしば見に来るのです。
 美城常務が、美城専務になって……忙しくなったから、でしょうか。
 皆はそう言っているのですが、私は、どうも違う気がしています。


「……」


 膝の上に乗せた本の読んでいるページに指を挟み、そのまま本を閉じました。
 そして、美しい装丁のカバーだけをめくり、
そこに挟まっていた紙――紙幣をペラリと持ち上げて、眺めました。
 紙幣と言っても、日本円や、外国の紙幣ではありません。


「……」


 それは、部長が言うには……ジョークグッズ。
 片面には、プロダクションの外観が印刷され、
その逆の面には……紙幣らしく、人の顔が印刷されているのです。
 その人とは――シンデレラプロジェクトの、プロデューサーさん。


「……」


 この紙幣の事を……あの人は、知っているのでしょうか。
 いえ、もし知っていたとしても、
いつもの様に、右手を首筋にやって……困った顔をするのかも知れません。
 美波さんが言うのは、見た目と違って……本当に、怒らない方らしいので。


「……」


 失くしてしまった、栞の代わりに。
 そう言って渡されたのですが……少し、勿体無いという気がします。
 あまり詳しくは無いのですが、こういった物を作るのは手間がかかると思いますから。
 けれど、渡された理由を考えたら……栞として使うのが、正解なのでしょうね。


「……」


 折り曲がらないように、ゆっくりと。
 指を挟んでいたページの間に、紙幣を挟んで本を閉じました。
 もう、読むのは三回目の本なので、正確なページを把握する必要はありません。
 しかし、だからこそ、栞を挟んでどこまで読んだかをわかるようにしておくのが、
正しい本への向き合い方なのではないかと……。


「……」


 オータムフェスで、私が倒れてしまった時……。
 あの人は、途切れそうだった物語を繋ぎ、その先へと続けてくれました。
 そう考えると、あの人が描かれた紙幣を栞にするというのは、
私にとって、何か、特別な事のように……不思議と、感じられます。


「……」


 壁にかけられた時計を見ると、レッスンの時間が近づいていました。
 時は金なり……では、ありませんが、急がないと。
 慌てて行動すると、失敗をしてしまいますから。

656: 名無しさん 2019/04/15(月) 23:25:26.66 ID:LWtsUkSMo
  ・  ・  ・

「……」


 更衣室へ向かうため、エレベーターの前で待ちます。
 待っている間、ほんの少しだけ……手持ち無沙汰でしたので。
 持っていた本をめくり、挟まっていた紙幣を眺めました。
 1000P……というのは、この紙幣の通貨単位が、Pという事でしょうか……?


「……」


 それにしても……本当に、凝った作りになっています。
 流石に、ぼかしは入っていませんでしたが……それでも、よく出来ています。
 一体、どの様な状況で使う、ジョークグッズなのでしょうか。
 考えてみても、当然答えは出る筈も無く……すぐ、その思考を振り払いました。


「……」


 何故ならば、エレベーターの到着を告げる音が響いたからです。
 考え事をして乗り過ごした、等という失敗は……流石に、したくはありませんから。。
 開いていく、エレベーターのドア。
 そして、



「――おはよう、ございます」



 目が合って、かけられた低い声。


「っ!?」


 驚き、咄嗟に手に持っていた本を胸に抱き寄せました。
 もし、万が一……この本を取り落としてしまったら。
 そして、その拍子に挟んでいた紙幣が飛び出し、この人の目に留まってしまったら。
 私は、頭の中がその考えで満たされてしまい、
乗り込む筈だったエレベーターへと、歩を進める事を忘れてしまっていたのです。


「……あの」


 そんな私へと、再び低い声がかけられました。
 しかし、その声は先程よりもどこか控えめ……いえ、気遣っている様に感じました。
 本を胸に抱きながら、エレベーターの中に居るプロデューサーさんに、目を向けます。


「……あっ」


 開ボタンを押しながらなので、見えない右手。
 でなければ、あの右手はきっと首筋に添えられていたでしょう。
 ……そう思ったのには、理由があります。


「……」


 この人は――エレベーターを降りようとしている様に見えたからです。
 自分の容姿が、私を怖がらせていると……そう考えさせてしまった。


「っ……!」


 ――そんな事、無いのに。

657: 名無しさん 2019/04/15(月) 23:57:12.88 ID:LWtsUkSMo

「……どうぞ」


 思っていた通り、プロデューサーさんはエレベーターから降り、
右手だけを中に残して、開ボタンを押し続けています。
 ……こんな時に、なんと声をかければ良いのでしょうか。
 人と話すのも、目を合わせるのも苦手だというのが、
今回程問題だと思った事は有りません……。


「……!」


 ……けれど、せめて。
 せめて、誤解だけは解いておかなくてはいけない、
という思いが私の体を突き動かしました。


「――えっ?」


 本を左手で胸に抱き、


「……!」


 残った右手を前に出し、


「……!」


 プロデューサーさんの左腕を押したのです。
 半身になっていたので、左の肩越しに視線を向けられているのを感じます。
 当然、私は顔を上げられませんでした。
 本当に、合わせる顔が無かったからです。


「……!」


 それでも、プロデューサーさんはまるで動きませんでいた。
 戸惑っているでしょうが、そもそも体格がまるで違いますから。
 本の移動で重い物を持つのに慣れてはいますが、それとこれとは訳が違います。
 けれど、


「……」


 ほんの小さな……聞き逃してしまいそうだった、微かな空気の音。
 その音が何だったのか、私にはわかりませんでした。
 わかりませんでしたが、プロデューサーさんは、


「はい」


 と、一言だけ言って、エレベーターの中へと戻って行きました。
 それを見て安堵し、ホッと胸を撫で下ろしました。
 しかし、そのまま立ち尽くすばかりで居たら、先程の繰り返しになってしまいます。
 それは……避けなければいけません。


「……おはようございます」


 同じページを繰り返さないように。
 最初に言うべきだった言葉と共に、一歩前へと踏み出しました。


 

658: 名無しさん 2019/04/16(火) 00:56:55.72 ID:hWdd6UE9o
  ・  ・  ・

「あの、それでは……」


 私の目的の階に、エレベーターが止まりました。
 ゆっくりと開いていくドアを視界の端に捉えながら、前髪の隙間から目を向けます。
 その視線は、今の私に出来うる限りの……途切れがちな、真っ直ぐなものです。


「はい。レッスン、頑張ってください」


 プロデューサーさんは……右手で開ボタンを押しながら、言いました。
 ほんの少し……人から見れば、他愛のない日常会話。
 けれど、私にとってはそうではない……前へと進んだと、実感出来る会話。
 その成果の一つが、こうやって激励の言葉をかけて頂けたという事です。


「――ありがとうございます」


 すれ違いざま……だったからでしょうか。
 本当に、自然と言葉が出て、目を合わせる事が出来たのです。
 ……しかし、何か失敗をしてしまったのかも知れません。
 少し、驚いたような表情を……されてしまいましたから。



「……良い、笑顔です」



 ……そんな私の考えは、閉じかけたドアの隙間から聞こえてきた低い声に、
完全に否定されてしまいました。
 私は、自ら出した答えが間違っていると言われ、下を向きました。
 ……この顔の熱さは、一体、どんな感情によるものなのでしょうか。
 そう思い、ふと顔を上げて視界の端に写ったのは、


「……えっ?」


 先程までとは、真逆の方向へと向かっていくのを示す、
エレベーターの現在位置を知らせるランプの光。


「えっ……?」


 果たして、その光は――私がエレベーターに乗った階で、止まりました。
 ……それが示す意味。
 そして、私がとった行動を思い返すと、
踏み出した一歩は大きかったのかも知れませんが……大きすぎた事に、気付きました。


「っ……!」


 呆然とする私の両手から、本が滑り落ちていきました。
 動揺をそのままに、しゃがんで本へと手を伸ばします。
 ページに折れは……良かった、無い。
 ああ、でも……次に会った時、なんと言えば……?


「……えっ?」


 本の状態を確認していたら、気付きました。
 挟んでいた筈の、あの紙幣が消えていた事に。
 今以外に落とすような場面はありませんでしたし、
周囲を探してみても……見つかりませんでした。



 思えば、あの紙幣が全てのきっかけだった様な気がします。
 良い事もあったにせよ、高くつきすぎでは無いでしょうか……。


おわり

720: 名無しさん 2019/04/18(木) 22:39:07.50 ID:HgJr7bveo

「……!」


 唇を噛み締め震えながら歩く彼女に、今は寄り添う事しか出来なかった。
 彼女は、屋外でのLIVE終了後に……腹痛を訴えた。
 同ユニット内のメンバーの方の、露出多め、という言葉。
 彼女もそれに賛成し、ヘソ出しの衣装に身を包み、お腹を冷やしてしまったのだ。


「……頑張ってください」


 ゆっくりと歩く、小さな姿。
 LIVEの時、ステージの上で見せた天真爛漫な笑顔は見る影もない。
 爽やかさとは程遠い、額に浮かんだ脂汗。
 苦痛が、まだ幼い彼女を苦しめているのが、わかる。


「うんっ……!」


 私の言葉に反応し、彼女はこちらを見て……微笑んだ。


「っ……!」


 踏みしめられた花が、それでも太陽へと向けて咲く様な。
 暗い闇が支配するトンネルの先には、必ず光が待つと信じているかの様な。
 そんな……良い、笑顔。
 思わず締め付けられた胸の痛みに耐え、力強く頷く。


「……!」


 スタッフ用の仮設トイレまでは、あともう少し。
 そう、ほんの10メートル程度で……視界には、映っている。
 駆け足になれば、すぐにでも届き得る距離だ。
 だが、その駆け足という行為が……最速の行動こそが、最悪の結果を生んでしまうのだ。


「もう、少しですから……!」


 それ程までに、彼女の腹……いや、お腹には限界が来ていた。
 確認はしていないが、この痛がり方から察するに、
LIVEの最中から既に彼女は痛みを感じていたのかも知れない。



「えへへ……頑張る……!」



 しかし、ファンの方の笑顔のため。
 アイドルとして、最高のパフォーマンスだけを魅せるため。
 彼女は、笑顔の力――パワー・オブ・スマイルでもって、
痛みを忘れ去り、置き去りにしていたのだろう。


「……!」


 その代償が、今の彼女の状態だ。
 当然、私に何か出来ることはないかと問うてみた。
 しかし、返ってきたのは、首を横に振る動作。


 ――えへへ……安心したら、出ちゃうよ。


「頑張ってください……!」


 そう言われ、慌てて彼女から離れた時、思った。
 私に触れられると安心して頂ける事を喜べば良いのか、
爆破スイッチのような扱いをされて寂しく思えば良いのか、どちらだろう……と。

723: 名無しさん 2019/04/18(木) 23:08:04.66 ID:HgJr7bveo

「もう……ちょっと……!」


 目尻に涙を浮かべながら、
一歩と呼ぶには短すぎる距離を靴を地面に擦りながらの移動。
 足が接地する時の衝撃すら、彼女にとっては拷問なのだろう。
 見事なすり足……此処が、武道館です。


「はい……もう、少しです……!」


 まだ、幼い。
 まだ、子供。


「……!」


 ……彼女の事をそう考えていたのだが、改めなくてはならない。


「もう……ちょっと、ぉ……!」


 履いているのはガラスの靴ではなく、動物のぬいぐるみがあしらえてあるポップなスニーカー。
 纏っている衣装はドレスではなく、カラフルなヘソ出しのステージ衣装。


「はぁ……っ、はぁ……!」


 だが、彼女は紛れもなく――シンデレラだ。
 諦めず、自分の足でここまで辿り着いた事に、私は感動すら覚えていた。


「っ……!」


 ――どうぞ、ビニール袋です。


 ――お姉ちゃんなんだから、ちゃんとトイレでする。


 そんな、仮設テント内での会話が思い起こされ、不意に涙がこみ上げてきた。
 私は、慌てて眉間に力を込め、意志の力でそれを断ち切った。
 彼女が、泣き言すら言わずに居るのに、担当プロデューサーの私が涙すべきではない。
 輝く笑顔のお姫様に相応しいのは、涙ではないのだ。


「ついたぁ……!」


 小さな手が、仮設トイレのドアにかかった――



 ――……が、



「あ、今出まーす★」



 待ち受けていたのは、あまりにも無慈悲な現実だった。


「……」


 はい……今、出ました。


「……」


 彼女の顔からは全ての感情が消え去り……ただ、無が存在していた。

725: 名無しさん 2019/04/18(木) 23:36:53.97 ID:HgJr7bveo
  ・  ・  ・

「……」


 ――女の子がトイレ使うのに、近くに居るとか有り得ない!


「……」


 そう言われて、私は今、仮設トイレから少し離れた位置に居る。
 彼女からしてみれば、当然の言葉だったのは、わかる。
 しかし、あの時の状況を考えれば、
平時と同じ対応をする事が正しいとは言えなかった。
 だが、


「……」


 ――えへへ、心配してついてきてくれたんだよね?


「……」


 彼女は、そう言って……笑ったのだ。
 手を後ろで組み、上半身を前に倒し、上目遣いで。
 傍から見れば、とても可愛らしい仕草だろう。
 しかし、悲しい真実は……そうではないのだ。


 後ろで組んでいるように見える両手は、尻を必死に抑えている。


 上半身は倒したのではなく、直立するのすら困難なだけ。


 上目遣いな瞳の奥にあるのは――……優しさ。


「……」


 漏らしてしまった事を悟られまい、と。
 気付かれてしまっては絶対に駄目だ、と。
 崩れ落ちそうになる城壁を必死に支え、守ろうとしたのだ。
 だから、私は……大人しく、あの場を離れるしかなかった。


「……」


 あの仮設トイレの中で、何が起きているのだろう。
 その……大をしている、というのはわかってはいます……はい。
 汚れてしまっただろう下着や、数々の問題。
 そして、あのドアが開いた時に……何と、声をかけるべきなのか。


「……」


 スーツの右ポケットに手を入れ、中に入っていたビニール袋をクシャリと潰す。
 その時――


「っ!」


 ――仮設トイレのドアが、開いた。
 中から顔を覗かせた彼女は、少し辺りを見回し……私の姿を捉えると、


「えっ?」


 ちょいちょい、と。
 近くに来るよう、手招きしてみせた。

726: 名無しさん 2019/04/19(金) 00:10:33.83 ID:+K3HxB/9o
  ・  ・  ・

「……ごめんね、プロデューサー」


 申し訳なさそうに、眉をハの字にして彼女は謝ってきた。


「いえ、謝る必要はありません」


 しゃがみこんで、目線の高さを合わせて。
 彼女の目を真っ直ぐに見据え、言う。


「でも……」


 いつも元気いっぱいの彼女の顔が、曇っている。
 理由は恐らく、私の左手が掴んでいるビニール袋の中身のせいだろう。
 しかし、なればこそ、その雲は晴らさなくてはならない。
 私の心は今、彼女という太陽のおかげで、青く澄み渡っているのだから。


「私は、貴女のプロデューサーですから」


 私は、あまり感情が顔に出る方ではない。
 だが、今の私は、自然と微笑んでいる事だろう。
 私の想いが伝わって欲しい、と……そう、思います。


「……えへへ」


 照れくさそうな、こそばゆそうな……そんな、笑顔。
 彼女の輝きを封じ込めていた分厚い雲は、少しは晴れた様だ。
 ……本当に、良かった。



「――ありがと、プロデューサー」



 不意に回された、彼女の両腕。
 右の首筋に触れた感触は、恐らく顔だが……一体、どの部分だろうか。
 そして、私がそれに反応する暇もなく、彼女は離れ、


「えへへっ♪」


 とても……良い、笑顔を見せてくれた。
 その笑顔のまま、彼女は元気よく、仲間の待つ場所へと戻っていった。


「……」


 ――お腹が痛くなってしまうかも知れないから。
 ――妹がオムツを着けている感じを知るために買っていたから。


 万が一の場合に備えて……彼女は――オムツを履いていたのだ!


 子供と言うのは、いつの間にか成長しているものだ。
 あの歳でオムツを履くのを成長とするかは、この際置いておこう。
 ですが、彼女は……その……立派です、間違いなく。


 ……この先も、私の行く道には困難が待ち受けているかも知れない。
 しかし、時には奇跡が起きる事も有ると知れただけで、頑張れます。





おわり

806: 名無しさん 2019/04/21(日) 21:22:47.28 ID:L56yI6sK0
アニメでの楓さんも大概チート、創立3年目の部署のアイドルのくせにCM数多すぎー
ぶらり温泉旅特集シリーズとか好き勝手やってたんだろうな

807: 名無しさん 2019/04/21(日) 21:31:34.95 ID:u0dU62x6o
346プロダクションは美城芸能の新部門という枠だから
モデルとしての高垣楓の経歴はある程度あるんじゃね
というか、高垣楓が当たったからプロダンジョン作った可能性すらあるし

808: 名無しさん 2019/04/21(日) 22:18:10.80 ID:Amg4rqXZo
>>806-807
書きます

809: 名無しさん 2019/04/21(日) 22:43:52.59 ID:Amg4rqXZo

「新規部門の立ち上げ……ねぇ」


 右手を首筋にやって、廊下を歩きながら呟いた。
 アイツめ、やってくれるじゃないか。
 気心の知れた仲ではあるにせよ、もう少し伝え方というのも考えて欲しいね。
 おかげで今は、煙草が吸いたくって仕方が無い。


「……」


 我らが346プロダクションは、老舗の芸能プロダクションだ。
 俳優や歌手等も多く所属し、テレビや映画に限らず、
映像のコンテンツに関する企画も幅広く行っている。
 社内に撮影施設もあり……まあ、非常に儲かっている会社さ。


「……」


 業界内にも多く、そして、太いパイプを持ち、
それらのほぼ全てがうまく機能している。
 モデル部門では、雑誌の表紙やCMに出演する新人も出てきた。
 あの子は、きっと金の卵ってやつだろう。


「……っとと」


 いけないいけない、思考が脇道にそれてしまった。
 私も、歳を取ったという事かねぇ。
 どうも、真っ直ぐに目的地に向かうのが下手になってしまったよ。
 ま、喫煙室には真っ直ぐに向かえる……っと、コーヒーを買っていこうか。


「……」


 廊下を曲がって、談話スペースへと向かう。
 あそこの自販機じゃないと、甘いカフェオレは売ってないんだ。
 いつもはブラック派だが、今日はちょいとばかり事情が違う。
 なにせ、考え事をするからには脳に糖分を送らないといけないからね。


「……」


 アイツと古くから付き合いのある社員が、部屋に呼ばれて。
 会議の予定は無かっただろうと気を抜いていたら、これだ。


「……」



 ――我々の求める、アイドルの理想像。



「……」


 奴は、本当にやってくれたよ。
 まさか、あの言葉を言うためにこの会社を大きくしてきたんじゃないか、
なんて錯覚すらしそうになったんだから。
 だが、わかってしまうんだよ……残念ながらね。


「……」


 この男は、思いつきで物を言っている、ってね。
 そして、我々は――346プロダクションは、それを実現するだけの力がある。
 嫌らしいのは、付き合いの古い面子の中でも、
こういう時にストッパーとなる奴を呼び出さなかった事だね、間違いない。

810: 名無しさん 2019/04/21(日) 23:12:06.28 ID:Amg4rqXZo
  ・  ・  ・

「よっこいせ、っと」


 自販機の取り出し口から、缶コーヒーを取り出す。
 こういう時に掛け声を言ってしまうのは歳をとった証拠だって?
 ははは、馬鹿を言っちゃいけない。
 証拠が無くても見ればわかるってものだろう?


「……」


 ひんやりと冷たい缶を軽く弄び、喫煙室へと向かう。
 長年親しんできたあの部屋と、もうすぐお別れになってしまう。
 喫煙者の減少や、昨今の禁煙の流れに乗って……と言うことらしい。
 時代の流れというのは、本当に厳しいものだ。


「……」


 あの部屋の壁紙は、もう煙草のヤニ汚れが取れなくなってしまっている。
 張り替えたのは、コスト削減という名目で随分と前だったかな。
 ……寂しいねぇ。
 実に、寂しい。


「……」


 気合で勝ち取った喫煙スペースの設置まで、お世話になるよ。


「おっ」


 喫煙室のドアを開けると、中には誰も居なかった。
 これは、一人でゆっくり考えろという神様の思し召しかな。
 中に入って、ドアを閉める。
 この部屋に染み付いた臭いは、非喫煙者の人からすればたまったものじゃないだろうしね。


「……」


 嫁に言われて、子供に言われて、健康のために。
 そう言って、数多くの仲間がこの部屋に通わなくなっていった。
 それは、喜ぶべきことであり、私も祝福の言葉を投げつけてやったよ。
 胸のポケットから煙草の箱を取り出し、
クンとフィルター越しに香りを楽しんでから口に咥え、火をつける。


「はぁ……」


 意識していなかった緊張が、紫煙と共に口から出て、消えていく。
 ニコチンが、たるんだ脳細胞を締め上げ、思考をはっきりさせる。


「ふぅ……」


 呼ばれた面子は、多様性に富んでいた。
 真面目で頑固一徹な奴も居れば、飄々として掴みどころのない奴も居る。
 嫁さんに尻に敷かれていたり、すぐに孫の話をしだす奴だって居る。
 要するに、バラエティーに富んでいる、ってやつさ。



「……部長、ねぇ」



 ――お前がやるだろう?


 なんて目で、部屋に居る全員が見てくるんだから、敵わないね。

811: 名無しさん 2019/04/21(日) 23:43:12.85 ID:Amg4rqXZo

「ふぅ~っ……」


 深く吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出し――


 ――さあ、考えよう。


「……」


 我々には、これまで芸能界で食ってきたノウハウがある。
 アイドル事業に参入するのも、それほど難しい話ではないだろう。
 むしろ、業界からは非常に注目を集めるだろうね。
 何せ、346プロダクションが立ち上げるアイドル部門、なのだから。


「……」


 城は、ある。
 それも、大きく……これ以上を望むのは欲張りだろう、と言える程の美しい城が。
 レールも敷ける……いや、この場合は、階段と言うべきかな。
 それも、立派なものを用意するだけの自信がある。


「……」


 しかし、人が居ない。
 お姫様――シンデレラどころか、それを導く魔法使いも居ない。
 魔法使いは年寄りの場合が多いが、それだけじゃあ駄目だ。
 年寄りでは思いつかないような、出来ないような熱量が欲しいのだから。


「……」


 やるからには――「新しい」アイドルのカタチ。
 それを求めなければ、346プロダクションが参入する意味がない。
 だって、そうだろう?
 普通のアイドル事務所には出来ない事が、我々ならば出来るんだ。


「……」


 集めるならば、優秀な人材を。
 情熱に溢れた、若者を。


「……いやはや、色々と大変だなぁ」


 落ちかけていた煙草の灰をトンッと灰皿に落とし、
少しぬるくなってしまった缶コーヒーのプルタブを開ける。
 ……うん、甘い。
 甘い物というのは、時たまこうやって口にするとどうしてこんなに美味いのか。


「……」


 アイドルは、スカウトとオーディションで……だな。
 オーディションを任せられるのは……あちゃあ。
 早い段階で、アイツを説得しなきゃあいけないのか。
 新しい事には消極的だが、人を見る目は確かだからねぇ。


「……はっは!」


 ああ、もう。
 年寄りの胸をこんなに踊らせるんじゃあないよ。
 これはもう、高い酒を奢って貰わなきゃ割に合わない。
 娘に睨まれるからとしぶるだろうが、知った事じゃあないね!

812: 名無しさん 2019/04/22(月) 00:36:34.89 ID:FF8m/BLBo
  ・  ・  ・

「……」


 我が、346プロダクションのアイドル部門の目標。
 それは、多くのプロジェクトを同時に動かす事によって、
才能のあるアイドル達に活躍の場を提供する事だ。


「……」


 だが、まずは……まだ見つかっていない才能のあるアイドルが、
城へ来たいと思うようにしなくてはならない。
 そのための仕掛けは、我ながら上手く行っていると思う。


「……」


 地方局出身の元女子アナの子に、自分はカワイイと自信に溢れた子。
 読者モデルだった子や、九州から出てきた私服がユニークな子。
 同年代の女子に支持されているギャルの子に、とても元気なラグビーが好きな子。
 現役の女子大生で少しばかり暑がりな子に、突然やってきたモデル部門の子。


「うんうん」


 なんとも、バラエティーに富んだ面子じゃあないか。
 これからも、もっと個性溢れる子達が集まってくるだろう。
 ……何故、言い切れるかって?


「……」


 それは、私の前でまだ緊張が解けない彼らが――プロデューサーだからさ。


「……」


 誰も彼も情熱に溢れ、理想を目指している。
 良いね。
 若者は、こうでなくっちゃあいけない。
 一人一人の顔を見て、頷く。



「私が、アイドル事業部部長の今西だ」



 まだ言い慣れない、自己紹介。
 だが、言い終わった後にニヤリと笑う。
 それを見たプロデューサー達が、口の端を釣り上げた。
 そうだ、緊張なんてしている暇は、君たちには無いよ。


「これから一緒に、楽しんでいこうじゃあないか」



 346プロダクション、アイドル部門が設立され、始動した。
 今後、一体どんなお姫様達が城へと来るのかは、まだわからない。
 だが、この事業は必ず成功させてみせるさ。


 酔った勢いで、失敗したら禁煙してやる、なんてアイツに言ってしまったんだから!




おわり

821: 名無しさん 2019/04/22(月) 22:19:59.82 ID:FF8m/BLBo

「あの……こ、この会場は……なに……?」


 お母さんから、ホラー映画の試写会みたいなものって言われてて。
 でも、スクリーンなんて、どこにもなくって。
 むしろ、見られているのは……私の方。
 名前を呼ばれたから返事をして、質問してみたけど、声がうまく出せない。


「私、よく知らないまま、来たんですけど……」


 だけど、何か言わなくちゃいけないと思って、必死に喋る。
 喋れば喋るほど、私を見る視線は――どうしよう――というものに変わっていく。
 いつも向けられる、この目。
 皆には見えないお友達の事をちょっとでも話した時の目。


「……」


 眼鏡をかけたおじいちゃんも、右手を首筋にやって困ってる。
 それに、横に座ってた綺麗な女の子達も、チラチラとこっちを見てる。


 ――どうして此処に居るんだ。


 ……そんな風に思ってるんだろう、って……ハッキリわかる。


「う、うう……」


 パーカーの袖を握りしめて、俯いた。
 前髪で、私の顔が全部隠れれば良いのに、なんて思いながら。
 今日は、とっても楽しくなると思ったのに。
 もう……もう、嫌だよ……!



「アイドルのオーディションです」



 低い声が、響いた。
 大きい声じゃないんだけど、静かだったから……ハッキリ聞こえた。


「あ、アイドル……?」


 思ってもみなかった……なんて、事は無くて。
 もしかしたらそうなんじゃないか、とは薄々気付いてた。
 だって、前に質問されてた子が、とってもキラキラした答えを返してたから。
 だけど、


「ど、ど、どうして私がそんなところに……」


 絶対に、私には向いてない。
 まず、明るい場所が苦手。
 お母さん、外に出た方がいいって言ってたけど……。
 でも……だからって、


「と、突然アイドルのオーディションなんて……」


 ……今だって、怖くてたまらないのに。


「う、うう、ううう……」


 喉から勝手に声が出て、涙も出てきた。
 ゾンビがこの場に居たら、今すぐに食べて欲しい……勿論、私を。

822: 名無しさん 2019/04/22(月) 22:39:03.30 ID:FF8m/BLBo

 だけど、



「なにか話してください」



 また、低い声が響いた。
 私が泣いていると思って、少しざわついた部屋。
 それでも聞こえたのは、真っ直ぐ私へと向けられてたから。


「しゃ、喋れない……」


 その低い声の男の人は、皆に見られていた。
 だから、さっきよりもちょっと楽になって……そう、言えた。
 あ、あ……相手は大人の人だから、今のじゃ駄目……だよね。
 け……敬語、使わなきゃ……!


「喋れないん……です」


 きっと、怒られると思った。
 話して下さいって言われたのに、出来ないって言ったんだもん。
 でも、男の人は全然表情を変えなかった。
 まるで……ゾンビみたいに。



「それは、何故ですか?」



 な、何故?
 どうしてって、それは……。


「人と話すの……とっても、苦手だから……」


 普段でも、誰かと話すのは苦手のなのに。
 今みたいに、知らない人と話すのは……もっと無理。



「成る程……そう、ですか」



 そう言って、男の人は手元の紙に何かを書き込んだ。
 多分、私が今言ったことをメモしたんだと……思う。
 ……それが、当然の事みたいに。
 だから、わかった。


 ――この人は、アイドルのオーディションをしてるんだ。


 ……って。
 だけど、私はどうしたら良いのか、全然わからない。
 でも……この人なら、



「なにを話したら……いいですか?」



 こうやって聞いたら、ちゃんと答えてくれると思った。
 いつもみたいに……苦笑いして、終わったりなんかしないで。

823: 名無しさん 2019/04/22(月) 23:03:11.48 ID:FF8m/BLBo

「わ、私、明るくなくて……無口だし……」


 そんな私は、何を喋れば良いですか?


「その……」


 ……アイドルのオーディションだって、わかってるけど。


「かわいいことなんて、なにも……」


 私がそう言うと、


「……」


 男の人は少しだけ考えて、



「では、趣味の話を」



 表情を変えずに、言った。
 ……趣味?
 私の話じゃなくって……いいんだ?
 ……それなら、出来るかも。



「えっと……ほ、ホラー映画が好き……です!」



 それから私は、ホラー映画の中でも、特にゾンビが出てくる映画が好きな事。
 ゾンビは、ノロノロ歩いて、襲ってきて、可愛いと思っている事。
 あと……パニックものが、最高な事も!
 今まで、ほとんど話した事の無い――



「怖いけど、ゾンビはかわいくて……ふふ、ふふふふ……!」



 ――私の話をした。
 その間も、男の人は私の事をずっと見ていた。



「……良い、笑顔です」



 えっ?
 あの……今、何か言いましたか?
 でも、気のせいだったかも知れない。
 だって……う、うん……気のせいだよ……。


「ありがとうございました」
「は……はい」


 ほんの少し、もうちょっとだけ。
 お喋りしたかっ――


 ――……あ……喋れてた。

824: 名無しさん 2019/04/22(月) 23:38:16.61 ID:FF8m/BLBo
  ・  ・  ・

「――かわいいから合格!」


 オーディションが終わったのに、私だけ残れって言われて。
 そうしたら、眼鏡をかけたおじいさんが、ニコニコと笑いながら、そう言った。


「か、かわいいって……」


 何を言ってるんだろうと、他の人達も見てみる。
 表情は、同じ。
 皆、ニコニコと笑ってた……一人だけ、笑ってなかったけど。


「……ゾンビじゃなくて?」


 私がそう言ったら、


「君がだよ。さすがに、ゾンビを合格にするのは難しいからね」


 私が?


「か……かわいくない……ですよ……! かわいくないです……!」


 そ、それに……合格?
 合格、って……え、えええ……。


「新作のホラー映画かなにかですか……?」


 いきなりゾンビ化……じゃなくて、アイドル化なんて。
 パニックになりそうになった私は、あの人を見た。
 ゾンビみたいに、表情が変わらなくて。
 今も真っ直ぐに私を見ている、あの人を。


「ホラー映画の出演を希望される……という事でしょうか?」


 え、えええ……!?
 私が、ホラー映画に出られるの……!?


「た、食べられる方も……た、食べる方でも……!」


 そんなの、思ってもみなかった!
 ……と、立ち上がりかけた私に、眼鏡のおじいちゃんは苦笑いしながら、言った。
 声の低い男の人は、あんまり人と話すのが得意な方じゃない、って。


「そ、そう……なんだ……」


 でも――


「えへへ……い、一緒……だね」



 ――この日、私はアイドルになった。
 アイドルは、やりたかったわけじゃなかった。
 でも……電話をして、お喋りをする練習を一緒にしよう……って。
 そう約束したから、生きてる間は頑張ろうって思えた。





おわり