2: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/11(土) 23:58:29.61 ID:bVJyxWqO0
『プロローグ』『宣材写真』『面談』 

P「申し訳ありませんが高木さんに折り入って頼みがあります」 

俺は、歳が離れてはいるが旧知の仲である高木順二郎さんに頭を下げてそう言った。 

高木「君は水瀬君のところの……一体どうしたというんだい?」 

高木さんはアポを取った時も驚いたような声を出したが、今もまだ驚きを隠せないようだった。 

P「少しばかり、家庭内で不和が生じてしまい家を出ることになってしまったんです」 

高木「なんてことだ……私にできることなら何でも言ってくれ」 

P「高木さんならそう仰って下さると思いました。ではひとつお願いがあります」 

高木「ああ」 

P「高木さんのもとで働かせてください!」 

持っていたすべての誇りをなげうって、膝をつき頭を地面にこすりつける。 

高木「!! ……よしてくれ。ほら、顔を上げるんだ」 

P「ですが…」 

高木「何か事情があるのだろう?」 

P「…はい」 

高木「…うむ。なるほど、父親と衝突して君は勘当されてしまったわけか」 


引用元: ・P「伊織か?」伊織「お兄様!?」 Re:

3: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/11(土) 23:59:29.03 ID:bVJyxWqO0
P「ええ、恥ずかしい話ですが…」

本当に恥ずかしい。

なんと情けないことだろう。

高木「でもちょうど、うちも従業員不足でね、人手が欲しかったところなのだよ」

P「そう言っていただけると助かります」

高木「私がどんな計画を立てているかは知っているかい?」

P「ええ、アイドルを養成、プロデュースして売り出す。という認識で間違いありませんか?」

高木「ああ、それで構わないよ。そして、君にはその売り出すまでをやってもらうが、いいかね?」

P「はい、もちろんです。私に出来ることは何でもやります」

高木「では、来週の頭からさっそくうちに来てくれたまえ。設立のためにいろいろやることがあるからね」

P「明日からでも構いませんが…」

高木「何を言ってるんだ。君にもやることがたくさんあるだろう。まずは居を構えないといけないからね」

P「いえ、そこまで迷惑をかけるわけには……」

高木「いいのだよ。君の活躍の前投資だと思えばね。……ということで期待しているよ! はっはっは……!!」

P「まいったな……」

こんな落ちこぼれに期待されても……とは思ったが、同時に自分はこれを機に変わらなければならないと切に思った。

5: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:00:31.40 ID:bOdoSl9s0
……というようなことから二年あまりが経った。

高木社長はアイドルプロダクションを設立する計画を立てていた。

すでに音無小鳥さんという女性も事務員として設立初期のメンバーに加わっていた。

俺たちは資金集めから始めて、その二年という時間をかけてようやくスタート地点にたどり着く。

もちろん社長には感謝してもしきれないので、どれほど時間をかけても彼に協力するつもりでいたのだが、ちょっと動揺するような出来事が起こる。

それは所属することになったアイドル達との初顔合わせの時だったのだが、どうにも見知った顔がいるなとは思っていた。

伊織「初めまして、私『水瀬伊織』と申します。今後ともよろしくお願いするわ」

長いスカートを上品に持ち上げ、可愛らしくお辞儀をする少女にやはり見覚えがあった。……というか妹だった。

伊織「…え? お、お兄様!?」

顔を上げた伊織は俺の顔を見て驚愕の表情を浮かべた。

周りもついていけずに呆然としていた。

P「人違いだ」

咄嗟にそう答えてしまった。とにかく顔を合わせづらかったというのはあった。

伊織「嘘……私がお兄様の顔を忘れるはずがないもの……」

そう、そんな嘘はすぐに見破られるわけで……ちょっと気まずくなった。

P「まあ、なんだ久しぶりだな伊織」

観念して兄であることを白状する。

伊織は上品に笑うと、足を一歩引いた。

6: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:01:09.48 ID:bOdoSl9s0
アイドル加入からしばらくして……。

P「まずはみんなにレッスンしてもらわないとですねー」

小鳥「そうですねー」

俺と音無さんはこんな風に会話しながら事務をこなす。

P「まあ、みんな次第ですが最低三か月は我慢してもらわないと話になりませんねー」

小鳥「そうですかー」

P「でもみんな、頑張ってるので問題なさそうです」

小鳥「それは安心ですね」

P「今度、宣材写真でもとろうかなと思ってますけど、予算大丈夫ですか?」

小鳥「ちょっと待ってください……ええ、なんとか捻出できそうですね」

P「かつかつですねー」

小鳥「かつかつですよー」

何の気ない会話がだらだらと続いているが、二人してどうにかこうにかアイドル達を売り出そうと必死だったりする。

撮影当日。

P「さてお前ら、揃ってるか? これから宣伝用の写真撮りに行くから外に出て車に乗っといて」

『はーい』

P「グループ分けは任せる。手前にあるのは俺、向こうのは音無さんが運転する」

亜美「兄ちゃん、ファンタスティックな運転を頼むよ」

真美「兄ちゃん、そんでもってエキセントリックな運転を頼むよ」

P「何言ってんだ双子……それと兄ちゃん言うな」

7: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:01:43.67 ID:bOdoSl9s0
伊織「そうよ亜美、真美、あなたたちの兄じゃないでしょ! 私のお兄様なんだから!」

P「お前もプロデューサーと呼びなさい」

伊織「嫌よ。お兄様って昔からそういうところは堅苦しかった気がするわ」

P「当たり前だ。仕事なんだからな」

伊織「でも仕事じゃないとお兄様に会えないじゃない…」

P「あのなぁ伊織、仮にもお前はアイドルだし、俺は家を追い出された身なの。プライベートでお前と会ってたらアイドルやめさせられちまうぞ?」

伊織「いつもは会えないんだから仕事場くらいではお兄様って呼んでもいいじゃない!」

P「……はぁ、わかったよ。好きにしろ」

こんな強情な子だったっけ? でもお兄様は伊織が強く育ってくれて嬉しいよ。内心で血の涙を流しつつ……。

伊織「元よりそのつもりよ」

亜美「じゃあ、亜美は兄ちゃんの方に乗るね」

真美「真美も! 兄ちゃんよろよろー」

P「おい双子、兄ちゃんはやめろっつっただろが」

この双子が来るとなると車内が騒がしくなりそうだ。……別にいいんだけどね?

8: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:02:11.46 ID:bOdoSl9s0
伊織「私もお兄様の方でいいかしら、やよいも一緒に乗りましょ?」

伊織は高槻を誘って俺の運転する車に乗る。

やよい「うん! 伊織ちゃんも良かったね!」

伊織「な、なんのことよ…?」

やよい「だって伊織ちゃんこの前、お兄さんの傍にいたいって……」

伊織「わぁーーーーーーーー!!!!!!」

P「うっせーぞ伊織!いいからお前らさっさと乗れ!」

律子「じゃあこっちの騒がしそうな方には私が同伴しましょうか……」

P「お、おう。秋月、助かる」

プロダクション内の監督役的な秋月がいてくれて助かる。

真「じゃあ僕たちは小鳥さんの方だね。雪歩はプロデューサーダメみたいだし」

P「なに? おい菊地どういうことだよ」

というか、ダメって何だ。

真「雪歩は男の人が苦手みたいなんですよ。だからプロデューサーがいない方がいいみたいです」

P「やめろ菊地。まるで俺の存在を否定するかのような言い方」

これが無意識なのかわざとなのか……。わざとだったら性格が悪いが、無意識だったら性質(たち)が悪いな。

9: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:02:39.07 ID:bOdoSl9s0
P「というか萩原、そうなのか?」

雪歩「ひぅっ! はいぃ、実はそうなんですぅ……」

P「おいおい。それなら先に言ってもらわないと困る。ていうかそんなんでアイドルできんのか?」

声かけただけで怯えてるし。

雪歩「ううぅ……そうですよね、こんなダメダメな私……穴掘って埋まってますぅぅぅ!!」

P「って、おい! 駐車場に穴を掘るんじゃない! っていうかどうやったらスコップでアスファルトを掘ることができる!?」

前途多難すぎる……。

春香「あはは……じゃあ小鳥さん。お願いしますね」

千早「お世話になるわ」

あずさ「助手席、失礼します。うふふっ」

俺の方がもういっぱいいっぱいになったので苦笑いをしながら天海、冷静な如月、おっとりとした三浦は音無さんの運転する車に乗る。

小鳥「はいどうぞー!」

撮影前からこんなドタバタで大丈夫か?

……と思ったのも束の間、撮影自体はスタッフさんに迷惑をかけるようなこともせず滞りなく進行していった。しかし、双子、お前らはもっと落ち着け。

10: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:03:38.14 ID:bOdoSl9s0
興味があるものには近寄り、いろんな機材をいじりいじり。

スタジオ内を駆け回り、あの人この人にいたずらをしかける。

P「おいこら、双子、ちょっと来い!」

とんでもないことをする前に俺が説教することにした。

亜美「兄ちゃんがあんなにしょうろんで怒るなんて……」

真美「まみ結構怖かったかも……」

律子「小論って……正論って言いたいのかしら? とにかく、これ以上プロデューサーを怒らせたくなかったら大人しくしなさい。次は私もセットですからね!」

真美「うあうあー! そんなことになったら真美、本気で泣いちゃうかも……」

亜美「おお、真美くん、泣いてしまうとは情けない!」

P「亜美は説教が足りねーのか?」

亜美「……ごめんなさい」

P「よろしい」

そう言って双子の頭をなでてやる。しかたない、まだ子供だ。

11: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:04:07.28 ID:bOdoSl9s0
子供だがプロとして働く以上は社会人でもある。というのが勝手ながら俺の意見。

自分で決めた道と言っても年相応の覚悟しかないだろうし、認識も甘い。

だが彼女たちはそれでも、大人の世界に片足どころか全身を突っ込んで歩んでいかなければいけないのだ。

多少辛い思いをしても、大人の誰かがその辛い思いを子供たちに教えていかないといけない。

とにかく今は学んでほしい。経験を積んでほしい。

亜美「兄ちゃん……ごめんなさい」

真美「真美もごめんなさい」

P「次から気を付けてくれ。いきなりああしろ、こうしろ、なんて言ったってできっこない」

真美「真美にもお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな……」

P「さあな。本当の兄貴だったらきっとお前らのことをもっと理解してるさ」

亜美と真美は現場の人たちに謝って回っていた。やればできる子たちなのだ。現場の方たちもさすがは大人、笑って許してやっている。そもそも怒ってすらいなかったのかもな。

P「よし!!とりあえず亜美と真美は着替えて撮影に行っておいで」

『はーい!』

他の子は撮影どうかな?

心配なのは特に萩原と高槻かな……。

12: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:04:34.41 ID:bOdoSl9s0
P「おーい、高槻」

やよい「はわっ! な、何でしょうかプロデューサー!?」

P「いや、大丈夫かなって思ってな。やっぱ緊張してるか?」

俺は中腰になって高槻に視線を合わせる。

やよい「あの、その……」

P「あー、わかったわかった。不安なのはわかる。こんなん初めてだから緊張もするよな……」

やよい「はい……でもあずささんはとってもピシッとしててかっこいいです……」

P「ああ、三浦はなんか余裕あるよな。天海とかもノリノリになったらすごいよな」

やよい「やっぱり私には無理なのかなぁ……」

P「泣くな、泣くな。一見かっこよく見える三浦もなぁ、ちょっと見てろ」

俺は立ち上がってカメラマンの斜め後ろに高槻を連れていく。

やよい「プロデューサー?」

俺は答えずに三浦に向かって手を振ってみた。

すると三浦の凛々しく大人びた、そのたたずまいが嘘のように顔を綻ばせ、こちらに手を振り返している。これが彼女の素なのだ。

「お! いいねぇ! さっきとのギャップがグッドだよ!!」

これにはカメラマンも感心。三浦の視線を追いかけて俺と視線がぶつかる。

カメラマンは親指を立て、俺もそれに応える。

13: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:05:23.89 ID:bOdoSl9s0
P「見てたか高槻?」

隣の高槻に視線をやると彼女は目を丸くして三浦を見ていた。しばらくして驚きの表情のままこちらに振り返る。

P「三浦も緊張してたってことだ。人は見かけじゃわかんねーよな。ほら見てみろ、さっきよりいい表情になってないか?」

やよい「本当だ……プロデューサー、すごいです!」

P「えーっと、つまり何が言いたいかっていうとだな……高槻のこともちゃんと見ててやるから、緊張すんなって」

やよい「はい! プロデューサーが見ててくれたら私も安心かもっ! 私もうわぁーってなったら手を振ってください!」

『うわぁー』ってなんだ?と高槻のまれに難解な高槻語に一瞬思考が止まりかけたが、『不安になったら視線を送るから勇気づけてください』と勝手に解釈した。

これなら高槻の撮影は俺がついていたら上手くいきそうだな。

問題は萩原か? カメラマンが男ってのが特に問題。

P「萩原ー?」

雪歩「は、はいぃ! ななななんでしょうか、プロデューサー?」

萩原は返事をするも距離がやや遠い。俺はため息が出そうになった。

P「俺にもまだ慣れないか?」

雪歩「ごめんなさい……」

P「いやいいんだ。ちょっと話がしたいと思っただけだからさ」

雪歩「話って、私がダメダメだからお説教ですか……?」

おずおずと尋ねる萩原。自虐的すぎるのでは?

P「まさかね。それとも何か失敗したのか?」

雪歩「……どうなんでしょうか?」

14: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:05:55.90 ID:bOdoSl9s0
P「心当たりがないってことは大丈夫だ。それより撮影の方は大丈夫か?」

雪歩「あの、カメラマンの方が……」

P「男性だから怖いですってところか」

萩原は小さくうなずいた。

P「萩原。こっちへおいで」

実は結構な距離を保って会話をしてたのだった。

俺はひざまづいて目線を落とし、高圧的にならないように気を付けて、また萩原が怯えないようにできる限り優しく言った。

萩原は依然としておどおど、あたふたしてたがゆっくりゆっくりと近づいてきてくれた。

P「おお、よく来れた。やればできるじゃないか。そんなに自分を卑下するなよ」

雪歩「は、はい。でもプロデューサーがずっと待っててくれたから、行けたのかもしれません」

P「そうかな? でもな萩原、これから番組に出演した場合みんなは待ってくれないと思う。どうする?」

俺の問いに困惑した萩原は、しどろもどろしながらも確かに口を開く。

雪歩「自分から、待ってくださいって……」

P「とってもいい回答だ。そうだよ、自分から何かを伝えれば受け取ってくれる誰かがいる。でも何かを伝えるには勇気が必要だ。アイドルを目指す君には必ず勇気がある。自信をもって……」

雪歩「はい。ありがとうございます」

はっきりと意志の通った声で萩原はお礼を言った。

そんな彼女に俺はひざまづいたまま手を差し伸べた。

15: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:06:32.50 ID:bOdoSl9s0
P「はい。握ってみて」

おそるおそると、萩原は両手で俺の右手を優しく丁寧に握った。

P「怖いか?」

雪歩「……はい、でもほんのちょっとだけです。プロデューサーの手、温かくて、優しい……感じがします」

P「それならよかった。よし、ここまで男に近づけたんだ。カメラマンさんはもうこれで平気なはずだ。いいや、平気じゃなければおかしい!」

雪歩「ふふっ……! ありがとうございますプロデューサー。ちょっと勇気出たかもです!」

P「ああ、行ってらっしゃい」

萩原の顔にもう困惑の色はない。俺も上手くコミュニケーションとれたかな?

撮影はしばらく続いた。天海と菊地はかなりノリノリだな。調子乗ってへましなきゃいいけど。

伊織も問題なさそうだ。意外としっかりしてるんだよな、あいつ。

双子もやるじゃないか。なんだかんだで撮影を心から楽しんでるように見える。

三浦は大人の余裕があるなって思ったんだけど、実際そうでもなかったんだよな。

今は伸び伸びとしてて、自分の持ち味が出せてるみたいだ。

萩原と高槻も緊張せずに魅力的に映ってるな。いや、萩原がまだ緊張気味か? あとでまた声かけとくか。

16: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:07:21.57 ID:bOdoSl9s0
何も問題なく進んでいると思われた宣材写真の撮影だったが……。

……なんだありゃ。

完全にノーマークだったのが秋月と如月だった。

そういやちょっとお堅いやつらだったな、と今になって思い出す。しっかり者のイメージが先行し過ぎたようだ。

カメラマンに一言断って秋月を連れ出す。

P「秋月、お前堅すぎ。如月もだけど」

ちょうど傍を通っていた如月も捕まえとく。

P「どうしたってんだ。しっかり者と堅物は紙一重だったか……」

律子「し、失礼ですね! これでも私なりに研究して……」

P「その研究の成果が出てないんだよ」

律子「うぅ……」

千早「ですがプロデューサー……私、どうもこういうのは苦手で……」

P「如月はクールな感じがまだ残っててマシだがなぁ……秋月に至ってはもはや怖い顔になってるぞ」

律子「なっ……! ふんっ! どうせ私は怖い顔してますよーだ!!」

と言いつつそっぽを向く拗ねた顔の秋月は可愛らしかった。

P「あ、その拗ねた感じ可愛いかも」

なので素直にそう言った。

律子「え? な、なんですか急に、今さらそんなこと……しかも拗ねた顔って、微妙です!」

P「照れてんの? 結構いいじゃん。なあ如月?」

律子「べ、別に照れてないわよっ!」

千早「そうですね。私も今の律子、可愛いと思うわ」

律子「ええ!? 千早まで……?」

とは言ってもそんな表情を宣伝の資料にするわけにもいかないのである。

17: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:07:52.05 ID:bOdoSl9s0
P「とにかく笑え、秋月」

秋月は意外に素直で、笑顔を作ろうとしていたがやはり怖い顔になってしまった。

それを見た如月はいい笑顔になっていた。如月、合格。

P「秋月はともかく如月はちょっとしたきっかけで魅力的な笑顔になれるじゃないか、今の感じでもっかい撮っといで」

千早「ふふっ! ……はい……ふふふふっ!」

律子「ち、千早ー!」

千早「ごめんなさい律子……でも……ふふふっ!」

P「よかったじゃないか秋月、お前の力で一人の少女を笑顔にできたぞ」

律子「腑に落ちません!」

如月はその勢いのまま撮影に戻った。どんな勢いだ。まあとにかく彼女は大丈夫だろう。

P「うーん。秋月が思ったより重症だな」

律子「……プロデューサーさっきから言いたいことをはっきりと言いすぎです! 私も傷つきます!」

P「いや、遠回しに言っても……あー、いや、そりゃ悪かった」

秋月がはっきり傷つくと言ったのだ。この真面目ちゃんは素直ちゃんでもあるのだから本当に傷つくのだろう。

P「まあなんだ。自信を持て、お前は控えめに言っても可愛いから。笑顔のお前がもっと可愛いことは俺もみんなも知ってるよ。だからもう少し頑張ってこい」

律子「……本当、何言ってるんですかプロデューサー。多分、無理ですけど、プロデューサーがそう言うんなら、もうちょっと頑張ってみます」

そう言って秋月は再び撮影に挑戦していった。

18: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:08:18.73 ID:bOdoSl9s0
俺も彼女の魅力を引き出せないまま今日の撮影を終えるのは避けたい。

P「三浦ー?」

あずさ「はーい。何でしょうかプロデューサー」

P「撮影終わってる三浦には悪いけど、ちょっと秋月と一緒に映ってきてくれないか?」

あずさ「はい、それはいいんですけど律子さん、どうかしたんですか?」

P「ああ、まあな。緊張気味であの通りだ」

二人で秋月に目をやる。例のぎこちない笑顔に三浦も苦笑いだった。

あずさ「あらあら~……私がリラックスさせてあげればいいんですね?」

P「話が早くて助かる。見たところ歳も近いし、お互い一番親しいんじゃないかと思ってな。一人じゃ不安なら、誰かに協力してもらって……。そんで、秋月のこと頼んでもいいか?」

あずさ「はい、もちろんです」

P「ありがとう」

三浦はのらりくらりと秋月に向かっていく。

あずさ「律子さーん」

とか言いながら後ろから抱き付いてた。女子ってああいうスキンシップ平気でするよな。

対して、わたわたと慌てる秋月。

律子「あ、あずささんっ!?どうしたんですか!?」

19: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:09:07.75 ID:bOdoSl9s0
あずさ「いいえ~、なーんか律子さんが恋しくなっちゃって……」

律子「えー?なんですかそれー?変なあずささんっ!」

あずさ「それに、律子さんと記念写真撮りたいなぁって」

秋月のことが恋しくなっちゃった変な三浦はうまく秋月の気持ちをリラックスさせている。

恐るべきは三浦のほわほわしたオーラ。

けれど、恋しくなったのも記念撮影がしたいのもきっと少なからず彼女の本心なのだろう。

秋月のぎこちない姿を見て愛らしいとも、助けてあげたいとも思っただろうし、そんな可愛らしい秋月との写真を撮りたかったのだと思う。

P「とにかくいい働きをしてくれたな。今度なにかごちそうしてやろうかな」

こうして宣材写真の撮影は成功に終わったと言えるだろう。

小鳥「みんな可愛いっ!! よく撮れてますよねプロデューサーさん!」

P「そうですね。秋月はどうなるかと思いましたけど……」

律子「うっさいです、プロデューサー」

小鳥「あら、でも律子さんとあずささんのこのツーショットとっても絶賛してたじゃないですか」

律子「え?」

P「まあ、そうですね。俺は良いものは良いって言いますよ?」

小鳥「ですって、律子さん?」

律子「あ、その、えっと……あ、ありがとうございます!!!」

なんて、ちょっと怒り気味でいう秋月、彼女なりの照れ隠し……だと思いたい。

20: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:09:49.95 ID:bOdoSl9s0
そっぽ向いて顔を赤くしちゃってるから、多分照れてんだろうな。

P「やっぱ、お前のそういうの可愛いけど」

律子「ば、ばかにしてるんですかー!?」

ぺちぺちと二の腕をパンチしてくる秋月。鬱陶しい。

あずさ「あらあら~、二人はとっても仲がいいのね」

微笑ましい光景を、優しい微笑みで見ている三浦。

P「ああ三浦。さっきはナイスフォローだ。今度、俺持ちで飲みに行くか?」

確か三浦は二十歳だったな。飲みに誘っても問題ないはず。

あずさ「まあっ!いいんですか、プロデューサーさん?」

P「まあな。そのくらいの貢献はしたろ?」

あずさ「じゃあお言葉に甘えますね」

お酒好きなのかな? すごく嬉しそうにするもんだから、今から楽しみになってきちゃったじゃないか。

21: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:10:18.23 ID:bOdoSl9s0
小鳥「いいなー! 私も連れてってください!」

P「音無さんには奢りませんよ?」

小鳥「ぶー! さっきプロデューサーさん持ちって言ったじゃないですかー!」

P「そりゃ、三浦だけのつもりでしたから」

律子「プロデューサー、あずささんだけって…酔わせていやらしいことしようとしてたんじゃないですか?」

秋月、貴様は耳ざといな。未成年のくせに……未成年のくせに……。

P「おい秋月バカ言ってんじゃねーぞ。三浦は確かに魅力的な女性だが、俺が上司という立場を利用して飲みに連れ出し、酔わせて襲うなんて非道な真似は絶対しない」

律子「どうだか……」

P「なんだ? 信用ねぇな」

律子「それ私も行きますから!」

P「はぁ? お前もしかして一緒に行きたいだけじゃ……」

律子「そ、そんな、そんなことありませんけどー!? あずささんが心配なだけです!」

小鳥「私もいるからそこは安心してもいいのに……」

あずさ「それでは四人で行きましょう?」

P「ま、いいか。四人で帰れるときに行くとしよう」

小鳥「決定ですね! 今から楽しみになってきました!」

P「仕事はちゃんとしてくださいよ?」

小鳥「もちろんです!」

張り切る小鳥さんを見てちょっと不安になった。

22: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:10:48.37 ID:bOdoSl9s0
亜美「ねえ兄ちゃん。何の話ー?」

真美「お出かけするのー? まみたちも行きたいよー!」

あ、ややこしくなりそう。

P「お前らはまた今度だ。レッスン頑張ったら連れてやらんこともない」

伊織「あら、じゃあ約束してくださる? お兄様」

P「伊織……ちっ……」

伊織「何よ、その舌打ちは!?」

P「……はぁ、わかった。頑張ったやつにはご褒美をあげよう」

真「ほんとですかプロデューサー!? へへっ、や~りぃ! ボク、もっと頑張っちゃお!」

やよい「はわっ! ご褒美かぁ……何がもらえるんだろう?」

なんか広まってるんですけど……。みんなが頑張るならいいんだけどさ。

それからというもの、彼女たちの売り込みは以前よりも軌道に乗り始めた。

多分、ご褒美は関係ない。

伊織「ねえお兄様」

P「どうした伊織?」

ある日、心配そうに声をかけてくる伊織に少し鬱陶しさを感じた。面倒だぞと直感が告げる。

伊織「あまり無理はしないで?」

P「してないよ」

俺は即答した。

23: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:11:40.39 ID:bOdoSl9s0
伊織「……私知ってるわ。お兄様があれこれ仕事を拾ってきて、徹夜でみんなのスケジュール組んでるの」

P「大丈夫だ。ほら、健康じゃないか」

伊織「……なにかあったら私の家に来て頂戴」

P「それこそ無理だ。俺は勘当されたんだから、あの家には一歩も踏み入れることはできない」

伊織「そんな古いしきたりにいつまでも縛られなきゃいけないの!? そんなの嫌よ!」

P「古くてもしきたりはしきたりだ。古いからと言って無くなるわけじゃない」

伊織「けれど……」

P「まあ、わかるよ。地方に行ったときに見る前時代的なファッションみたいなもんだろ。あれって都市の人間からしたら古いじゃん? でもなくならないよな」

伊織「ふふっ! 何それ……? わかりづらいわ。ていうより、全く関係ないじゃない」

P「……そうだな」

自分でも笑ってしまう。適当に言いすぎだろ俺。

伊織「……笑った」

P「は?」

伊織「お兄様やっと笑った」

P「はあ? 俺はいつもニコニコ天使スマイルだろ? みんなには負けるけど……」

伊織「いつものあれは営業スマイルでしょ? あの貼り付けた笑顔が天使なら、その下はよっぽどの悪魔よ?」

P「言ってくれるじゃねぇか」

伊織「でもお兄様の笑顔はやっぱり素敵。他のどんな男性よりも……」

P「惚れんなよ?」

伊織「馬鹿言わないで。お兄様のことは好きよ。でも恋愛感情なんてありえないわ」

伊織は抱えているウサギのぬいぐるみを撫でた。

24: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:12:16.08 ID:bOdoSl9s0
確か、そのぬいぐるみは小さい頃、俺が伊織にプレゼントしたものだ。

P「そうか、安心したよ。俺も伊織のこと家族として妹として、好きだ」

伊織「なんか面と向かって言われると恥ずかしいわね」

P「言うのも恥ずかしいだろ」

伊織「そうね……。でもやっぱりお兄様はもっと笑顔でいなきゃ」

P「心配し過ぎだ。お前らの笑顔が俺の笑顔だ。お前たちが充実して楽しく過ごしてたら俺だって頑張ってよかったって思えるんだから。あとちょっと頑張らせてくれ」

伊織「……無理はしないで」

最後の伊織の言葉は俺をいまいち信じ切れていない証拠。

それと踵を返すときの悲しそうな表情は写真のように俺の頭に記憶された。

P「さて、仕事仕事……」

それにしたって伊織はどうしてアイドルになろうと思ったのだろう。

よく考えたらほかの子に関しても同様だ。
俺は彼女たちがアイドルを始める動機を知らない。

今まで俺のイメージで彼女たちに合いそうな仕事を割り振っていたが、どうにも上手くいかないのはそういうことだったのか。

P「向き合ってないのか俺は?」

これじゃ伊織も不安になるわけだ。さっき言ったように俺の笑顔が減るのはみんなの笑顔が減るからだ。

自分に必死で周りが見えてねーな。

ちょっと面談でもやってみるか……。

思い立ったが吉日。翌日から話を聞くことにしてみた。

25: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:12:43.67 ID:bOdoSl9s0
ちょうど一週間はみんなレッスンのみだ。空いた時間に面談を設ける。

P「まずは天海、傍から見たら優れた点は一見無いにしろ努力の姿勢が十分に好印象だな」

春香「あの……プロデューサーさん? 話って何ですか?」

応接室に天海が入室する。少しピリッとした空気を感じ取ったのかやや表情も堅くなる。

空気が読めるところも彼女の長所だと思う。

P「ああ、楽にしてよ。説教とかじゃないからさ」

春香「はあ……」

きょとん顔になる天海、ちょっと可愛い。それ狙ってんのかなぁ……?

P「なんていうか、面談?」

春香「あ、いや、私に聞かれても……!?」

そりゃそうだよな。だが、その慌てっぷりに笑ってしまう。

P「ああ、悪い悪い。聞きたいことがあってな」

春香「聞きたいこと……ですか」

P「うん。天海は何でアイドルになろうと思ったんだ?」

春香「ええっ!? わ、私が……ですか?」

いや聞き返しすぎだろ。この場に俺とお前しかいないよ。少しもどかしかった。

天海はしばらく沈黙して、言うか言うまいかとしているようだった。

視線をキョロキョロ……。やがて恥ずかしそうに口を開く。

春香「……憧れてるんです」

P「ん?」

思わず聞き返した。

26: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:13:33.82 ID:bOdoSl9s0
春香「アイドルのライブに小さい頃連れて行ってもらったことがあるんです」

俺は相槌をうって話を聞いた。

春香「その時に、なんかいいなぁって……。あの舞台に立ったらどんな景色が見えるんだろうって思って……。それでアイドルに興味を持ちました」

P「そっか、憧れね……」

春香「やっぱり、おかしいですよね? そんな単純な気持ちでアイドルなんて……」

P「楽しいんだろ?」

春香「え?」

P「アイドルやってて楽しいんだろ?」

春香「はいっ! 実は私の中ではもっとドロドロしててみんないがみ合うのかなー、なんて思ってたんですけど……全然そんなことなくて、確かに誰かが成功した時は悔しいと思うこともありますけど、むしろそうやって成功してくれた方が自分のことのように嬉しく思えて……ってすみません。こんなに喋って……」

P「うん。実は俺もそんな風に思ってた。でもお前らが仲良くて本当、助かるよ」

春香「えへへ……。でもプロデューサーさんはどうしてこの仕事を?」

P「あらら、面談の立場が逆になっちゃったな」

春香「いいじゃないですか。プロデューサーさんのことも教えてください!」

P「ったく、しかたねえなぁ……。俺と伊織が兄妹なのは知ってるよな?」

春香「はい。それは……」

P「恥ずかしい話、俺は水瀬家から追い出されちゃってな……これは聞いてたか?」

春香「はい。伊織に聞いたら話してくれました」

P「そうか。で、当時よくしてもらってた高木社長に頭下げて、このアイドルプロダクションの設立に参加させてもらった。俺も働く場所が欲しかったし、社長も人手が欲しかったんだ」

天海は相槌をうちながら聞いていた。

27: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:14:34.13 ID:bOdoSl9s0
P「最初は社長に仕事で恩を返してそれでいいと思っていたが、今はお前たちがもっと充実できるようにって考えてるな。それが社長の願いでもあるしな」

春香「そうですか。いいこと聞いちゃいましたっ! やっぱりプロデューサーさんって優しいなって思います」

P「何言ってんだ。俺は優しいだろ?」

春香「今ので台無しですけどね」

二人して笑う。こいつは結構、人の間合いに入り込むのが上手いな。あまり遠慮なしに言ってくるけど嫌じゃない。距離感を測って、わかったうえで踏み込んでくる。

P「ありがとな。天海のこと少しわかったよ」

春香「私こそプロデューサーさんのことちょっとわかった気がします。……あと、春香って呼んでもいいんですよ?」

挑発的な視線。これが素なのかどうなのか……。

P「ああ、気が向けばそうさせてもらうよ。呼び出して悪かったな。次、誰でもいいから呼んできてくれ」

天海は、ちぇー、と口を尖らせて言いながらも笑顔で退室していった。

さて、しばらくして如月が来たわけだ。

P「忙しいところ悪いな」

千早「いえ、暇でしたよ」

そうかい。……仕事がなくてごめんなさい。

P「お前のアイドルになったきっかけを聞きたくてな」

千早「なぜそれを?」

P「そうだな。どういった仕事を中心に割り振ればいいのか検討中でな。だからみんなのことをもうちょい理解しようと思ったわけだ」

28: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:15:17.94 ID:bOdoSl9s0
如月のやりたいことは大体わかるが……まあ、率直に言えば歌だろ。

千早「そうですね。でしたら私には歌を歌わせていただけませんか?」

ほら。でもなぜなのか……そこを知っておきたい。

P「それは心得た。でもなんで歌にこだわる? アイドルはそれだけじゃない」

千早「それはわかっています。それでも歌うチャンスがあると思ったから、今こうしてアイドルをやっています」

P「はぁ、なるほどね。歌以外はおまけって感じか」

千早「そういうことになりますね。たまたま社長が私をスカウトしてくださったので……」

P「それで、歌にこだわる理由は話してもらってないけど……」

千早「それは話す必要がありますか?」

P「いや、言いたくないならいい。まあそのうち話してくれ。お前が困ったとき頼ってくれたら、助けてやるさ」

千早「……ご理解していただけて助かります」

P「でもな? お前はアイドルだ。歌を聴いてもらいたいなら、まずはみんなに好かれなきゃ聞く耳を持ってもらえないぞ?」

千早「歌で好きになってくれればいいです」

P「甘いよ。いくら歌が上手くても好感が持てなきゃそいつの歌なんか聴きたくない。冷静によく考えてみろ」

千早「私の力量じゃ力不足だと……?」

如月の表情が強張る。こりゃ頭に来てんな。

P「いいや、確かに如月の歌は上手いさ。おまけに顔も可愛いし、美人でそこそこのことはそつなくこなす。しかしな、今のお前は『私の歌を聴け』って言ってるだけだ」

彼女は黙って聞いている。表情は強張ったままだ。

29: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:16:00.10 ID:bOdoSl9s0
P「でも本当のお前は違うんだろ? 人には言えない事情があるほど歌にかけてるのに、言ってることはただの自己満足でしかないなんて……」

千早「わかりました。そんな説教私には響きません。もう聞きたくありません。失礼します」

そう言って立ち上がる如月。

P「待て如月! お前は逃げるのか?」

如月は背を向けたまま立ち尽くしていたかと思うと、くるりとこちらに向き直った。

千早「いいえ、逃げるのではなく、無駄だと判断したまでです」

俺も立ち上がり、如月の前まで歩く。

P「俺はまだ大事なことを伝えてない。そんな態度だから余計に説教が増えるんだ」

如月は、ふぅっとため息をつき俺から視線を外す。

P「俺は言ったぞ、本当のお前は違うんじゃないかって……」

少しハッとした様子の如月。うん、人の話はよく聞きましょう。

P「いいか? お前はただ歌を聴いてほしいだけじゃないだろ?」

如月が俺を見上げる。その表情に怒りの色は薄れ、別の色が浮かんでいるように見えた。

P「自分の歌を聴いてくれた人に感動を与えたいんじゃないのか? だから俺は自惚れるなって言いたいんだ。歌で人を魅了する前に、他のことでまずは魅了させてみろ。アイドルの本分だ。そこで追い打ちをかけるように歌で魅了してやれ、そうして初めてお前の見たい世界が見えるんじゃねぇのか?」

千早「プロデューサー、私……ごめんなさい。……そうね、今のままでは自分が歌いたいだけになってしまうもの……。そうじゃないの、わかってたのに……独りよがりで……」

如月は嗚咽をもらし、きれいな瞳からは涙がこぼれはじめる。

俺は如月の肩を掴み目線を合わせる。

P「よかった。わかってくれたみたいで、思い出してくれたみたいで……」

千早「……プロデューサー……ごめんなさい……私、酷いこと……」

P「いやいいんだ。俺だって酷いこと言ったな。ごめんな」

如月は俺の左肩に顔を埋めて、右腕と左肩をきゅっと握っていた。

落ち着くまでしばらくそうしたままだった。

30: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:16:53.06 ID:bOdoSl9s0
千早「すみません。お見苦しいところを……」

P「ううん。もっと頼ってくれ、今の俺の生き甲斐はお前たちなんだから」

千早「はい! プロデューサーのおかげで目が覚めました。アイドルとしての仕事も頑張ります」

P「ああ、その意気だ。でも如月には歌の仕事を集めるつもりではあるから、ただ、歌を聴く人の気持ちを常に考えてくれ。な?」

千早「はいっ! それとプロデューサー」

P「なんだ?」

千早「千早……でいいです」

何だそれ? 天海のときといい、流行ってんのか?

P「……気が向いたらな」

千早「前向きに検討してください」

わりと強引なのかも、まあ強情ではあるかもな。

P「如月、悪いが次の子呼んできてくれ」

千早「……」

P「如月?」

千早「……」

P「おーい?」

千早「……」

え? なんで無言でじっと見てくんの?

…………嘘でしょ?強情どころか、頑固じゃねーか。

P「……千早、頼む」

千早「はいっ!」

すっげぇいい笑顔だった。月並みな表現だが、一瞬で花が咲いたみたいな……。

余談だが、それから如月は俺によく話しかけるようになった。

31: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:17:32.12 ID:bOdoSl9s0
そのあとの子たちの動機と言えば単純なもので、

菊地は女の子らしくなりたい。

萩原は弱い自分を変えたい。

双海姉妹は楽しそうだったから。

秋月は本当は事務やプロデューサーをやりたいらしい。

三浦は運命の人に会えると思って。

高槻はちょっと特殊だけど、家計の足しにしたいと言っていた。

P「へぇ、高槻は五人兄弟なのか、そのうえ一番おねえさんって大変だな」

やよい「えへへっ、でもみんなも家のお手伝いやってくれるから、こうやってアイドルできてるんです!」

P「いい家族だな」

やよい「はいっ! ……プロデューサーも伊織ちゃんのお兄さんなんですよね?」

P「そうだな、今は一緒に暮らしてないけどな」

やよい「なんかそれって悲しいです……」

P「おいおい、なんでお前が泣くんだ? 俺はもう大丈夫だし、伊織も慣れただろ?」

やよい「でもぉ、伊織ちゃんプロデューサーの家族だから、離れ離れになって辛いと思います!」

P「でもな、こうして普段から会ってるわけだし、心配ないって」

でもぉ、でもぉ、となかなか引かない高槻はなんとなく新鮮な感じがした。

俺は大丈夫の一点張りでその場を収めた。

32: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:18:10.56 ID:bOdoSl9s0
P「つーわけなんだが、伊織、お前何か言ったか?」

伊織「別に何も言ってないわよ? やよいは思いやりがありすぎるのよ」

P「ふーん。そうか。いや、それは知ってたけどさ」

最後の面談は一応、伊織。

P「高槻があそこまで言うんだ。本当にお前が寂しがってるんじゃないかと思ってな」

伊織「ば、ばか言わないでちょうだい! お兄様がいなくなって二年過ごしたのよ? 今さら寂しく思うはずなんてないわ……」

P「……」

嘘だってわかった。俺のあげたぬいぐるみを今も大事に抱えてくれてるし、そのぬいぐるみを撫でるの、嘘をつく時の癖になってるって知ってる。

P「はあ、誰もいないからさ、隣においでよ伊織」

伊織「だから寂しくないって言ってるでしょ!? 行かない、行きたくないわ……」

言いながらぬいぐるみを撫でる。

俺は立ち上がって、伊織の隣に腰掛ける。

P「ほら、我慢は良くないだろ?」

伊織「でも、そうしたら私……」

P「俺はもう水瀬じゃないんだ。先のことなんてわかんないよ」

伊織はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

33: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:19:04.59 ID:bOdoSl9s0
P「どういう意味か分かるか?」

伊織「全然わからないわ……」

P「まあ、なんだ。甘えたいなら甘えりゃいいんだ。昔みたいにさ」

伊織「今と昔は違うもの……」

P「そんなうじうじして、伊織らしいのからしくないのか」

伊織は普段は強気なくせに落ち込むときは情けなくうじうじする。

そんなん、かまってあげたくなっちまう。

P「わかった。じゃあ俺が甘える。いおりー」

伊織を抱えて膝に乗せる。そして後ろからぎゅっと抱きしめる。

伊織「きゃっ!? 何よ!? ちょっと! お兄様!? 変態!」

P「お前、変態とは何だ!?」

パッと離す。変態扱いされちゃ、たまんね……。

伊織は後ろを振り向き、赤い顔で俺を睨む。……膝に乗ったまま。

おい降りねーのかよ。

伊織「ふんっ!そんなに甘えたかったら甘えたらいいじゃない!」

P「さっきと言ってること違う……」

伊織「お兄様が急に変態になるからでしょ!?」

P「変態とは心外だ! お前が素直に甘えてればよかっただろ!?」

伊織「甘えたいなんて一言も言ってないわよ!」

P「言ってなくてもわかるんだよ! 俺はお前の考えてることがわかるんだ」

伊織「なによそれ?」

変なの、そう言って伊織が笑う。俺もつられて笑ってしまった。

34: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:19:31.08 ID:bOdoSl9s0
伊織「仕方ないわね。お兄様がそこまで言うんなら甘えてあげなくもないけど?」

P「じゃあ別にいいや」

伊織「なっ! 甘えさせなさいよ! このっ!」

伊織が俺の首に腕を回して抱き付く。ちょうど座ったままお姫様抱っこしてる形になった。

P「我慢は良くなかっただろ?」

伊織「……そうね。しばらくこうしてていいかしら?」

P「ああ、もちろん」

伊織「あと、さっきみたいに後ろからぎゅってして?」

P「注文が多いな」

伊織「私が甘えたりないお兄様に粋な計らいをしているのよ?」

P「そうかい。ありがたき幸せですこと」

伊織「そうよ、感謝しなさい? にひひっ!」

そういや何が聞きたかったんだっけ?

そっか、アイドルになった動機か……。

P「ところで伊織」

伊織「なに?」

P「なんでアイドルになろうと思ったんだ?」

伊織「……家族の力なしで、自分の力だけでもやっていけることを証明したいのよ」

P「どうしてだ?」

伊織「お兄様に近づけるように」

即答だった。

35: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 00:20:29.85 ID:bOdoSl9s0
P「何でそれが俺に近づくことになるんだ?」

伊織「お兄様は家を追い出された日に何もかも失ったわ」

P「そうだな。お坊ちゃまの俺は高木社長がいなかったら死んでたな」

伊織「それでもお兄様は自分一人の力で生き抜いてこれたのでしょ?」

P「自分一人じゃないよ。社長に助けられて音無さんに支えられて、その前だってお前や兄貴、親父と一緒に育ったさ」

伊織「いいえ、お兄様が自分で考えて行動したことに変わりはないわ。私もそうしたかったの。お兄様の苦難を私も……。そう思って高木社長の申し出を受け入れた」

P「そうか。お前も自分の覚悟があったみたいだな」

伊織「当たり前よ。でも、やっぱり私は何も失ってない。お兄様の状況とはずいぶんかけ離れているわ」

P「やめとけ。近づこうとする必要がないってことなんだよ」

伊織「私がそうしたいの、お兄様には関係ないでしょ?」

P「そうだな。お前の意思をどうこうできないが、俺が関係ないなんて言うな。関係大有りだろ」

伊織「……」

P「とにかく、俺が知らない伊織のこと聞けて充分だ。面談はおしまいだ」

伊織「あの、お兄様……」

P「まだ何か?」

伊織「もうちょっと、このままでもいい……?」

伊織の懇願するような表情と甘い声に俺は声を出すことも動くこともできなくなる。

P「……あとちょっとな」

ようやく絞り出した言葉がそれだった。

その後、今回の面談がみんなのモチベーションアップにも繋がったようで、仕事も順調に進みはじめた。

それとなぜか、アイドル達が積極的に俺に構ってくるようにもなった。

頼られるのは素直に嬉しいが、振り回されるのは勘弁してほしい。

『プロローグ』『宣材写真』『面談』   終わり

45: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:06:51.76 ID:bOdoSl9s0
それぞれのアイドルを売り出すことに一応は成功した765プロダクション。

設立からおよそ四ヶ月で全員に仕事が少しずつ入ってくるようになった。

そして設立から半年が経ったとき、新たな仲間も加わわるのだった。

『星井美希』

社長がスカウトしてきた女の子だが、彼女がとんでもないやつだった。

美希「ミキの名前はミキっていうの! なんか、アイドル? っていうの面白そうだからやってみることにしたの! みんなよろしくね!」

俺の彼女への第一印象は自由なやつ、だった。

いや、それはどうでもいい。何がとんでもないって……。

伊織「美希がレッスンに来てないんだけど?」

雪歩「美希ちゃんがまたいないよぉ!」

さぼる。

春香「ねえ美希、早く起きないとお仕事間に合わないよ?」

真美「ミキミキー! 早くしてよー!」

美希「あふぅ……」

寝る。

律子「こらっ! 美希! スタッフの方に失礼の無いようにしなきゃダメじゃない!」

美希「ミキ知らなーい」

生意気。

なんとか仕事で使ってもらえるものの、おかげで俺も頭を下げる回数が増えた。

だが俺は星井を叱るようなことはしなかった。

46: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:07:37.67 ID:bOdoSl9s0
頭の血管が本気で切れそうになったこともあるが、なんとか耐えた。

みんなからはおかしいと言われるが、俺まで叱ってしまえばあいつの味方はいよいよいなくなる。それは避けたい。

俺は星井に可能性を感じているのだ。

明らかに他よりも人の目を引く容姿。時折、垣間見せる天性の才能。

さすが高木社長、磨けば輝く原石を連れてきたものだ。

アイドルを辞めさせるには惜しい。

P「星井はいる?」

真「あ、プロデューサー。美希ならそこで寝てますよ」

P「よく寝るなぁ」

菊地は意外にも星井に対して不平を言うことはない。

本人曰く、頑張ってくれれば確かにいいんですけど、僕自身のことで精一杯ですから……とのこと。

菊地もどうやら必死らしい。

逆に秋月と如月、それに伊織はなかなか厳しいようだ。

本人は聞く耳持たずといった感じだが……。

P「星井? 起きろ……」

美希「ん~? なんなのプロデューサー? ミキ眠いんだけど……」

こいつただのヤンキーじゃねぇの? ヤンキーミキーとか? ……いや、寒いな。別に語感もよくないし、ただ韻踏んでるだけ。

47: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:08:20.32 ID:bOdoSl9s0
P「お前アイドル面白そうって言ってたのにつまんなくなっちゃったのか?」

美希「お前じゃなくてミキはミキだよ? うーん思ったより楽しくないかも……」

P「やめたいか?」

美希「どうしよっかなーって感じ? 律子もうるさいし、やめちゃおっかな……。うん、ミキやめたいかも!」

そんな理由……。秋月がちょっと不憫だな。

P「なら俺から条件がある」

美希「条件?」

P「最後くらいうちに貢献してくれ」

美希「そしたらミキやめてもいいの?」

P「ああ、やめてもいい。お前は自由だ」

最初からお前は自由奔放だったけどな。

美希「それで、条件って何?」

P「まあ、最後の思い出づくりみたいなもんだ。小さな会場とったからソロでライブ。そこでお客さんを満足させてくれ。できるな?」

小さいと言っても200人くらいのキャパシティだ。

無名の新人が200人をいっぱいにするなんて到底不可能だが、客寄せはプロデューサーである俺の仕事だ。

美希「別にいいけど、お客さん来るの?」

P「そこは心配するな。俺が満員にしてやるから、華々しく引退できるさ」

美希「ふーん」

興味なさげで態度は素っ気ない。

48: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:09:32.05 ID:bOdoSl9s0
P「8曲ほど用意しとくから歌とダンス練習しといてくれよ?」

美希「ぶー……練習は嫌なの……」

P「頑張ってくれ。これで最後なんだからさ」

美希「しょうがないなぁ。成功させるために歌とダンス覚えるの」

P「ああ、頼んだぞ」

よし、これであとは俺の客集めだな。

一か月でどうにかしねーと。

それから、みんなとの仲はあまり良好ではないものの、星井は真面目にレッスンをするようになった。

周りはその変化に唖然というか、呆然というか……とにかく開いた口が塞がらない状態で、徐々に彼女を見る目も変わっていった。

やはり本気を出せば周囲に影響を与えるくらいには才能を秘めているようであった。

星井のライブまで残り一週間。

律子「プロデューサー、最近美希が頑張ってるみたいなんですけど、一体どんな魔法使ったんですか?」

P「……………………………………ん? どうした秋月?」

律子「なるほど、黒魔術を使ったのね……」

小鳥「不自然なほどラグがありましたね」

伊織「律子、冗談言ってないで……お兄様、相当やばいわよ?」

律子「そうね。明らかに美希の頑張りに反比例してプロデューサーの体調が蝕まれてるわ」

小鳥「美希ちゃんに事情を聞いてみますか?」

伊織「そうは言ってもお兄様は美希のこと、今は放っといてやれって……。あの子が絡んでるのは間違いないけど……」

律子「プロデューサーがそう言ってる限り下手に聞き出せないわね」

伊織「そういうこと」

49: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:10:17.63 ID:bOdoSl9s0
顔色の優れないPの前に、心配した春香がお菓子を用意する。

春香「プロデューサーさん……大丈夫ですか? あのぉ、パウンドケーキ焼いてきたので良かったらどうぞ……健康のことも気遣って野菜を使ってみました。……雪歩ー!」

雪歩を呼んだのはPのためにお茶を淹れてくれたからだ。

雪歩「おまたせ春香ちゃん。プロデューサー、お茶もどうぞ……」

P「………………………………んあ、助かる」

雪歩「プロデューサーが死んじゃいますぅ!」

雪歩の言葉にしばらくぼーっとしていたが、ようやく反応したPに今度は雪歩が取り乱す。

真「落ち着いて雪歩! きっと大丈夫だよ」

亜美「重症ですなー」

真美「亜美、そんなのんきなこと言ってられなくない!?」

あずさ「そうねー。心配だわ……」

やよい「プロデューサーの顔色わるいです……」

P「…………大丈夫だ!!!!!」

突然叫びだすP。

雪歩「ひぅっ!!」

春香「きゃあっ!!」

真「うわぁっ!!」

当然、周りにいる子たちはびっくりして飛び上がる。

目を丸くして、依然、Pを怪訝な眼差しで凝視する。

律子「急に勢いよく立ち上がって、何が大丈夫なんですか!?」

P「いいんだみんな! 心配しなくても! 今は! 俺のことは! 放っておいて! 自分のことに! 集中! するんだ! あははははははははははははっ……!!!!」

いよいよみんな絶句した。彼の異常な笑い声だけが部屋中に響いていた。

50: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:10:56.13 ID:bOdoSl9s0
真「伊織……。伊織のお兄さんでしょ? なんとかしてよ……」

伊織「私もこんなお兄様見たことないわ……泣きそうよ……」

千早「プロデューサー! プロデューサー! こんなにおかしくなってしまって! 美希のせいね!?」

春香「千早ちゃんも落ち着いて!!」

すでに涙目の伊織、全く笑顔が見られない真、発狂する千早、それをなだめる春香。

事務所全体に不安が伝播していった。

小鳥は、早く社長帰ってきてください、と両手を合わせて祈ってたらしい。

P「ちはやーーー!!」

千早「きゃっ!?」

P「あはははははっ!」

Pは完全に我を失っているようだった。

千早を持ち上げてはぐるぐるとまわす。

目を回した千早はさらなる混乱に言葉も出ない。

それからというもの彼は暴れに暴れた。

双子を持ち上げては下ろし、やよいを持ち上げては下ろし、さらに伊織も持ち上げては下ろし……。

もちろん、この行動に特に意味はない。

51: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:11:56.24 ID:bOdoSl9s0
雪歩と春香と肩を組み、その後で脇に抱えて走り回ったり、戻ってきたかと思えば真をお姫様抱っこで抱き上げ、ぐるぐる回る。

さらに、あずさには正面から抱き付きながら耳に息を吹きかけ、椅子に座ってる小鳥には後ろから抱き付き、耳を甘噛みした。

二人は変な喘ぎ声を短く漏らし、へたりと倒れこんだ。

律子にも後ろから抱き付いて首にキスマークをつけた後、なぜか髪をほどいて、そのヘアゴムを机に置き、爽やかな笑顔でお疲れ様でしたと言って帰っていった。

……真昼間だったにもかかわらず。

その翌日。

P「すみません。あのぉ、体調が優れなくて……」

律子『はあ!? 昨日、散々好き放題しておいて何ですか!? 仮病使って逃げようったってそうはいきませんよ!! あと、首の跡どうしてくれるんですか!!』

……大声やめろ……頭いてぇ……。

P「……秋月か……大声出すんじゃねえよ」

律子『だから仮病は……』

P「あー、わかったわかった。とにかく今日は休むから、じゃあな」

律子『昨日のことを……って電話切らないでくだ』

切った。苦しさあまりに電話を放り投げる。そして倒れるようにベッドに寝転がり布団を被る。

投げた電話がすごい音を発したが、気にせず眠った。

何だよ昨日のことって、なんかあったか?

なぜだかここ最近の記憶があやふやなんだよな……。

後で熱を測ったら40度越えという大記録を出していた。

ちなみに秋月の首跡の話うんぬんは、熱を出してから二日目にお見舞いに来てくれた伊織が教えてくれた。

その時の俺を殺してやりたいと心底思う。

覚えてないと言ったら呆れた顔で伊織におでこを叩かれた。

なぜそんな奇行に走ったのかは自分でもわからないのだが、星井のミニライブチケットが完売したのを認めたのは覚えている。

52: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:12:49.39 ID:bOdoSl9s0
P「うぃーす……」

まだ体調は優れないが出社する。

なぜだか体がすこぶる冷えるので、温かい時期にも関わらず厚着をしている。

小鳥「あ! プロデューサーさん!!」

あずさ「え? プロデューサーさん?」

律子「やっと復帰しましたねプロデューサー! って何ですか、その厚着は?」

P「え、今日寒くない?」

律子「寒いわけないでしょ? 最高気温24度ですよ?」

つまらない嘘をつくなぁ……と思いながらデスクに向かう。

あずさ「ちゃんとお食事取りました?」

P「うん。とった」

あずさ「本当ですか?」

P「とった!」

なんなんだ? 三浦がお母さんみたいなこと聞いてくる……。

俺もつい、強い口調になってしまった。

しかし三浦は気にしてないようで、頬に手を当て、あらあら~、と言っているだけだ。

P「うぅ……」

ぶるぶるっと身震いしてしまう。誰かが俺の噂を……。

あずさ「小鳥さん。なんとなくですけど……ちょっとプロデューサーさん可愛くないですか?」

小鳥「やっぱりあずささんもそう思います? 私もなんか今のプロデューサーさんに尽くしたいって思っちゃいました」

なんか音無さんと三浦がひそひそ話してる。けど、この体調じゃ、あまり気にならない。
……ぶるぶるっと身震いする。誰かが俺の噂を……。

53: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:14:07.87 ID:bOdoSl9s0
雪歩「おはようございます」

真「おはようございまーす!」

雪歩「あっ! ぷろでゅ……そこのもこもこの人、プロデューサーですか?」

P「……いかにも……ごほっ……」

咳も出てしまう。ちょっと苦しいな……。

真「あはは……。でもここに来るとき雪歩とちょうどプロデューサーの話してたから」

おや、これは……寒気がしたとき誰かが俺の噂をしてる説が有力に……?

雪歩「うん。でもプロデューサー大丈夫なんですか?」

P「見ての通り、万全だ……」

真「あー、うん、対策の方はそうみたいだね」

雪歩「今さら、予防しても意味ないんじゃ……」

P「うるさいよぅ……寒いんだよぅ……」

真「ダメそうなのは火を見るより明らかですね」

律子「そうなのよね……」

P「ねぇ、萩原、お茶ちょうだい?」

ちょうど喉も乾いてきて、気になり始めると止まらない。

雪歩「はぅ……!ちょ、ちょっと待っててくださいね」

萩原は一瞬、妙に恍惚な瞳をしたけど、どうしたんだ……?

真「どうしたの、雪歩?」

雪歩「……ううん。何でもないよ、真ちゃん」

雪歩(まさかプロデューサーがこんなに愛らしく感じるなんて……確かにもこもこした服着てて可愛いし……でもそれだけじゃないような……)

あずさ「雪歩ちゃんもなのね?」

小鳥「こっちへいらっしゃい?」

雪歩「あずささん……小鳥さん……」

54: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:14:45.19 ID:bOdoSl9s0
あずさ「あなたもプロデューサーの隠れた魅力に気付いてしまったの……」

小鳥「そう。弱ってるプロデューサーさんは……可愛い!……なんていうか、いつもは守ってほしいのに今は守ってあげたくなるような……」

雪歩「確かに……。よくわかりませんけど、母性っていうんでしょうか?」

あずさ「まさにそんな感じよね~」

……またしても、ぶるぶるっと身震いしてしまった。

P「……ふふっ。また誰かが俺の噂を……」

真「プロデューサー、頭大丈夫ですか?」

P「菊地、お前たまにさらっと酷いこと言うよな」

真「だってプロデューサーが急にニヤッとするから……」

P「……そうだったか、なら気を付けよう」

雪歩「はい、プロデューサー、お茶淹れてきました」

P「お、ありがとー……あちっ!」

いや熱いの知ってたけど、知っててもこうなっちゃうよね。

雪歩「だ、大丈夫ですか!? すいません、熱いの注意するべきでした」

P「知ってたんだけど俺の舌じゃ耐えられなかったよ……」

雪歩「ど、どうしよう?」

P「はぎわらー、ふーふーしてさましてー」

雪歩「えぇっ!?」

真「プロデューサーかっこ悪いですよ……」

律子「甘えないの!!」

P「ちぇー……ごほっ……」

55: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:15:34.77 ID:bOdoSl9s0
律子「自分でふーふーして冷ましてください」

P「ふーっ……ふーっ……! ごほごほっ!」

真「わっ! 咳するときは湯呑から口離してくださいよ」

律子「わざとやってるんじゃないでしょうね……?」

P「あー、ごめん。その、わざとじゃないんだ」

本当だよ? 油断してるとたまになっちゃうんだよ……?

律子「大体、先日もあんなにみんなに迷惑かけておきながら……」

話聞いてないし……。

そしてくどくどと秋月のお説教が続く。俺、病人だよ?

真「律子、言い過ぎ! プロデューサー泣いてるよ!!」

律子「へ? きゃぁっ! ……そ、そんなに泣くほどのことですか?」

なんかわからんが、とにかく悲しい気持ちがものすごい勢いであふれてくる!

P「わがんね……」

真「東北なまりっぽく言われても……」

P「秋月はだめだぁ! はぎわらー! おれに優しくしてください!」

雪歩「は、はいぃ!」

律子「ダメって何ですか!? 失礼な!」

あずさ「律子さん。今はやめときましょう?」

小鳥「あずささんの言う通りですよ。最近のプロデューサー無理ばかりしてましたから」

56: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:16:41.79 ID:bOdoSl9s0
雪歩「よしよし……プロデューサーはよく頑張りました」

P「はぎわらー……」

真「はぁ……ダメだなこりゃ。ボク、仕事に行く前にダンスしてきますね」

小鳥「ええわかったわ、行ってらっしゃい真ちゃん」

律子「プロデューサー……なに調子に乗って雪歩に抱き付いてるんですか? セクハラですよ?」

雪歩「私は別に……」

あずさ「まあまあ、律子さん今日は大目に見てあげましょう? 今回は前みたいに暴走してるわけじゃないもの」

P「温かいよぉ。萩原の心が温かいよぉ……」

雪歩「あはは……ちょっと照れちゃいますね」

律子「しかたないですね。今日は二人に免じて許しましょう。でも次はありませんよ!」

P「……すぅ……すぅ……」

あずさ「……寝てますね」

律子「ほんとっ、今日のこの人は子供ですか!?」

小鳥「とりあえず、寝かせてあげましょうか」

雪歩「私はどうすればー!?」

30分くらいで起きました。さっきより割と楽になったかな。

さて、復帰したてのお仕事タイムだ。

P「今日は秋月と三浦が雑誌の撮影で、菊地と萩原がラジオの収録だったかな?」

小鳥「さすがですプロデューサーさん」

宣材写真のときの三浦と秋月のツーショットが先方の目に留まったらしい。

小さいだろうけど二人で撮影して雑誌に載せてもらえるようだ。

ラジオの方は昼収録の深夜放送だ。しかもローカル。ちいさいけれど大した一歩だと思う。

57: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:17:12.38 ID:bOdoSl9s0
P「うちもそこそこお仕事増えてきて嬉しいなー。嬉しいなー」

律子「本当、大丈夫ですか? 今日のプロデューサーやばいんじゃないですか?」

P「いつも通りっしょ」

雪歩「絶対、病み上がりのせいで変なテンションになってますぅ……」

P「心配するなって………いっきし!……なんともないし」

律子「くしゃみした後では説得力がまるでありませんね」

あずさ「熱は何度あったんですか?」

P「平熱だから大丈夫……」

律子「答えになってません。だから熱は何度ですか?」

P「大丈夫!」

小鳥「頑なですね……」

あずさ「じゃあ、測ってみましょう。体温計見つけてきました」

P「……」

雪歩「測りましょう?プロデューサー?」

P「……はい」

しかたなく体温計を受け取り、もこもこフル装備を解除して脇の汗を拭く。俺は意を決して体温計を脇に挟んだ。

しばらくしてピピピッと音が鳴る。

P「……」

やば。俺は数字を見るなり必死で言い訳を考えた。

58: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:18:06.42 ID:bOdoSl9s0
熱があることが知られれば早退させられる……。

そうしたら星井のライブの計画が頓挫するかもしれない。

小鳥「ちょっと見せてください」

俺、体温計を隠す。

小鳥「大丈夫なんですよね?」

笑顔のまま引かない音無さん。

俺は精一杯、懇願するようにじっと音無さんの顔を見つめる。つまりアイコンタクトを試みた。

小鳥『ダメですよ』

失敗。いや、アイコンタクトは成功してたっぽい。

観念して体温計を手渡す。

そしていそいそと、もこもこのフル装備に。……落ち着く。

小鳥「38度4分……もあります」

律子「はぁ!? プロデューサー、どこが平熱ですって?」

P「俺の平熱は38度だ。問題ない」

律子「嘘つけ!」

雪歩「さすがに無理がありますぅ……」

あずさ「あらあら~、プロデューサーさん今日はやっぱりお休みになった方がいいのではないでしょうか?」

やっぱりこう言われるのだ。

59: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:20:06.67 ID:bOdoSl9s0
P「やることあるし、今さら休めないっての……ごほっ……」

小鳥「お言葉ですがプロデューサーさん……他の子にうつしたらどう責任を取るおつもりですか?」

律子「小鳥さん……」

小鳥「アイドルは身体が資本なんです。あなたの代わりなんかたくさんいますけど、彼女たちの代わりは一人もいません」

そう言われるとその通りだ。

他の子たちは仕事が入ってる。

俺の風邪かどうかわからないが、とにかくうつしたら大変なことになる。

音無さんもそれを危惧してるから語調が強いんだ。

周りが見えてなかったのは俺の方だ。ここは帰るのが正解のはず……。

……でも、星井のことがある。

一人の少女のアイドル人生がかかってる。ここで成功しなきゃ、彼女とはもう……。

P「…………わかりました。早退します」

俺は引くことを選んだ。

P「……でも、お願いがあります」

引き替えに……。

自宅に戻る。

しばらくして伊織がお見舞いに来てくれた。ご苦労様です。

伊織「お兄様、まだ熱引いてないのに事務所に行ったんですって?」

P「うん。でも追い返されちゃった。音無さんが珍しく怒ってさ」

伊織「それなら律子やあずさから聞いたわ。お兄様がまた泣くんじゃないかって少し冷や冷やしたそうよ?」

P「あはは……」

伊織「それで今も懲りずに仕事? 無理はしないでって言ったじゃない」

P「あと三日、やらせてくれ……ごほっ……」

伊織「はぁ……わかったわ。一体何をしているかはわからないけど、何かあったら連絡してちょうだい」

P「ああ、助かるよ」

そう言って伊織は帰っていった。

夜ご飯にうどんを作ってくれた。……あいつ料理できたんだ。

俺は自分で進められる作業をしながら、夜ご飯を口にした。

伊織も慣れない料理なんかしなくていいのに……。

俺はうどんに醤油を足す。

60: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:21:23.80 ID:bOdoSl9s0
星井のライブ当日。

P「うーん、結局微熱までには何とか下がったな……」

俺は今会場に来ている。先日も下見に来たり昨日もリハをやったらしい。

らしいというのは、この計画を共有する人が現れたからだ。

俺が早退したときに再びしばらく休むからと、引き継いでもらったのが音無さんだった。

みんなが気を遣わないように内緒で進めてきたこのライブ計画。

今では音無さんと共同して行ってる。もちろん社長も承諾済み。

そしてここが星井が残るかどうかの分岐点。上手くいくかは全くわからない。

しばらくすると、当事者の星井がやってきた。

美希「あ、おはようプロデューサー」

P「ああ、おはよう」

美希「熱大丈夫なの? 昨日、プロデューサーの代わりに小鳥が来て教えてくれたよ?」

P「そっか、俺はいいんだけどさ。お前は大丈夫なの?」

美希「ミキのことは心配いらないの。もう全部間違えないで歌って踊れるよ」

P「本番で緊張して間違えんじゃねーぞ」

美希「余計なお世話なの! プロデューサーともこれで最後だし、今までお世話になったの」

P「気が早い。ここで失敗したらアイドル続けてもらうからな」

美希「どーぞご勝手に?」

……うざいなこいつ。もうやめさせてもいいんじゃない? というのは冗談だけど。

くるっと踵を返して控室に向かう星井。

61: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:21:54.94 ID:bOdoSl9s0
それにしても予定の1時間前から来るとは案外しっかりしてるんだな。

そして星井は早めのリハを行いほぼ万全の状態で本番に臨んだ。

本番直前。

P「緊張してる?」

美希「全然?」

こいつめ。本当に緊張してないな……。大物なのか、ただのバカか。

P「ひとつお願いがある」

美希「今になって、何?」

P「ステージの上では絶対に『やめる』とか『引退する』とか言わないでくれ」

美希「……お客さんが悲しむから?」

P「……そうだ」

嘘なの。全然違うの。

美希「ふーん。わかった。一応、約束は守るの」

P「おう、頼んだ」

星井はステージに上がっていった。

美希『みんなー!今日は来てくれてありがとうなのー!』

初めてで物怖じしないあの態度はやはり大物と呼ぶべきだろうか。

ていうかマジであれ初めてか?

そしておよそ1時間に及ぶライブは終わりを迎えた。

星井は完璧だった。控えめに言ってもこのライブは成功と言える。

歌も良し、踊りも良し、場をつなぐトークも問題なし。

それに彼女にはセンスがある。人を惹きつけるセンスが…。

しかも一人で8曲の歌と踊りを披露したにもかかわらずまだ余裕がありそうだ。

62: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:22:46.26 ID:bOdoSl9s0
美希『じゃあねー! みんな、またねー!!』

『ウオォォォォォーーーーーーーーー!!!!』

すげえ盛り上がってんすけど……。ハコが大爆発する勢い。

それにしても今の星井のセリフ……。

星井が壇上から降りてくる。

P「お疲れ様、星井。……どうだった?」

美希「あの……あのねプロデューサー……ミキね……」

『………ール………アンコール……アンコール……! アンコール……!!』

星井が振り返る。もちろんたった今降りてきたステージに向かって……。

P「あらら、お呼びみたいだぞ? でも、アイドルやめたいならここで降りてもいいよ?」

再びこちらを向く星井。その顔はいろんな感情であふれかえったもののそれだった。

美希「……」

星井は何も答えない。いや、答えたくても込み上げる思いに飲まれて、言葉が喉の下でつっかえて出てこない。聞こえるのは嗚咽ばかりだ。

だが俺を見つめるその眼差しには確かな光、美しくて希望にあふれた光が宿ってるように見えた。

P「……言葉もいらないな。行ってらっしゃい」

俺は星井の肩をそっと抱き、ステージにその身を向けさせた。

そして背中を強く叩いて送り出す。

63: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:23:27.78 ID:bOdoSl9s0
美希「……いたっ!」

よたよたっと2,3歩前に出た星井は恨めし気にこちらを見る。

P「声も出ないくらいに緊張してんじゃねーよ!」

星井の目にはさっきから大粒の涙が溜まっていたが、俺ににっこりと微笑むと吹っ切れたようにそれも汗と一緒に流れていった。

美希「……行ってきます!」

『ウオォォォォーーーーーー!!!!』

星井がステージに上がった瞬間、大歓声が起こる。たかだかキャパシティ200人の小さなハコとは思えない。

美希『みんな、お待たせなの……!』

星井の声は涙で震えてる。

客席のあちこちから『頑張れー!』だの『負けんなー!』だの聞こえてくる。

美希『ミキ、本当にこういうのは初めてで……嬉しくて……とにかくみんな大好きなの!』

『俺もだー!』と、やっぱりあちこちから聞こえる。

星井を初めて見る人たちなのに一時間でここまで心を掴むとは恐れ入った。

星井は2曲プラスしてライブを終えた。

小鳥「ライブ、大成功ですね!」

P「あ、音無さん」

小鳥「それで美希ちゃんは……?」

P「わかるでしょう?星井がアンコールに応じた意味が……」

小鳥「それじゃあ……」

音無さんの表情がぱぁっと輝く。

P「おそらく星井は続投です」

64: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:24:51.87 ID:bOdoSl9s0
小鳥「よかったぁぁぁ……」

P「音無さん。ライブはまだ終わってませんよ?」

小鳥「……と言いますと?」

P「社長にお願いして、来てくれた方に特典を用意したんです。だから、スタッフの方たちと一緒に配るの手伝ってもらえますか?」

小鳥「はい、もちろんです。プロデューサーさんも一人でよく頑張りましたよ?」

P「あはは、恐縮です」

それでは、と音無さんは行ってしまった。

P「……おっと」

俺も一気に安堵する。

同時に立ちくらみもした。

どうやら疲労が抜けきっていない体で気を抜いてしまったため、どっと疲れが意識に押し寄せてきてしまったようだ。

美希「プロデューサー!」

その声に振り返る。

直後、ふいに視界がフェードアウトしていった。

65: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:25:25.16 ID:bOdoSl9s0
微かに俺を呼ぶ声が聞こえた。

夢を見ていた気がする。

兄貴と伊織と父さん、母さんがいて俺を笑顔で迎えてくれてる。

けれど俺は行かないのだ。行けないのだ。

俺は家族に背を向け走り出す。振り向くなと自分に言い聞かせる。

あれはまやかしだ。俺は追い出されたんだ。

妄想はもうよせ。

俺は家族を顧みなかった。自分のことばかりだった。

当然の報いなのだ。

家族が俺を迎えてくれるという俺の妄想はただの幻想に過ぎない。

目を背けろ。理想は見るな。

兄貴も母さんも父さんも伊織だって、俺のことが嫌いだ。

軽蔑してる。水瀬家の恥さらしだって罵っている。

そのはずなのに……。

立ち止まって振り返る。

息が切れるほど走ったのに、変わらない家族との距離。

なのにさっきまでの笑顔は消えていて。

悲しそうな顔をしていた。

伊織たちはそれぞれ顔を見合わせて、また俺に向き直る。

ちょっと困った笑顔を浮かべて……。

悲しいのが伝わってきて……。

なんでそんな顔をするのかわからなくて……。

俺はまた逃げてしまった。

66: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:26:09.77 ID:bOdoSl9s0
P「ん……」

知らない天井だ……。って言うのは、もはやお約束。

美希「プロデューサー!?」

P「星井?」

音無さんもいるな。

P「俺は何で病院に?」

小鳥「何言ってるんですか! プロデューサーさん気絶したんじゃないですか!」

P「俺が? 悪い冗談だろ」

美希「ううん。ミキが呼んだら倒れたの……」

泣きそうな星井。お前が責任感を感じる必要はないんだけど……。

小鳥「あれだけ無理しないでくださいって言ったのに……伊織ちゃんにも言われてたんでしょう?」

P「そっか。……じゃなくて! ライブは!?」

小鳥「そっちは大丈夫です。特典も配布し終えましたから」

P「よかったぁ……」

安心したらまたどっと疲れてきたかも。再び横になる。

小鳥「でも自分の心配もしてくださいね……」

P「ええ、わかりました。これからしばらくは休ませていただきますけど……」

小鳥「……社長に伝えておきます」

P「助かります」

小鳥「しっかり寝てくださいね? 聞いたところによるとただの寝不足ってことだったんで……」

P「……」

小鳥「あーあ、また伊織ちゃんに怒られますよ……」

67: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:26:51.69 ID:bOdoSl9s0
P「まあいいですよ」

小鳥「じゃあ私はこれで失礼しますね」

P「はい。わざわざありがとうございました」

音無さんは微笑んで会釈をすると部屋から出て行った。

P「病院なんて大げさだな……」

美希「本当に心配したんだよ、プロデューサー?」

P「ああ悪かったな、星井。お前は戻らないのか?」

美希「うん、ミキまだプロデューサーに言ってないことあるの」

P「言ってないこと? そういや俺もあったな……」

美希「プロデューサーも? なになに?」

P「星井、お前のライブは大成功だ。今までお疲れ様!」

自分でも意地悪だなぁって思う。彼女が納得するはずないこんな言い方に対して俺は星井がどんな返答をするのか気になってしまった。

美希「あの、そのことなんだけど……」

なんか、らしくないな……。しおらしいというか。

とにかく俺の予想とは違った答えが返ってきた。

美希「キラキラしてたの……」

P「は?」

わけのわからない言葉に素頓狂な声をあげてしまう。

68: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:27:30.55 ID:bOdoSl9s0
美希「ミキのライブ見に来てくれた人たち、最初は全然そうでもなかったのにどんどんキラキラしていって、ミキにもキラキラ分けてくれて……」

とりあえず黙って聞いておく。

美希「お客さんもミキもみんなもっとキラキラして……歌ってて、踊っててすごく気持ちよかった」

P「そっか。……それで?」

美希「……ミキやっぱり続けたい!」

P「練習もちゃんとやらなきゃダメなんだぞ?」

美希「やるの! 今さらって思うかもしれないけど、ミキもっともっとキラキラしたい!」

P「……わかった。だったら俺は応援するし、最大限サポートしよう」

美希「プロデューサー……」

P「それより今日のライブだが……全然ダメだな」

美希「ええっ!? 終わったときプロデューサー、大成功って言ってたよ?」

P「まあライブとしては成功だろ。すごい盛り上がりだったしな」

美希「じゃあどうして?」

P「歌も踊りもまあまあだったが、それだけだ。トークも微妙、もっと面白いネタもってこい。とにかく中途半端、俺だったら帰る」

美希「……あんまりなの」

星井はがっくりとうなだれた。

全部嘘です。ごめんね。超良かった。俺だったらファンになっちゃう。

69: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:28:27.19 ID:bOdoSl9s0
P「でもな、星井。まだまだこれからなんだ。お前はこれからもっと良くなる」

美希「ほんと?」

P「当然だ。お前はまだアイドル始めたばかりじゃないか……」

だからまだ伸びる。経験値が圧倒的に足りてないだけ。

P「しかしなぁ、アイドルが生き残っていくためには練習だけじゃダメなんだよ」

美希「そうなの? じゃあ練習以外に何すればいいの?」

P「まずは礼儀正しく。次にみんなに優しく。そしてみんなのお手本になるように」

美希「そうすればミキ、もっとキラキラできるの?」

キラキラはよくわからんが……。

P「そうだな。世界中が星井美希に夢中になって、キラキラな世界の出来上がりだ」

そういうと星井は目を輝かせた。

美希「ありがとうプロデューサー」

P「何だ急に?」

美希「プロデューサーがライブやるって言わなかったら、ミキは何も知らないまま辞めてたと思うの」

P「ふーん。こっちも辞めさせる気なかったけど」

美希「え?」

星井が間抜けな顔をする。何て言ったの? といったような感じだ。

P「だから、俺も初めから辞めさせる気なかったって」

美希「どういうことなの……?」

P「ライブやればまたアイドルに興味持つと思ってな。失敗しても残ることになってたし」

美希「ミキ騙されたの?」

P「はぁ? そんなわけないだろ。別にマジで辞めてもよかったんだから。ただ、俺は星井がアイドル辞めたくないって言うと、思ったんだ」

美希「それってミキを信じてたってこと?」

P「どうだろうな。でもこのライブのために頑張った甲斐はあったと思ってる」

美希「ミキのために……」

70: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:29:54.79 ID:bOdoSl9s0
P「俺のためだ。俺がアイドル星井美希の活躍を見たいと思ったんだ。お前にはその素質があるとも思った。だからこれは俺の勝手な判断と行動で、ただの自己満足でしかない。結局は音無さんにも手伝ってもらっちゃったけどな」

美希「プロデューサーって素直じゃないの!」

P「いや素直だっただろ……」

美希「ミキね、今日のことでとっても感謝してるよ?」

瞳を潤ませる星井。その表情を目の当たりにして言葉が出ない。

美希「あの時、プロデューサーが背中をたたいてくれたから、みんなのアンコールに応えられたの」

そっと目を閉じる。その時を思い出すようなしぐさであり、とても綺麗な顔だ。

美希「ついさっきまで辞めようって思ってたミキがもう一回みんなの前に出ていいの? って……」

俺は聞いた。彼女の想いを……。

ていうか星井もそこまで考えてたんだ。意外、自分のことばかりだと思った。

美希「そう考えてたミキの背中を押してくれたのはプロデューサーだよ……?」

しっかりと目を合わせる星井。潤んだ瞳に、今にも泣き出しそうな表情に、目を逸らしそうになる。

P「そうか……」

やっと出てきた言葉が何とも素っ気ない一言だった。

なんとか繋げようと次の言葉を絞り出す。

P「あ、その、なんだ……まあ続けてくれんなら頑張れ。俺がお前のファン1号なんだから、俺をがっかりさせないでくれよ?」

美希「あはっ! そっか、プロデューサーがミキの一番目のファンなんだ。それっていつ決まったの?」

P「……お前がアイドルになるって言った時から」

美希「ふーん。じゃあプロデューサーは初めっからミキの味方だったんだね……」

別に味方ってわけじゃないんだけどさ。

美希「……プロデューサー、ありがとう」

また聞くその言葉、やっぱ照れくさかったりする。

俺はちらちらと視線をさまよわせてしまう。

71: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:30:49.78 ID:bOdoSl9s0
美希「これからプロデューサーのことハニーって呼ぶね!」

P「は? なんで?」

いきなりどうしたこいつ? わけわからん。さっきからわけわからん。

美希「ミキにとって大切な人だから!」

屈託なく言う星井に俺は唖然。

美希「ねえ、ハニー? ミキのこと見てて、これから頑張るから!」

P「それは分かったがハニーはやめろ」

美希「ヤ!」

反抗期、早っ! 言うこと聞くんじゃなかったのか!?

こんなのがみんなのお手本になっちゃ困る。

P「おま……っ!」

『お前なぁ…』言いかけた時、星井に人差し指で口を押さえられる。

何の真似だ? と目で伝える。伝わるかな?

美希「『お前』じゃない、って前にも言った気がするの。お前じゃなくて『ミキ』って呼んでよ」

星井の手を払いのける。

逆の手の人差し指を押さえつけられる。

俺は払いのける。負けじと星井はその逆を……。

激しい攻防が始まった。

しまいには星井が抱き付いてきて離れない。俺は引っぺがそうとしたがなかなか離れなくて困ってしまった。

P「わかった。名前で呼ぶよ。離れろ星井」

美希「『星井』じゃなくて『ミキ』! それと人にお願いするときはどうするの?」

何から目線なのこいつ? 相変わらず生意気だなぁ。

72: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:32:25.72 ID:bOdoSl9s0
P「わかりましたよ。美希さん、離れてくださいお願いします」

美希「別に呼び捨てでいいのに……?」

口をとがらせてぶーぶーと注文垂れる星井。

P「お前、離れろやコラ」

俺はたまらずいつもの口調に戻った。

美希「また『お前』って言ったの! ミキ離れない!」

だめだなこりゃ。矯正していかないといけないのか。

P「ごめんって、美希」

あんまやりたくないが……。

俺は美希の耳元に口を近づけ……。

P「……美希、離れてくれないか?」

出来る限り甘い声で囁いた。……つもり。

美希「……あ」

『あ』って何!? 何だその反応!!

すると美希は案外素直に退いてくれた。

美希「しょ、しょしょうがないのー……ハニーがそう言うのなら離れてあげる……」

これすると、ほとんどのアイドルが割と素直に言うこと聞いてくれるんだよね。

後で大変だからあんまり使いたくないけど……。

P「今日は帰りなよ。明日も練習あるんだしさ」

うんうんと、素直に首を縦に振る美希。俯きがちでちょっと硬直気味なのが気になる。

なんだか、らしくない。

P「居てくれてありがとな、美希。それと顔あげなよ。可愛いのにもったいねーぞ?」

美希「……う、うん! ハニーもありがとなのー!」

美希は赤らんだ顔をこちらに向けて、満面の笑顔を見せると、くるりと背を向け慌てて帰っていった。慌てる必要ないのに……。

うーん。それにしても名前呼びか……。如月、いや、千早もそう呼んでって言ってたし改めるかな……。でもなんか恥ずかしいよな。……とりあえず試してみるか。

73: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:33:34.12 ID:bOdoSl9s0
俺はそれから1週間休暇をもらった。無給のやつを。

余談だが、その月の給料が手取りで2万弱だった時の絶望感は半端じゃなかった。今から1か月1万円生活でも始めるんですか? ってくらい。

休みが明け……。

P「おはようございます」

小鳥「おはようございます。久しぶりですね」

P「はい、ご無沙汰です。……小鳥さん」

小鳥「ええ、そうですねぇ……って、ええ!?」

P「うわ! びっくりしたぁ……なんすか?」

小鳥「いえ、何ですかはこっちです! 今『小鳥さん』って…」

P「ああ、いろいろありましてみんなのこと下の名前で呼ぼうかなと思いまして……やっぱ嫌でした?」

小鳥「とんでもないです! 大好きです! じゃなくて、むしろ嬉しいくらいですよ? さっきは、いきなりで驚いただけですから」

P「はぁ……そうですか」

嫌がられてないどころか嬉しいくらいならいいか。

律子「おはようございます」

P「おはよう。……律子はいつも早いな」

律子「あ、プロデューサーお久しぶりです。……って今なんて!?」

またその反応? やっぱ嫌なんじゃ?

P「いや、来るの早いなって……」

律子「そっちじゃなくて……」

小鳥「律子さん。なんかプロデューサーさん、みんなのこと下の名前で呼ぶようにするそうです」

P「嫌だったか?」

律子「まさか! プロデューサーに近づけたみたいで嬉しいですよ?」

P「ならいいんだ」

他の子はどうなるのだろうか……。

74: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/12(日) 20:34:06.89 ID:bOdoSl9s0
律子「他の子もみんな嬉しがると思いますよ?」

P「へ?」

律子「ちょっと不安そうにしてたので私からアドバイスです」

P「おま……律子って優しいよな」

『お前』って口に出ちゃうな。接頭語みたいに。

律子「な、な、何言ってるんですか? あー、仕事仕事っと!!」

P「なに照れてんだよ」

律子「別に照れてませんー!」

小鳥「プロデューサーさんが急に褒めたりするからですよ」

そんなものなのか?

とりあえず、他のみんなも下の名前で呼んでみたけど、どの子も律子や小鳥さんと同じような反応だった。

この頃からアイドル達との距離もグッと縮まったような気がする。

千早は言い直す必要がなくなったのが嬉しいらしい。

どうしても『如月』って呼んじゃってたから。

こうして星井美希引退ライブの件は引退せずに終わった。

美希は普段のマイペースはともかく、アイドルへの情熱を燃やし始めた。

おかげでみんなとも仲良くやっているようだ。

『星井美希』   終わり

79: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:51:34.31 ID:ZNOwlz250
『初めてのテレビ出演』

それから一月後。

今日は亜美と真美がテレビ出演である。『祝』って感じ。

双子アイドルっていう路線が受けたらしい。双子自体はあんまり珍しくないと思うけどね。

P「でもよかったなー」

真美「なにが?」

P「こうやって真美と亜美がテレビ出演なんて……うちでは初めてだろ?」

亜美「そういえばそうだねー。ようやく時代が亜美たちに追いついたよね」

P「は、調子乗んな」

真美「兄ちゃんのおかげだよ?ありがと……」

P「……おお、なんか素直に言われると調子狂うな」

真美「そんな真美の魅力に負けてしまう兄ちゃんであった……」

P「は、調子乗んな」

亜美真美『ぶーぶー!』

P「うっせ、出演者の方々に迷惑の無いようにしろよ?」

亜美「大丈夫だよ!」

真美「いたずらもしないって!」

P「当たり前だ! いたずらしたら干す!」

亜美「あみたち洗濯されちゃうの?」

真美「これ以上綺麗になっちゃうの?」

P「バカ言ってないであいさつしに行くぞ」

深夜の放送ではあるけど駆け出しのアイドルを取り扱ってくれる番組だ。

これで多少でも認知度が上がればいいけど、そうもいかんだろーな。

80: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:52:04.60 ID:ZNOwlz250
スタッフの方にあいさつを済ませ、次は共演者。

司会の方に挨拶を済ませる。

あまり有名ではない芸人の方だが、徐々に注目を浴びている。

他の共演者は『ジュピター』という男性の3人組ユニットだ。

えーと、所属は961プロ!?

へー、黒井さんのとこか……今度あいさつに行かねーとな。

今日来てんのかな?

とか考えてるとジュピターの楽屋前だ。

ノックすると、どうぞーと言う女性の声が聞こえた。

P「失礼します」

そう言って扉を開ける。亜美と真美も通して前に出す。

P「本日共演させていただきます765プロダクション所属の双海亜美と双海真美です」

ほら挨拶、と促して二人にもあいさつさせる。

真美「双海真美です! お願いしまーす!」

亜美「双海亜美です! よろしくね!」

P「こらこら……そんなん失礼だろ? 申し訳ありません」

北斗「ははは…! 気にしないでください。これはこれは……。かわいいエンジェルちゃん達じゃないですか。俺は伊集院北斗と申します」

金髪の男性が笑い、立ち上がって律儀に礼をする。

翔太「こちらこそよろしく! 僕は御手洗翔太」

3人のうちではやや幼さの残る少年も笑って答える。

冬馬「天ケ瀬冬馬だ。よろしく」

目つきの鋭い少年は無愛想に言い放った。

女P「冬馬ー。あんたもっと愛想よくできないのかしら?」

女性が呆れたような目つきで冬馬くんを見ている。

81: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:52:37.95 ID:ZNOwlz250
冬馬「うっせ、これでも愛想よくしてるつもりだ!」

翔太「ええー? 冬馬くん、今ので愛想よくしてるつもりなの?」

北斗「だとしたら冬馬は今日の収録を何度も見返すといいな」

二人とも天ケ瀬を茶化して楽しんでた。仲は良いらしい。

冬馬「お前らまで……」

本人は困惑してる。どうやら本当に愛想よく振る舞ってたらしい。

亜美「あまとう面白ーい!」

冬馬「あまとうって何だ!?」

真美「今度ケーキ買ってきてあげよう!」

冬馬「お願いしますっ!」

P「本当に甘党なのか……。じゃなくて、おい双子、失礼なこと言うな。天ケ瀬さん本当に申し訳ない」

冬馬「ああいや、別にいいって……。ケーキくれんなら」

そんな食いたかったの?

女P「そうですよ。気にしないでください。あとケーキもいいですから」

女性は笑って答える。そう言うなら、まあいいか。

P「あ、申し遅れました。私、こういうものです」

ふと思い出し、やや慌てて名刺を差し出す。

相手もそれに応じて名刺を交換する。

82: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:53:29.79 ID:ZNOwlz250
女P「765プロと言えば高木さんの……」

P「へぇ、ご存知なんですね。そちらも黒井さんのとこの……」

女P「そちらもご存知なんですね。私は高木さんには学生の頃何度かお会いしたのでお世話になってるんです……。もちろん黒井社長にも」

P「そうでしたか。実は俺もなんですよ。そちらの黒井社長にはお世話になったもので……。もうずいぶん会ってないんですけどね」

女P「私も黒井社長からお話を伺ったことがあります。高木さんについて、それと高木さんのもとで働く男性について……」

P「それって俺のことですか?」

女P「はい。おそらく」

P「どんな風に仰ってました?」

言うと彼女はおかしいことを思い出した風に笑って。

女P「ふふっ! そうですねー。絶賛してるのか罵倒してるのかよくわかりませんでした。でもとっても可愛がってらっしゃるんだなぁって思いました」

あの人らしいな。自然と笑みがこぼれてしまう。

P「今度、あいさつに伺いますね」

女P「ぜひいらしてください」

世間話にちょうど花が咲き始めたころ。

翔太「あれー? もしかしてお二人さんいい雰囲気?」

北斗「俺たちはお邪魔でしたかね?」

冬馬「いやいや、二人が外に出ろよ」

好き好きに言うジュピター。

亜美「兄ちゃん、その人とお熱い感じなのー? 初対面なのにやるぅ!」

ニヤニヤする亜美。

真美「兄ちゃん! もう行こうよ!」

なぜか慌てだす真美。あんまり引っ張るもんだから。

83: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:53:57.59 ID:ZNOwlz250
P「わかったわかった。引っ張んな」

女Pさんはくすくすと笑う。

女P「真美ちゃんはPさんのこと好きなのね。」

真美「ち、ちがうもん! 真美、飽きちゃっただけ!」

ここに、なんだか子供と大人の差を感じた。

女P「……それではPさん今日はよろしくお願いします」

P「はい。こちらこそ。そんじゃ二人とも行くぞ」

俺たちは楽屋を後にした。

真美が若干、不機嫌なのが気がかりだ。

P「どうした真美? 何が気に食わないんだ?」

真美「べつにー……」

あからさま過ぎて逆にどうしたらいいかわからん。

P「なあ亜美……どうにかしてくれよ」

小声で亜美にヘルプを要請。

亜美「亜美もなんかよくわかんない。最近になってだけど、真美ってたまにああいう感じ出したりするから……」

P「そうかい」

亜美もダメ。じゃあ誰ならいいの?

P「なあ真美?」

真美「なに?」

やっぱり少し不機嫌そうに答える。おお、真美よ一体どうしてしまったというのだ!

P「今日の収録の後3人でちょっとしたお祝いをしよう。初テレビ出演おめでとうって……」

真美「……」

P「嫌か?」

真美「ううん。嫌じゃない」

そう言った真美の口調はさっきよりも穏やかだった。

84: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:54:26.07 ID:ZNOwlz250
亜美「じゃあ亜美は夜景の綺麗なビルの最上階がいい!!」

P「子供が背伸びするんじゃありません! それに俺も今月やばい」

亜美「いいじゃんいいじゃん! そんなことで何がお祝いなの兄ちゃーん?」

調子乗ってんなこいつ。

P「大きめのは事務所でやるからいいんだよ。俺たちはみんなに秘密でひっそりとやるのさ」

真美「秘密で……」

P「そう。まあ高そうな所は無理だが、できるだけ大人っぽいとこには連れてってやるよ」

真美「約束だよ?」

亜美「約束!」

P「わかったって。だったら亜美と真美も今日はばっちり決めてくれよ?」

真美「うん!」

亜美「了解であります!」

そうして迎えた本番。

初めてにしては緊張感もなく、進行していった。

ジュピターとの掛け合いも割とウケていた。

冬馬くんの路線がよからぬ方向へ進んで行ってる気がしたが、見て見ぬふりをした。

しまいには、司会者までいじりだす始末。

あとは亜美と真美の魅力を十分に伝えるような編集になってることを祈るだけだ。

今から放送が楽しみだなぁ。

85: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:55:05.20 ID:ZNOwlz250
P「お疲れ様。真美、亜美、二人とも良かったんじゃないか?」

亜美「まあねー!」

真美「手ごたえばっちりっしょ!」

確かに、スタッフにも出演者にも好印象だったように思える。

そして亜美と真美にはスタッフのあいさつに行かせた。

P「あ、ジュピターのみんなもお疲れ様。とっても面白い現場だった。ありがとう」

北斗「いえ、こちらこそ。初めてでしたが十分に楽しませてもらいました」

翔太「一人納得いってないのがいるみたいだけどねー」

冬馬「うっせーよ! あんなの俺のアイドル活動終了じゃねーか!」

本当に彼は気の毒だった。

女P「あれじゃまるで芸人ね」

冬馬「ぐっ…! あんたは本当に優しくねぇな」

P「でもあんなツッコみ芸人顔負けじゃないか! とてもいい武器になるよ」

冬馬「やめろ。優しくしないでくれ」

女P「まったく。優しくしてほしいのか、ほしくないのかどっちなのよ……」

冬馬「こうなったのも双子のせいだぞ」

翔太「それは冬馬くんが悪いよ」

北斗「そうだぞ冬馬。お前がバカ正直に言い返すから」

確かに鬼ヶ島羅刹のくだりとか、ピピン板橋のくだりの返しが鮮やかだった。

文字数しか合ってないとか、一瞬じゃわかんねーから。

でもこれじゃあまりにも彼がかわいそうだ。

86: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:55:45.88 ID:ZNOwlz250
P「本当に申し訳ないです。天ケ瀬さん」

冬馬「もういいって、身内がこんなだ。開き直るさ」

意外と図太いメンタルなのな。

冬馬「あとその呼び方はやめてくれ、冬馬でいいよ。年上に名字にさん付けで呼ばれるのはムズムズする」

P「そうですか……。では次にこういう機会があればまたよろしく頼むよ。冬馬くん」

俺も冬馬くんの方がしっくりくるな。

冬馬「ああ、二度と御免だけどな」

と言ってさっさと行ってしまった。

北斗「彼はああ言ってますけど別に本当に嫌なわけじゃないと思いますよ?」

翔太「そうだよねー! なんだかんだ言っても冬馬くんすごく楽しそうだったから」

P「そっか」

二人は最後にあいさつをして帰って行った。

女P「失礼な子で申し訳ありません」

P「いえ、こちらからちょっかいをかけてしまったので謝らなきゃいけないのはこちらです」

女P「……そうだ!」

急に手のひらをパシッと合わせる女Pさん。

女P「せっかくですから、番号交換しませんか?」

番号というのは無論、電話番号のことである。

こちらは断る理由もないので……。

P「そうですね」

あっさりと承諾する。

87: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:56:29.64 ID:ZNOwlz250
女P「じゃあ今度連絡いれますね。相談とか乗ってもらえれば助かります」

P「こちらこそ、まだまだ未熟なものですから頼りにさせていただきます」

お互いにお疲れ様、と残しその場を後にした。

本日の業務は終了。報告書を書いて後日提出だ。

亜美「兄ちゃーん。終わったよ」

真美「ディナー行こ? ディナー!!」

P「そうだな。なんか食べたいものあるか?」

亜美「そこは兄ちゃんがエスコートするってもんでしょー!」

P「そうか。ラーメンでいいのか?」

亜美「えー! 兄ちゃんセンスないですなー」

P「うっせ。今どこでもいいっつったろが」

真美「言ってないよー」

呆れた感じで真美が言う。

真美「どこに連れていくかで男の人のうちわが決まるってスタッフのお姉さんが言ってた」

団扇って何だ。器だろ器。

P「…まあ任せろ。ちょっといいとこ連れてってやるから」

俺はよく行ってた店に電話を掛ける。つまり、水瀬家がよく行くような店だ。

ちょうど席も空いているということなので、今から行くと伝えて電話を切る。

P「うっし、じゃあ行くぞー」

亜美「わーい! さっすが兄ちゃん!」

真美「期待してるかんね?」

P「生意気言ってんじゃねぇ。さっさと乗れ」

亜美真美『はーい』

車に乗り、目的地へ。

88: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:57:50.06 ID:ZNOwlz250
ここからでもあまり遠くない場所だ。

大体30分かからずに着いた場所は地上40階ほどありそうな高層ビル。

その下でそれを見上げ驚愕する二人。

亜美「兄ちゃん……」

真美「これマジな感じ……?」

P「任せろって言ったろ? まあ今日くらいは奮発してやるよ。みんなには絶対内緒な?」

亜美「ありがとう! 兄ちゃん!」

真美「うん! 約束する!」

でもこういうのって誰かに話したくなるだろうから、内緒にしなくてもいいと俺は思っているが。

内緒とか秘密って言うと特別感増すよね。

P「とりあえず行くか。俺も久しぶりなんだよなぁ……」

真美「兄ちゃん、来たことあるの?」

P「当たり前だろ。そうでなきゃ電話もかけないし、連れてきたりもしないって」

亜美「ふーん。前来たのはいつなの?」

わりと質問多いな。いいんだけど。

P「そうだな。もう3年は来てないなぁ」

亜美「へー」

興味ねえだろお前。

P「ほら、エレベーター乗って」

真美「うわぁ! 30階まであるよ!?」

P「28階だ」

驚く真美にそれだけ言って俺は28のボタンを押す。

亜美「なんかドキドキすんねっ!」

真美「うんっ!」

二人ともみるみるテンションが上がってく。

89: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:58:47.87 ID:ZNOwlz250
こちらまでそのワクワク感が伝わってくる。今にも工作しそうなくらいだ。

こういう場所のエレベーターはやけに速くて、亜美と真美が数字の光を目で追っているとあっという間に目的の28階へ着く。

真美「はやー」

亜美「はえー」

こういう子供っぽいところはやはり愛嬌のある二人だった。

エレベーターを出ると一人のウェイターが出迎えてくれた。

P「先ほど電話を入れたPです」

「お待ちしておりました。こちらの席へどうぞ」

ウェイターはそれだけ言うと俺たちをカウンターの席へと案内した。

目の前にはシェフと鉄板。

料理の様子を目の前で見ることができるのだ。

さらに窓の奥には夜景が広がる。まさしく都会の絶景だった。

真美「すごーい!」

亜美「おしゃれっぽい!」

まさに小並感である。というかリアル小学生でした。

俺は椅子を引いて二人に座るように促す。

P「ほら、座りなよ」

亜美「サンキュー兄ちゃん!」

真美「ありがとう」

そうして自分も腰を掛ける。ここのシェフと目が合う。

「お久しぶりでございます」

P「はは、久しぶり」

ここのシェフとは顔見知りだったりする。元常連だったもんで。

90: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/13(月) 23:59:40.44 ID:ZNOwlz250
「本日は可愛いお客様もお連れのようで……」

P「まあね。仕事の同僚みたいなもんだよ」

「ほう。それはご立派ですね」

P「なに、まだまだ駆け出しのアイドルなんだ」

「アイドルですか。それではサインの方も今のうちにいただけますか?」

冗談っぽく言うシェフ。

P「あはは! まだ自分のサインなんて持ってないんじゃいかな?」

それに全然有名じゃないのにさ。これから有名になるけど。

亜美「あるよ?」

P「……マジ?」

真美「マジマジ!」

シェフは笑うと、近くのウェイターに目くばせをする。

「ちょうど色紙の方も用意してありますので、ぜひ書いていただけませんか?」

亜美「もっちろん!」

真美「いいですとも!」

気合十分に二人はおそらく初めて他人に渡すであろうサインを書き始めた。

可愛らしい文字で二人らしいサインが色紙を飾る。

91: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:00:08.57 ID:TQuykL+T0
P「地味に練習してたんだな」

亜美「まあねー」

真美「ちょっと緊張しちゃったかも」

P「まあでも上手いな」

素直に褒めると、嬉しそうに笑う亜美と真美。

「それではこちら飾らせていただいてもよろしいですか?」

P「そうしてもらえると助かるな」

一応、二人の宣伝効果にならないかな?

「ところで、ご注文はいつものでよろしいでしょうか?」

P「そうだね。じゃあ、みんな同じので頼むよ」

「かしこまりました」

真美「いつものだって! いつもの!」

亜美「なんかかっこいー!」

テンションもさらに上がる二人。

目の前で肉を焼き始めるのを凝視したり、少しお高めな雰囲気に多少緊張しながらも楽しく過ごせているようでなによりだった。

スープ、前菜、主菜と次々に出てくるコース料理に食べ盛りの二人の瞳もキラキラと輝く。

92: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:00:38.37 ID:TQuykL+T0
亜美真美『おいしー!!』

「大変嬉しいお言葉をありがとうございます」

シェフも満足そうにニコニコと笑顔でいる。

「坊ちゃまはどうですか?」

P「あはは、その呼び方はよしてくれよ。もちろん美味しい。それに、懐かしい」

シェフは何も言わなかったが、慈しむような目をしていた。

この人も小さい頃から俺を知っているんだと、実感させられる。

その後、デザートをいただき、しばらく談笑して席を立つ。

「また来てください」

P「ええ、また来るよ。今日はサービスしてくれてありがとう」

割引してもらった。社会人になったお祝いだそうだ。もう3年目だけどね。

「ご家族の方も頻繁にいらしております」

彼は事情を知っているのだろう。

P「お世話になってるみたいで」

「……いえ、こちらこそ」

彼はもう何も言及してこなかった。多分、俺の声の調子から踏み込むべき話題じゃないと思ったのか。気遣いも上手な人だ。

「お嬢さんたちも応援しているよ」

亜美「ありがとう、おじさん!」

真美「真美たち絶対有名人になるからね!」

シェフは優しく笑って俺たちを見送った。

93: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:01:23.27 ID:TQuykL+T0
P「よかったな。ああして応援してもらえるなんて幸せなことだよ」

亜美「うん! いいおじさんだった!」

真美「真美また行きたい!」

P「そんなホイホイ連れて行けるような場所じゃねーよ。二人とももっと頑張りなさい」

亜美真美『はーい』

満面の笑顔で息ピッタリに二人は返事をした。

来た時と同じようにエレベーターに乗る。

違うのは気持ちが若干落ち着いていたことだろうか。

車まで着くと俺はキーを解除しドアを開けて二人に入るように示す。

まるで執事とお嬢様みたいな構図に感じた。

車を出すと間もなく二人は眠ってしまった。

よっぽど疲れたのだろう。お腹も満たして満足したのだろう。

P「お疲れ様でした……」

事務所についてからも眠っていた彼女たちにそう言って運転席を降り、後部座席のドアを開ける。

動かしたらかわいそうだろうか。

そんな考えが頭をよぎる。

しばらくまごついていると二人が寒がると思って、やっぱりドアは閉めた。

どうしようと悩んだが、トランクに毛布が入ってたことを思い出す。

引っ張り出したそれを持って再びドアを開け、二人仲良く掛けさせてやる。

寝ている姿が微笑ましくて、俺も自然と笑顔になった。

94: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:02:03.99 ID:TQuykL+T0
大分、起きそうにない。

さらりと頭を撫でる。

今日はよく頑張ったと思う。

そんな二人を見ていると抱きしめたい衝動に駆られたがぐっと堪える。

起こしたらかわいそうだ。

起こさないように車から出て、後ろ手でドアを閉め、そのままもたれかかる。

タバコなんて吸ってたらかっこいいんだろうな、なんてガキっぽく考える。

パッと空を見上げてみた。特にやることもなかったから。

都会でもわりと星って見えるんだな。目を凝らせばだけど。

15分ほどたっただろうか。双海姉妹はなかなか起きる気配がない。

外も寒いし。

P「いったん事務所に戻るかぁ……」

独り言を言ってすぐそばの階段を上った。

P「ただいま」

小鳥「あ、お帰りなさいプロデューサーさん! 亜美ちゃんと真美ちゃん、どうでしたか?」

P「上出来じゃないでしょうか。今から放送が楽しみですよ」

小鳥「本当、待ち遠しいですね!」

小鳥さんのテンションが高い。彼女もアイドル達に対する思いは並ではないのだ。

95: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:02:43.79 ID:TQuykL+T0
小鳥「あれ? ところで亜美ちゃんと真美ちゃんは?」

P「ああ、二人なら車で寝てますよ。今日はこのまま送ってっちゃってもいいですよね?」

小鳥「そうですね。遅い時間ですし……親御さんに連絡入れときます」

P「ああ、助かります」

小鳥「ふふっ! プロデューサーさんもお疲れ様です」

P「小鳥さんこそこんな時間までお疲れ様です」

もう彼女一人だけだ。社長はあっちへこっちへ色々と忙しいのであまり顔を出せないようで、代わりに小鳥さんが事務所を守ってるみたいだ。

小鳥「ところでプロデューサーさん、亜美ちゃんと真美ちゃんのテレビ初出演のお祝いは後日やることになりました。録画したその番組を見ながらってことで」

がらりと話題が変わる。

それにしても、番組見ながらって恥ずかしくないか?まあいいけど……。

P「了解です。今日は俺ももう帰りますね」

小鳥「はい。戸締りはしておきます。また明日…」

今日はもうあがろう。俺も疲れたかも。

そうして事務所を後にした。

俺は双海姉妹を家まで送った。

家は意外と大きい。聞けば父親が医者らしい。

そんなお父様は家の外で寒いのを我慢して娘の帰りを待っていた。

とても心配していたようだ。

寝てる二人を、俺と双海パパとで運んで短く会話を交わした。

いつもお世話になってるだの、娘をよろしくだの、腰の低めな父親だった。

俺の医者のイメージがいい方に変わったりした。

双海家を発ち、家に着いた俺は倒れこむように眠った。

96: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:03:11.89 ID:TQuykL+T0
時は流れ。

パーティーセットに彩られた事務所では、今か今かとテレビを凝視しているアイドル達。

そわそわと待つ亜美と真美。

小鳥「そろそろ始めますよ!」

春香「うわぁ、楽しみ! ね、千早ちゃん!」

千早「そうね。二人ともどんな風に映るのかしら」

真「ついにうちからテレビに出るアイドルが……! くぅー! なんか感慨深いですね!」

P「そうだなぁ……みんなもこれから出てもらわないとね」

律子「おまけにうちじゃ最年少の亜美と真美でしょ?」

美希「先を越されちゃったの」

まあ美希は後輩にあたるけどな。

美希「ハニー? ミキもテレビ出たいな……」

いつもぐいぐい来るよな美希って……。

周りの視線が一気に集まるの怖いからやめてほしいんだけど。

今だって俺の袖をつかんで体を寄せ、ぶりっ子全開だ。

P「悪いな。今みんな売り込んでるからさ。後は先方次第ってことだ」

美希「そうなんだ。ハニーが頑張ってるのにミキ、デリカシー無かったの。ごめんねハニー?」

P「ああ、いいっていいって。いいから早く離れろ」

美希「ヤ!」

そしてこの一言である。

97: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:03:49.32 ID:TQuykL+T0
伊織「お兄様が困ってるでしょ! 離れなさい美希!」

美希「やーん! デコちゃん怖ーい。助けてハニー?」

伊織「デコちゃん言うなぁ!」

P「美希、お前大丈夫だろうが。いいから離れなさい」

無理やり引き離す。なついてくれるのはいいんだけど、行き過ぎると確かに困るな。

美希は相変わらずのふくれっ面だ。

雪歩が苦笑いでこちらを見ていた。

P「ゆーきほっ! どうした? こっち見てたけど…」

雪歩「ええっ!? べべ別にどうもしてませんよぅ! プロデューサーこそ急にどうしたんですか?」

P「雪歩がこっち見てたからさ……」

熱出した時の一件以来、俺は雪歩によく絡むようになった。

雪歩「……そ、それは美希ちゃんのアプローチがすごいなぁって……」

美希「雪歩もミキを見習うといいの」

P「自分で言うセリフじゃないよな」

千早「美希、あんまりプロデューサーを困らせてはいけないわ」

美希「はーい。千早さんがそう言うなら仕方ないの……」

おいおい。俺は? 俺の意見は?

ところで千早にも美希は頭が上がらなかったりする。

それは純粋に美希が千早のことを尊敬しているからなのだ。

98: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:04:54.59 ID:TQuykL+T0
美希「ねえねえハニー! もっとそっち詰めてよぉ!」

こいつ、またか!! さっき注意されたばかりなのに……。

俺はもう端っこにいるだろうが!

P「無理だ。ていうか、美希の方がスペースに余裕あるじゃねえか」

伊織「アンタねぇ! お兄様から離れなさいよぉ!」

千早「いい加減にしなさい美希!」

割って入ってくる伊織と千早。

二人もあんまりくっついてくるんじゃない!

春香「うわぁ……」

真「大変だなぁ……プロデューサー」

P「雪歩、助けて!」

雪歩「ええっ!?」

律子「もう! うるっさいわねぇ!」

亜美「亜美もー!」

事務所内がごちゃごちゃとしてきて……。

やよい「みなさん、もう始まりますよ! 静かにしてくださいっ!」

しまいに普段は温厚なやよいに怒られてしまった。

意外な人物からの注意と意外にも大きな声にみんなはぴしゃりと黙る。

彼女はしっかり者だから、みんな逆らえなかったりする。

もしかすると、みんなが一番言うことを聞く人物がやよいなのかもしれない。

99: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:05:28.45 ID:TQuykL+T0
でもやよいも亜美と真美のことを考えて怒っているに違いない。

そういう気遣いができる子だ。

P「ああ、悪い」

千早「高槻さんに怒られた……」

美希「千早さんしっかりするの……」

なんやかんやしてるうちに収録が流れ始めた。

みんなも目を輝かせて見ていた。

司会の方が上手く話を振ったりしてもちろん面白いのだが、亜美と真美とジュピターの掛け合いも、なかなか面白い。

特に冬馬くんが。

何あのツッコミ、あれで初めての出演だっていうんだから驚きなんだけど。

P「いやぁ、やっぱ冬馬くん面白いよね」

真「アイドルとして大丈夫なんですか?」

P「いやダメだろ。でも面白ければ生き残れるし、彼にはおそらくピンでも仕事入ってくるんじゃないか?」

黒井社長の売り出し方とはだいぶ違うと思うけど、別にそんなこと気にする人じゃないしな。どっちかって言うと結果を出せばいいって人だし。

あずさ「けっこう絶賛なんですねぇ」

P「まあな。やっぱ961プロはすごいと思うよ」

ツッコミの練習はさせてないと思うけど。社長の見る目があるってことで。

100: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:05:57.87 ID:TQuykL+T0
あずさ「961プロって言うと……黒井社長の?」

律子「高木社長と因縁の仲だって聞きましたけど?」

P「ああ、二人は良きライバルってことさ。お互いの方針は違えども実力は認め合っているはずだよ」

あずさ「そうなんですか」

律子「そういう関係ってなんだか憧れちゃいますねー」

律子も少年みたいなこと言うんだな。

でも確かに憧れはあるかなぁ。

高めあえる相手がいるってのは人を豊かにすると思う。

P「冬馬くんはこんな感じだけど、実は歌も踊りもファンサービスもすごいんだ」

律子「へえ……」

まじまじと画面を見る律子。そんな風には見えないと訝しんでる様子だった。

亜美「今んとこ最高だったっしょ!?」

真「思いっきり滑ってるんだけど……」

伊織「そうね。司会に苦笑いされてるわよ。しかも頑張って拾ってもらってるわね」

春香「でも笑いに繋げるあたりがさすがだよねー」

おお、ちゃんと映像を見て分析してるみたいだ。亜美は自画自賛やめような。

真美「なんか恥ずかしいよー」

対して恥じらいを見せる真美。

あずさ「あらあら~真美ちゃんとっても可愛いわよ?」

やよい「そうだよ真美! いっぱいファンが増えるかも!」

雪歩「私だったら応援したくなっちゃうな!」

765プロの良心がフォローを入れる。

101: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:06:37.46 ID:TQuykL+T0
しかしそれをお世辞と呼ぶにはあまりに無理がある雰囲気だった。

真美「ありがと……!」

P「よかったな真美」

真美「うん! 兄ちゃんのおかげだよっ!」

まさかね……。これは真美の人柄が為せることだ。

それから、わいわいと時間は過ぎて行って……。

P「んじゃあ各自解散ってことで」

『はーい』

P「俺はやることあるから片付けは任せてくれ」

春香「ええ!? そんなの申し訳ないですっ! 私たちも片付けていきますから」

P「そうはいってもなぁ。8時回ってるだろ? もう遅いし、ほら、あの眠そうな子たちを送って行ってやってくれ」

春香「でも……」

あずさ「あらあら~、亜美ちゃん? 真美ちゃん? 寝たらダメよ?」

P「やよいだって、まいってるみたいだし。美希は……相変わらずだなあれは……。何より律子がああなるとは思わなかった」

指さした先にはソファでぐったりとだらしなく目を閉じてる律子がいた。

春香は困った笑いを浮かべて、どうしましょうか、とこちらを向く。

P「残りのみんなで彼女たちのこと頼んだ。それにさっきも言ったが俺はまだやることあるから。あと事務所の片付けくらいやっとく」

千早「春香。ここはプロデューサーを信じて私たちが責任をもって律子たちを家に帰しましょう?」

春香「うーん。じゃあお願いしますね、プロデューサーさん?」

P「ああ、了解」

伊織「あまり無理はしないでよね、お兄様。また倒れたりしたら許さないわ」

P「はい」

わりと低いトーンだったもんでちょっとビビったじゃないか……。

102: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:07:09.03 ID:TQuykL+T0
伊織「じゃあ私がやよいを送ってくわ。車も出してもらおうかしら」

もう全員、伊織の家の車でよくない?

そう思ったが、みんなはそれぞれを送ることに乗り気な様子だ。

あずさ「じゃあ律子さん行きましょうね」

律子「……ふぁい。……あじゅしゃしゃん……おへあにないあふ……」

あいつ何て言ってん? 眠気がピークだな。ただのうめき声だったし。

P「あずさ、気を付けてな?」

主に道に迷わないように……。

あずさ「はい。任せてくださいー」

律子はもうふらふらしていて、見てて危なっかしかった。酔っ払いかよ……。

それぞれ帰っていく。

疲れたにしても、約半数が帰り際に寝るなんてちょっと異常だが、そういうこともあるだろう。

特に律子は真剣に映像見てたしな。

そういえば将来的には事務の方に就きたいだなんて言ってたような。

それはさておき、全員のスケジュールをチェックしなければ……。

仕事もだんだんと増えてきて把握するのも忙しい。

毎日、誰かしら仕事に出てる。

双海姉妹が他よりも若干、スケジュールが埋まってるな。

放送から数日、二人へのオファーが何件か来ている。

当然、引き受けることになってるのだが……。

P「……他の子が、このままじゃ……」

偏りが出始めるのは避けたい。

103: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/14(火) 00:07:39.93 ID:TQuykL+T0
P「考えても仕方ないな」

夜も更けはじめた頃、とにかくコネを頼りに電話をかけまくった。

何もこの時間からでなくてもよかったのだが、情熱が溢れて何か行動を起こしたかったのだ。

一息つくため、動きやすい格好に着替えて仮眠をとろう。

そう思い、ソファーに腰掛け上を脱ぐ。

横には着替えも置いている。

ちょっと疲れたな……。

少しだけ横になってリラックスでもしよう。

『初めてのテレビ出演』   終わり

108: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:03:20.93 ID:SlLbhsx80
『プロデューサー志望です』『笑顔で頑張ります!』

そうして翌日。

小鳥「あれ、鍵開いてる!?」

ぎょっとする小鳥。

小鳥「もしかして……空き巣?」

その考えに至るのはいたって自然だ。

小鳥「……おはようございまーす」

小鳥はおそるおそる部屋の中に声をかける。

小鳥「…ってプロデューサーさん!?」

鍵が開いていたのはPが帰らなかったためである。

小鳥「なんでそんな恰好でソファで寝てるんですか!?」

P「んおっ! ……びっくりしたぁ。……小鳥さんですか。」

小鳥「こんな寒いのに上半身裸ってどういうことですか?」

P「うわぁ、すっげ寒い……」

小鳥「当たり前です! 夜は冷えますよ? それで、なぜそんな恰好で?」

P「着替えようとして、……寝落ち?」

ちょっとだけ、茶目っ気を交えたつもりで、笑って終わると思ったんだけど。

小鳥「……あなたは本当にバカですね」

すごい真顔で言われた……。

P「……はは、本当ですね……」

寒い。俺は冷めた視線を冷え切った肌で感じながらそそくさと着替えた。

幸い風邪はひきませんでした。

109: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:03:49.91 ID:SlLbhsx80
この日の徹夜が功を奏したのかどうかは分からないが、全員分のデビューシングルCDの発売にこぎつけられた。

そうして発売から数日が経ち、徐々に仕事の話ももらえるようになった。

P「みんなのCDも良かったし、これからが楽しみだなー!」

事務所の前で独り言を言ってからドアを開ける。

P「おはようございます」

小鳥「おはようございます」

P「早いですね」

小鳥「いつも通りですよ?」

そういえばそうだったな。

P「みんなのスケジュールはどうですか?」

小鳥「それでしたらホワイトボードに書いてあります。……やよいちゃんがテレビ出演ですね」

P「むっ!」

かくいう本日、これは大事な仕事だ。

P「……実はこれ、やよいにはまだ内緒なんですけど、レギュラー化が期待できそうです」

小鳥「なんとっ!? 一世一代の大勝負ですか!?」

P「そんなおおげさじゃないですけど……この番組の平均視聴率よりもいい数字取れたらレギュラーのコーナーにしてもらえるそうです」

小鳥「これで定期的にうちのアイドルがテレビで拝めるわけですね……」

P「やよいなら行けます!」

小鳥「おお! すごい自信ですね」

俺が期待してるのには一応理由もある。

110: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:05:05.45 ID:SlLbhsx80
昼過ぎの情報番組のコーナーであるが、やよいが一日お手伝いさんとして一般家庭に訪問し、家事をするやよいを見るだけという内容。

一見しょぼそうに思えるが、まだ年端もいかない美少女が家事をこなす、ということに誰が心を打たれないだろうか。いや、打たれる。

昼間にテレビを見るだろうお婆様、お爺様からの支持はうなぎ登り(予定)!

これはいける。あとは運がいいかどうか。

律子「おはようございます」

P「あれ、律子早いな。どうした?」

律子「今日は、その早く来て小鳥さんのお手伝いでもと思いまして……」

小鳥「あら、助かるわ!」

P「ふーん。なんか最近、律子の仕事入ってないな」

律子「……」

小鳥「そういえば……」

P「すまないな。急にキャンセルされることが多いなとは思ったんだが、気が付けば仕事無しとは……俺のせいだ」

律子「……あ」

小鳥「律子さん?」

律子「ああ、いえ、仕事がないのは私に魅力が足りないからですよ! 他のみんなが上手くいき始めてるから私も慢心してしまったみたいですね!」

律子が慢心? あり得るわけがない。

P「……」

なんか隠してる。今の態度で分かってしまった。彼女は嘘が下手だから。

112: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:06:48.37 ID:SlLbhsx80
P「いや、お前は頑張ってる。足りないのはお前の魅力を引き出せない俺の力だ」

律子「本当にそんなことありませんって! それに、いいんですよ。私プロデューサーになりたいって思ってましたから」

P「そういえばそうだっけか……?」

確かにそんなようなことを聞いたことはあるけど……。

小鳥さんとのアイコンタクトを試みる。

小鳥「ええ!? 嘘っ!? 知らなかったわ」

こっち見てないな。でもあの様子じゃ知らなかったみたいだ。

P「なるほど。ドタキャンの理由が想像できた」

正確には仕事がキャンセルされてるわけではない。

律子へのオファーだったはずが他の子にチェンジ、ということになるのだ。

律子「……」

俺が察すると律子は少しだけ表情を強張らせた。

P「はぁ……。律子、お前なぁ、勝手に仕事断って他のアイドルに振ってただろ」

律子「……そ、それは」

歯切れが悪い。何をやってるんだかこいつは……。

小鳥さんも驚きを隠せない。

律子さん、何で……とか呟きながらそのまま妄想の世界に入って行ったようだ。

なにがトリガーだったのか……。頭の中でサスペンスの音楽でも流れてそうな顔をしてる。

113: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:07:29.24 ID:SlLbhsx80
それはそうとこいつときたら……。

P「お前なぁ。自分のやってることわかってんのか?」

律子「……」

律子は沈黙だ。沈黙するということはやって良いことではないと認識している証である。

P「てめえがやったことは先方の不信感を煽ることだろ? それに仕事を取ってきた俺への嫌がらせか?」

律子「そ、そんな……。私はただ……」

P「ただ……なんだ? お前はなぁ、事務所の名前に泥を塗ってんだよ。これで765プロさんは信用できませんなんて言われてみろ。お前だけじゃなくて他の子はどうなる?」

律子「! でも、私は……」

P「言い訳は聞きたくない。後先考えない勝手な行動……反省しろ」

律子「私は! 他の子の仕事が増えるならと、思って……」

P「それが後先考えてないって言ってんだろ! お前がやってるのは欲求を満たすためだけのプロデュースごっこだ……」

律子「……あ」

律子はうつむき、肩を震わせる。

俺としても心苦しくないと言えば嘘だが、それよりも怒りが先行した。

裏切られたような虚無感が抜けない。

律子「……ごめんなさい」

微かに聞こえる彼女の声。

114: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:08:00.91 ID:SlLbhsx80
冷静になった俺は言いすぎたと思い、後悔の念に襲われる。

別に問題になるようなことは起きてないから別にいいじゃないか……。

いや、そういうわけにも……。

P「ああ、もう!」

大声を出して、律子はびくっと跳ねる。

P「わかった。説教は終わり! お前プロデューサーになりたいんだろ?」

律子はちょっとうろたえた後、小さくうなずく。

P「じゃあ今日ついてこい。やよいの現場だ」

律子「……で、でも、私、とんでも、ないことを……」

律子も俺の話を聞いてようやく事の重大さがわかってきたようだった。

P「それに関しちゃもういい。お前なりの気遣いだったんだろう。俺も強く言い過ぎた。実際なんも起きてないし、律子がまだ若すぎたんだ。今のうちに失敗しておけ」

律子「……プロデューサー……うっ、私、うぅ……ごめんなさい……」

律子はとうとう声をあげて泣き出した。

P「いや、こっちこそ気づいてあげられなくてすまなかった」

律子「!!」

俺は律子を抱き寄せ、安心してもらえるよう努めた。

女性の涙で感情がひっくり返ってしまう自分なんか嫌いだ。

でも、他にどうしろってんだ。

115: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:08:31.24 ID:SlLbhsx80
小鳥さんも我に返って見守っていたが、やがて口を開く。

小鳥「そんなことが……。律子さん。私からは特に言うこともありません。プロデューサーさんが全部言ってくれましたから」

律子「小鳥さん……」

小鳥「私も気づいてあげられなくてごめんなさい……」

律子「そ、そんな……謝られるのが、一番……辛いです……。プロデューサーも、謝らないでください……」

P「ああ、俺ももう謝るつもりはねぇ。今回で終わりだ」

律子「……」

律子はこっちをまじまじと見つめる。どこか悲しそうな表情がうかがえた。

そして彼女はうつむく。次に上げたその顔は何かを決意したようなものだった。

P「そろそろやよいが来る。化粧直してこい」

律子「はい……!」

律子はメガネを外し、目じりに浮かんだ涙を拭って洗面台に向かった。

小鳥「プロデューサーさん、それでいいんですか?」

P「そうですね。律子は本当のアイドルの魅力に憑りつかれてしまったみたいです」

小鳥「はあ……。律子さん、十分やっていけると思うんですけどね……」

P「いや、彼女は目立つこと、人前に立つってことをあまり好まないようでしたから、俺が早めにそういう決断をするべきだったんですよ」

116: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:09:00.94 ID:SlLbhsx80
小鳥「あまり自分を責めないで……」

P「いや、責めずにはいられません。俺はプロデューサー失格です。俺も彼女のアイドルとしての魅力に憑りつかれて、ちゃんとした判断ができなかった」

なんだこれは……懺悔でもしてるつもりなのか? ……俺は愚かだ。

不意に目頭が熱くなった。

本当に愚かな自分。

これじゃあ変わらないんだ。

無理強いさせて何になる。

親父と変わらねぇ。

いや、もう親じゃなかった。

違うな。親だからかもな。

親だからこそ、根本では変わらないのかもしれない。

嫌気がさした。一瞬で気持ち悪い感情が俺を埋め尽くす。

俺はあいつとは違う。

いや、同じだろ。

矛盾する思考がぐるぐると頭の中をかき乱す。

P「……ちょっと、仕事に備えて仮眠を取ります」

それ以上何か言おうものなら、泣いてしまいそうだった。

小鳥さんはこちらを振り向くと、目を見開いたように見えたが、俺はすぐに空いている椅子へ腰かけ、そのまま目を閉じた。

ところでだ。

人は浅い睡眠の時に夢を見るという。

117: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:09:29.17 ID:SlLbhsx80
よくわからない空間で目の前に親父が立っているのは、仮眠を取っている間に見てしまった夢であることに間違いないのだが、その場で夢と認識できるはずもない。

親父が言うんだ。

お前は未熟だと、自分の理想を押し付けてるだけだと……。

そんなことはしていない。

俺は反論するんだ。

たった十数分の仮眠が何時間にも感じる。

疲れだけがふわふわと俺の中を漂う。

プロデューサー?

しばらくして、聞こえてくるアイドルの声。

俺はあたりを見渡すけれど、よくわからない空間にはアイドルの姿は見えない。

突然、体が宙に放り出される感覚が全身を襲う。

がくりと体が沈んだと思いきや、椅子の上に座っていた。

よくある、あの落ちる感覚だ。

そして今日の主役であるやよいは心配そうにこちらを見ている。

P「……あ、やよい。おはよう」

やよい「あっ、おはようございます」

思い出したかのように言うやよい。

118: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:09:55.59 ID:SlLbhsx80
おいおい、向こうでそんなんじゃ困るぞ。

やよい「あの、起こしちゃってごめんなさい……」

P「気にすんな、仕事に遅れたら元も子も無いだろ?むしろ起こしてもらって悪いな……」

やよい「……」

どうやら心配そうな表情のままだ。

P「困ったな。これから仕事なのにそんな顔じゃあ良いお仕事できないぞ?」

努めて明るい調子で言った。

やよい「あの……」

P「どうした?」

やよい「なんでプロデューサー、泣いてるんですか……?」

P「は?」

やよいは俺の声を聞いて少し、びくっとした。

やってしまった。

今のは自分でも、どすのきいた声だと思ったからだ。

そんなつもりは全くなかったのに。

そのせいでやよいはオロオロしている。

119: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:10:37.15 ID:SlLbhsx80
P「あ、いや、ごめん。怖い夢でも見ちまったのかもな。本当にごめんな、怖い声だったよな」

必死に弁解して謝ってたら、やよいは安心していったようだ。

でも、なんで涙が……?

やよい「よかったです……。プロデューサー、わたしのこと、ぐすっ……、嫌いに、ぐすっ……、なっちゃたかと……思ってぇ……」

今度はやよいが泣いちゃった。自分が思ったより迫力があったみたいだ。

P「全然そんなことないよ。やよいのこと嫌いになったりするもんかよ。むしろ俺、やよいのこと大好きだからさ。あんな声、出すつもりなかったんだよ。本当にごめんな」

やよいはしばらく、ぐすぐすと泣いていた。

ああ、俺かっこ悪ぃよ。

最悪だよ。やつあたりかよ。最低だよ。もう今日の午前だけで女の子二人も泣かして何やってんだよ。

とにかく、頭を撫でて落ち着かせる。

P「……もう大丈夫か?すまなかったな……」

やよい「はい。……私もしゅん、ってなっちゃってごめんなさい。プロデューサー、全然そんなつもりなかったのに……」

P「いいんだ。悪いのは全部俺だから」

やよい「プロデューサーは悪くないです」

やよいは本当に優しい子だ。

120: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:11:06.47 ID:SlLbhsx80
P「……やよい、今日のお仕事、頑張ろうな」

やよい「はい!」

よかった。調子を取り戻しつつある。

やよい「プロデューサー」

P「ん? なんだ?」

やよい「何か嫌なことでもあったんですか?」

P「……なんにもないよ。どうして?」

やよい「さっき……」

P「……よくわからないんだ。なんで泣いてたのか自分でもよくわからない」

やよい「プロデューサーが悲しかったら、私も悲しいです」

P「心配してくれてありがとう。俺は君たちがいるから悲しくないよ」

やよい「……」

P「とにかく、やよいがお仕事頑張ってくれたら、悲しいのを忘れるくらいに嬉しいからさ……」

やよい「じゃあ、私すっごく頑張ります!」

P「うん。その意気だ。あと笑ってくれた方が俺も元気になる!」

やよい「本当ですか?」

P「本当だ! あと、テレビを見てるみんなも元気になる!」

やよい「はわっ!」

そんなにですか!? とでも言いたげな驚き方だった。

121: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:11:36.11 ID:SlLbhsx80
P「だから……やよいが悲しむならもう泣くのは止めにするよ。俺はもう泣いたりなんてしないから安心して」

やよい「……はい。私も……泣かないようにします」

P「まあ、どうしても我慢できなくなったらいいけどさ」

やよい「私、もう泣きません。私、お姉ちゃんだから!」

やよいは長女だ。

それも6人兄弟の一番上。

弟たちの面倒を見て、家事をこなして…。

だから彼女は自覚し始めている。姉として強くあらねばならないと。

俺のやよいに対する印象はよく泣く子。

ちょっと感情が揺さぶられるとすぐ泣いてしまう子だと思ってた。

情緒豊かなのだろうと思って気にしてなかったけど、彼女自身は気にしていたのかも。

涙を見せてしまうような弱い自分をどこかでよしとしなかったに違いない。

今、俺はきっかけを与えたのだろうか?

彼女が変われるきっかけを……。

だとしたら、それは嬉しいことだな。

やよい「プロデューサー?」

P「いや、なんでもない。今日は頑張ろうな」

やよいは元気に返事をした。

さて、俺は律子とやよいを連れて局へと訪れたわけである。

122: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:12:06.28 ID:SlLbhsx80
P「律子」

律子「はい……」

まだ落ち込み気味の律子。

P「俺、今日何もしないから一人でできるとこまでやってみて」

律子「ええっ!?」

落ち込んでいたとしても、やはりこれには驚いたようだ。

律子「あの、いきなりなんて……」

P「安心しろ。俺もゼロからスタートだったから」

しばらくオロオロと慌てていたが、不安そうにしながらも律子は承諾した。

P「挨拶くらいは一緒に回ろうか」

やよい、律子とともにスタッフたちに挨拶をする。

一通り終わるとやよいと今日のことの確認をして準備に臨む。

P「律子、やよい、質問とかはいいか?」

律子「ええ、不安ですが……今のところは大丈夫だと思います」

不安な返事。後ろ向きだなぁ。

123: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:12:37.20 ID:SlLbhsx80
P「自信もっていいぞ。今回、やよいの番組のレギュラー化が俺たちの目的で、そうなれば成功だと考えろ」

律子「……はい」

P「やよいは?」

やよい「大丈夫です! 今日も笑顔で頑張りまーす!!」

P「うん。いい笑顔。期待してるよ」

かくして本番に向かう。

「秋月さん。やよいちゃんの準備できましたか?」

律子「はい、やよいは準備オーケーです」

「では10分後に本番入りますので、スタンバイお願いします」

律子「わかりました」

すでに今回、訪問するお宅へと到着してる。

スタッフたちはゆとりをもって準備を進めていた。

いいスタッフさんたちだ。

P「律子」

律子「はい。なんですか?」

P「やよいのフォローは任せた」

律子「ええ、任せてください!」

さっきとは裏腹に頼もしい返事だった。

124: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:13:04.02 ID:SlLbhsx80
気づけばもう本番。

合図があり、やよいとスタッフ少数がお宅へお邪魔する。

やよい「うっうー! 高槻やよいの家庭訪問! 第一回でーす!」

元気よくタイトルコールをするやよい。

実にシンプルなタイトルだ。

やよい「今日お邪魔するおうちはこちらですっ!」

こうして始まりは特に何事もなく過ぎていく。

「あまり使ってない部屋のお片づけをお願いしてもいいかしら?」

やよい「はい! 任せてくださいっ! ピッカピカにしちゃいます!」

こうして依頼を受けるのだが……。

しばらくして……。

やよい「うぅ……」

どうやら必要なものか不要なものか決めあぐねているようだった。

明らかにいらなそうなものだが、やよいにはその判断がつかないみたいだ。

律子「やよいちゃん。奥様に聞いてみたら?」

お、律子ナイスフォロー。

ちゃんと編集で使えるように、馴れ馴れしくないのも細かい気配りみたいだ。

やよいはハッとした様子で依頼者の奥さんに聞きに行く。

125: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:13:33.67 ID:SlLbhsx80
どうするか答えてもらい、やよいはほっとしたようだ。

その一連の流れが可愛い。

とても応援してあげたくなる。

その後も荷物の整理、部屋の掃除、簡単な模様替えのお手伝いをした。

律子も上手くフォローをして、無事収録終了となった。

「助かったわぁ。ありがとう。やよいちゃんとっても可愛いし、私もこんな娘が欲しかったわ」

と依頼主の評価も高い。

やよい「ありがとうございます! 私も楽しかったです!」

「やよいちゃん。これお礼よ」

と渡したのはお菓子の詰め合わせ。

やよい「はわっ!? ダメです! お仕事で来たのに受け取れません……」

それでも欲しいのか自分の中で葛藤をしてるであろうやよい。

その手を伸ばそうとしては引っ込め、伸ばそうとしては引っ込め……。

「いいのよ。これはお仕事で来たやよいちゃんにじゃなくて、お手伝いしてくれたやよいちゃんへの感謝の気持ちよ?」

やよい「でも……」

やよいがこちらを見る。

ああ、許可がなければダメだと思ってるのか。

126: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:14:02.42 ID:SlLbhsx80
それとも俺から断ってほしいのか。

どちらにせよ俺から言えるのはやよいの背中を押してあげることだ。

P「やよい。これはね、感謝の気持ちなんだ。やよいは自分の感謝の気持ちをいりませんって言われたらどう思う?」

やよいは、むぅっと考えて……。

やよい「そうなったら……うーってなって、しゅんってなっちゃいます」

つまりどういうことだ?

わかんないけど、負の感情であることは確からしい。

P「じゃあこちらのお母様の感謝の気持ちはどうしたらいいかわかるよな?」

やよい「プロデューサー……」

やよいは依頼主に振り返る。

やよい「ありがとうございます! 弟たちもきっと喜ぶと思います!」

「ありがとう。家族思いでいい子なのね」

やよい「えへへ……」

「お疲れ様です。とてもいい映像が取れました!」

スタッフの一人が近づいてきて報告をもらう。

P「それはよかったです」

「俺もやよいちゃんのファンになっちゃいました。あはは…!」

最初はここにいるほとんどの人がアイドル高槻やよいを知らなかったのだが、今ではスタッフさんたちも認める立派なアイドルだ。

127: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:14:34.21 ID:SlLbhsx80
「視聴率関係なしに次もよろしくお願いします」

ということはレギュラー決定。

やよいの人柄のおかげか、次回の依頼者もすぐに募ることにするらしい。

P「こちらこそ高槻がお世話になります!」

隣にいた律子も慌てて頭を下げる。

律子「お願いします!」

「そっちの新人さんもナイスフォローだったよ」

律子「あ、ありがとうございます!」

スタッフさんたちは機材を回収してその場は解散。

俺たちは事務所に戻ることにした。

すでに夕方。

俺の運転する車の助手席では律子が後部座席ではやよいが気持ちよさそうに眠っていた。

俺はやよいのレギュラーが決まってウキウキ気分だった。

事務所に着くと同時に律子が起きる。

たまにいるよね。目的地に着くとなぜか起きる人。

P「おはよう律子。お疲れ様」

律子「あ、おはようござい、あふぅ……」

美希かよ……。寝起きとか眠い時とかにはめっぽう弱いみたいだ。

128: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:14:59.88 ID:SlLbhsx80
律子「……プロデューサー、今までごめんなさい」

すぐにまたそんなことを言う。

P「ああ、俺はもう怒ってないって……。でもああいうのは俺と小鳥さんを通してからにしてくれ。これでもみんなのことを考えてスケジュールを組んでるんだ」

律子「……はい。ごめんなさい」

P「ああもう、謝んじゃねえ! いつまでもうじうじしてんな!」

律子はそれでも居心地悪そうな顔してる。

P「言っとくけどお前はもうアイドルクビだから」

律子「え? そんな、待ってください!」

いきなりリストラされてさすがに慌てる律子。

P「勝手なことしといてお前に拒否権があると思うなよ。今日でアイドル業はおしまいだ」

律子「……あはは、そ、そうですよね。でも、最後に、プロデューサーのお仕事させてもらっただけでも……」

そこで彼女の言葉が詰まる。眼鏡の奥、瞳の端に光る滴が見える。

P「ああ、明日からプロデューサー業、頼んだぞ」

律子「……ふぇ?」

驚いたのか律子は顔を上げる。

P「だから俺たちはお前の意見を尊重する。明日から頑張ってくれ」

律子「……ぷ、ぷろでゅーさぁー……!」

ばっと俺にしがみつき声をあげて泣く律子。

129: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:15:28.96 ID:SlLbhsx80
律子「こ、こんにゃ、私が、いいんでしょうかっ!」

俺の体に顔を埋めたまま律子が叫ぶ。

やよい寝てるんだから静かにしてくれ。

P「ああ、たまたまミスもなかったし、運が良かったな」

律子「うぅ、ありがとう……ございましゅ! プロデューサー!」

噛み噛みだし俺にしがみついててかっこ悪いけど、こんな素直でまだ年相応な彼女も悪くないって思った。

やよい「良かったですね律子さん」

P「やよい……起きてたのか」

やよい「はい。二人とも言い合ってたので……」

やっぱり起こしちゃったか。

やよい「でも今日はいっぱい律子さんに助けてもらいましたし、アイドルもいいけどプロデューサーもいいかもしれません!」

律子「やよいぃ……ぐすっ……ありがとう……」

ぐすぐす泣きながら律子はやよいと目を合わせる。

P「さ、落ち着いたら事務所に戻ろう」

律子が落ち着いたところで事務所に戻る。

小鳥「お帰りなさい。お疲れ様です」

P「ええ、ただいま戻りました」

やよい「ただいまー!」

130: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:16:04.42 ID:SlLbhsx80
律子「小鳥さんお疲れ様です」

小鳥「どうでした?」

P「はい。おそらくレギュラーで決定です」

小鳥「わあ! やりましたね! 今度パーティーしなくちゃ!」

やよい「パーティーですかっ!?」

やよいと小鳥さんはキャッキャッとはしゃいでいる。微笑ましい。

そして小鳥さんはふと思い出したように……。

小鳥「あ、律子さん。明日からよろしくお願いします」

律子「あ、はい。こちらこそ……。ご迷惑おかけするかもしれませんが……」

P「当たり前だ。もっと迷惑かけろ。たくさん失敗しろ。そうじゃなきゃ俺がつまらん」

律子「えー……」

呆れていた。けどそういう態度もまた彼女らしくていい。

P「これまでの失敗は活かせ。でもあまり気にすることもしなくていい」

律子「……本当、プロデューサーには助けてもらってばっかりです。前はだらしないって思ったりもしましたけど、今は素直に尊敬します」

そうは言ったが恥ずかしかったのか、もじもじと落ち着かない。

131: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:16:32.05 ID:SlLbhsx80
P「そっか、ありがとな。やよいもよく頑張った」

やよい「私、実はちょっと泣きそうになっちゃったりしました。でもプロデューサーと泣かないって約束したから最後まで頑張れました!」

ぱぁっと笑顔になるやよい。

やっぱりやよいは笑ってる顔が一番だ。

本日の業務はこれにて終了した。

今は無名アイドルの引退と新人プロデューサーの誕生を祝ってやろう。

そうして次の日。

P「やよいがお昼の番組のレギュラーに抜擢された。これを機に他のみんなにも仕事が増えるように頑張るよ」

みんなが揃った事務所で昨日の活躍を報告。

P「それと昨日で秋月律子がアイドルを辞職」

その場が固まる。アイドル達がざわめき始める。

真「確かに律子いないね……」

春香「律子さん、どうしちゃったんだろう……」

美希「いつも怒られるけど、なんだか寂しい気もするの……」

不安がる声がちらほらと聞こえる。

なんだかんだで妙に信頼されていたのだ。

132: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:17:03.93 ID:SlLbhsx80
P「それと同時に新しくプロデューサーを雇うことにした」

雪歩「えっ、このタイミングでですか……?」

伊織「なんか複雑ね……」

律子の代わりで、というのが気に入らない子たちもいるようだ。

P「入ってきてどうぞ」

俺がそう声をかけると奥の扉から新人プロデューサーがやってきた。

『は?』

全員、目が点。

事情を知ってるのは俺と小鳥さんとやよいのみ。

それとこの場にはいないけど社長も……。

律子の異動の件として相談したらあっさりオーケーしてくれた。

P「じゃあ秋月プロデューサー、一言」

律子「はい。……おはようございます。本日付で765プロプロデューサーを務めさせていただきます秋月と申します。皆さんどうぞよろしくお願いします」

亜美真美『……って、りっちゃんじゃんかYO!!』

あずさ「あらあら~! 律子さん、辞めてなくて本当に良かったわぁ……」

あずさは律子が辞めたと聞いたときひどく落ち込んでた。

本当に嬉しそうだ。

133: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 00:17:37.64 ID:SlLbhsx80
伊織「も~! 紛らわしいわね! どうせお兄様が考えたんでしょ!」

P「おお、よくわかったな」

千早「プロデューサーしかいないもの……」

千早も呆れ気味だ。

P「とにかく、今後はプロデューサー二人体制でいくから改めてよろしく」

重大発表と聞かされていたみんなは、なんだぁ……と肩透かしをくらっていた。

真「いつプロデューサーになるのかなぁって思ってたけどさ」

P「へ? 何で?」

真「だって……」

春香「ねぇ……。仕事の話、律子さんが私が適任だって言ってたってスタッフの人が言ってましたし」

春香の言ってることなんかややこしいぞ?

雪歩「あ、私もこの前お仕事の話を受けた時、律子さんがどうのって言われましたぁ……。その時は気にしてなかったんですけど」

つまり、律子が自分に来た仕事を他の子に振ってたのはみんな知ってたらしい。

伊織「そう思えば、律子がアイドルよりプロデューサー志望だって想像つくわよね?」

千早「そうね」

いや、お前ら早く俺に言えよ。

今度は俺が肩透かしをくらう番だった。

律子「へ? 嘘……?」

それ以上に困惑してるやつがいたけど、もう何でもいいや。

ちなみに、やよいの家庭訪問はちらほらと話題を呼んで、気づけば検索ワード10位に引っかかっていた。

『プロデューサー志望です』『笑顔で頑張ります!』   終わり

136: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:06:16.34 ID:SlLbhsx80
『バレンタインデー』

月日は流れ、冬も残りわずかだがまだまだ寒さ厳しい今日この頃。

本日バレンタインデー。

男性諸君はそわそわと落ち着かない気持ちになるが、それも学生までの話。

というか俺は男子校だったのでそういうイベントはあってないようなものだった。

それに忙しい社会人にとっても忘れ去られてしまう不要なイベント。

別にチョコ欲しくないし。……本当だぞ?

ここまで俺の価値観。

しかし世間はバレンタインとなると騒がしい。

そのおかげでうちでも萩原雪歩がバレンタインイベントに参加できることになった。

その内容は都内にある大きなショッピングモールのイベント会場で女性アイドルが男性アイドルにチョコをプレゼントするというもの。

もちろん、会場に足を運んだお客様にも人数に限りはあるが、チョコをプレゼントする予定だ。

参加アイドルは安定した人気を誇るサイネリア。

現在注目株の新幹少女。

そうそうたるメンツなのは間違いない。

そんな人気アイドルたちに紛れる。ド新人の萩原雪歩。

片や雑誌の表紙を飾り、片や雑誌の小スペースに入れてもらえるかの大きな差だ。

137: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:07:04.94 ID:SlLbhsx80
うちが入れてもらえたのは他でもない、ジュピターや女Pさん、ひいては961プロの推薦というわけだ。

つまりこの企画は961プロプレゼンツなのだ。

そこで765プロからはイメージに合った雪歩を選抜した。

しかし人気アイドルを巻き込んでのこの企画。

さすがは黒井社長。抜かりない。

人気アイドルと絡めば、ジュピターの認知度も増すことは間違いない。

マスコミもいくらか来るらしい。

ここで雪歩を大きく売り出すチャンスになる!

というわけで俺は今、ショッピングモールで雪歩待ち。

雪歩「プロデューサー! お待たせしました! 来るの早いんですね……」

P「いや、俺も今来たとこ」

本当は集合の1時間前からいたけど。

スタッフさんたちはもっと早くいるし、俺も下見を兼ねて早めに来た。

P「雪歩も集合の30分前に来るなんて偉いじゃないか」

雪歩「えへへ……他のアイドルとの共演なので気合入れてきました!」

むんっと可愛らしく胸を張って、えへへ……と照れくさそうに微笑む雪歩。

かわいい。

138: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:07:47.93 ID:SlLbhsx80
雪歩「プロデューサー?」

P「はっ! どうした?」

雪歩「あ、いえ、プロデューサー、ボーっとしてたので大丈夫かな? って……。また無理してませんか?」

どうやら心配をかけてしまったようだ。

P「ああ、大丈夫。今は律子もいるし無理なんて、したくてもできねーよ」

雪歩「なら良かったぁ……ふふっ……」

P「あ~! もう! 可愛いなぁ!」

つい持ち上げてしまうほど可愛い。

雪歩「ひぁっ!」

本当に持ち上げられて、困惑の表情を浮かべている。

雪歩「プロデューサー! は、恥ずかしいぃ……!!」

俺は雪歩の必死な言葉に我に返って、持ち上げてた彼女を降ろす。

雪歩「や、やめてください……プロデューサー……」

消え入りそうな声の雪歩は顔を真っ赤にさせ、ちらちらと周りを見る。

どうやら周りの視線を気にしてるようだ。

幸い、周囲の人からは見えにくい位置だったのでそこまで注目されてなかった。

ここイベントのスペースの裏だし。

P「悪かった。……つい」

雪歩「つい、じゃありませんー!」

ちょっとだけ説教されました。

139: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:08:18.70 ID:SlLbhsx80
時間もまだあるので二人でモール内をうろうろする。

P「こう見ると店ん中もバレンタイン一色なんだな」

雪歩「バレンタインは女の子にとって大事な日ですから」

こういうイベントデーを大事にするところも雪歩選抜の要因だ。

春香やあずさと迷ったけど。

雪歩の乙女チックな感性は一般的なイメージに近いものがある。

そう思ったのが決め手となった。

雪歩「ところでプロデューサーはチョコ貰ったことありますか?」

P「いや、無いよ」

雪歩「伊織ちゃんからもですか?」

P「ああ、無いな」

雪歩「なんだか意外ですぅ」

P「そう? あいつはあんまり料理とかお菓子作りとかしないからな。俺としては意外ってほどでもないけど」

雪歩「そうは思えませんけど……」

P「そういう雪歩はどうなんだ? 好きな人にあげたりとか……」

雪歩「いえ、私は男の人が苦手で……。友達同士ならありますけど」

そういえば苦手だったな。

あんまり自然に会話してるもんだから忘れてた。

雪歩「あ、お父さんとお弟子さんたちにも渡したことがあるんですけど……」

そして雪歩はみるみるうちに顔面蒼白になっていく。

雪歩「男の人は怖いですぅ……」

どうやらいい思い出は無いみたいだ。

140: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:09:00.33 ID:SlLbhsx80
俺は深く言及しなかった。

雪歩「でも、それから毎年作ってます。みんな欲しそうにするから」

P「へー、評判いいんだな」

雪歩からのチョコなんて嬉しくないわけないもんな。

P「っと、そろそろ時間だ。戻るぞ」

雪歩「はい。もうちょっと回っていたかったですけど……ふふっ……」

口では残念と言いつつも、割と満足そうな雪歩だった。

会場に戻ると、すでに他のアイドルも揃ってるようだ。

P「ほら、挨拶に行くぞ」

雪歩「はい」

スタッフの人には来た時に済ませてあるので、一緒にステージに立つアイドルに挨拶をする。

雪歩「765プロの萩原雪歩です。よろしくお願いします」

まず挨拶した相手はサイネリア。

彩音「ええ、よろしく。サイネリアの鈴木彩音よ」

金髪のツインテール、そばかすが特徴的の小柄で可愛い女の子だ。

P「萩原にこのようなイベントは初めてでご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

彩音「これはご丁寧に……。それにしても765プロ……伺ったことはありませんが」

P「設立して間もないもので、961プロさんのご厚意で参加させていただけることになりました」

彩音「そうでしたか……。961プロの推薦とあればきっと大丈夫ですよ。雪歩ちゃん、頑張りましょうね」

雪歩「は、はい!」

見た目とは違ってとても礼儀正しく、小さいのにお姉さんな感じがした。

サイネリアの別のメンバーにも挨拶をして一息つく。

P「良かったな雪歩。共演者がいい人そうで」

雪歩「はい。彩音さんとっても可愛かったですぅ」

141: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:10:16.93 ID:SlLbhsx80
P「じゃあ、次は新幹少女のみなさんだ」

そうして、こだまプロ所属の新幹少女に挨拶しに行く。

雪歩「765プロ所属の萩原雪歩です。よろしくお願いします」

テンプレになったご挨拶を丁寧に言う。

ひかり「ええ、よろしく。新幹少女のひかりよ」

つばめ「あたしはつばめ、よろしくね」

のぞみ「のぞみよ。よろしく」

簡単に自己紹介をして軽く握手を交わす。

P「萩原にこのようなイベントは初めてでご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

ひかり「そんなこといいですよ。失敗は誰にでもあるもの」

つばめ「それにしても765プロって聞いたことある?」

のぞみ「ううん。初めて聞くわ」

P「うちはまだ設立して1年も経っていませんのであまり知られていないかと……」

ひかり「そうなんですか」

「ひかり、つばめ、のぞみ、10分後に打ち合わせだ。961プロさんもお見えになったから挨拶しとけよ」

高そうなスーツに身を包んだ初老の男が新幹少女にそう言った。

彼は新幹少女のプロデューサーだろうか。

P「初めまして、私765プロのプロデューサーをやっておりますこういう者でございます」

俺はすかさず挨拶をし、名刺を差し出した。

新幹P「ああ、これはご丁寧にどうも……」

男性も落ち着いた様子で名刺を取り出し、交換する。

142: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:11:05.82 ID:SlLbhsx80
新幹P「おや、水瀬グループの御曹司でいらっしゃいましたか。いつもお世話になっております」

P「いいえ、私は水瀬グループとは関係ありませんよ」

新幹P「ではそちらに所属している水瀬伊織とのご関係は?」

P「ええ、彼女は実の妹ですが私は恥ずかしながら勘当を受けまして……」

乾いた笑いが漏れてしまう。……それにしてもよくご存知だ。

この業界に入ってこういうのは割と多かったのですでに慣れている。

水瀬グループ。改めて強大な権力なんだと思い知らされる。少し惨めだ。

新幹P「それは大変でしたね……」

水瀬グループと関係無いとわかると、多少言葉は砕けていて話しやすい人だった。

P「それでは本日はよろしくお願いします」

新幹P「ええ、こちらこそ」

ひかり「じゃあまたあとで、雪歩」

つばめ「緊張しなくても大丈夫よ」

のぞみ「雪歩なら上手くやれるわ」

雪歩「あ、ありがとうございますぅ!」

こっちはこっちでなんか打ち解けてるみたい。

P「彼女たちもいい人たちみたいで良かったな」

雪歩「はい! 私、今日は上手くいきそうな気がしてきました!」

おお! 雪歩にこんなに自信をつけさせるなんて。

ありがとう新幹少女!

今度のニューシングル買います!

最後は企画者961プロの所属、ジュピターだった。

P「ジュピターのみなさんお久しぶりです」

翔太「あ、765プロのお兄さん! やっほー!」

北斗「久しぶりですね」

冬馬「おう」

P「翔太くんに、北斗くんと……羅刹くん?」

143: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:11:43.33 ID:SlLbhsx80
冬馬「羅刹じゃねえ! お前まだそのネタ引きずってたのかよ! ちょっと間があったからそんな気はしたけどよ!」

P「あははは……! 冗談だってば冬馬くん」

翔太「お兄さんも言うようになったね」

北斗「そうだな。最初の頃はあんなに丁寧だったから別人みたいですよ」

P「おっと、これは失礼しました」

北斗「嫌だな、やめてくださいよ。俺はどちらかというと砕けた方が好感持てますよ」

翔太「うん。僕もフランクな方が好きかな~」

P「そう言ってくれるとありがたいよ。外面の張りっぱなしは疲れるからね」

女P「Pさん、私にもフランクで結構なんですよ?」

ずいっと一歩進み出て、ほらほらと笑顔で煽る女Pさん。

P「あ、女Pさん。お久しぶりです」

いつもの調子で答えると、ぶーっとちょっぴり頬を膨らませる。

女P「えー? お久しぶりって先日お会いしたじゃないですか」

翔太「そうなの?」

女P「ちょっとお食事に行っただけよ」

実はそういうこともあった。

俺から連絡を入れてお酒を少し嗜んだ。

北斗「二人で?」

女P「え? ええ、まあ」

冬馬「ホの字か?」

女P「は、はあ!? 何わけわかんないこと言ってんの!? ただ食事に行っただけって言ってるじゃない!」

144: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:12:34.73 ID:SlLbhsx80
北斗「ちょっと落ち着いてくださいよ」

翔太「あはは……!」

961プロ劇場も始まったところで俺はそろそろ雪歩を紹介せねばと考える。

雪歩は俺の後ろに隠れて様子をうかがっていると思ったのだが、振り返ってみれば俺をガン見してた。

P「なんだ、どうした?」

雪歩「プロデューサーはあの女の人とどういう関係なんでしょうか……?」

P「もしかして、気になるのか?」

雪歩「やっぱり、そういう関係なんですか?」

P「雪歩の思ってることがどういう関係かは知らないけど、女Pさんは同じ仕事をしてる友達かな」

この歳の女の子が色恋沙汰に興味があるのはわかるけどね。

伊達にアイドルのプロデューサーやってないからな。

雪歩「そうですか」

一言そう言うと961プロの面々の様子をうかがい始めた。

いつまでもキョロキョロしてないで早く挨拶しなさい。

P「雪歩、挨拶」

雪歩にそっと話しかける。

おずおずと前に出ていく。

雪歩「あの……」

北斗「おや、これまた可愛らしいお嬢さんじゃありませんか」

北斗くんがまず声をかける。

145: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:13:18.35 ID:SlLbhsx80
翔太「お姉さん恥ずかしがり屋なの?さっきからお兄さんの後ろに隠れてたけど……」

と翔太くんが疑問を口にする。

雪歩「ひっ……! その……」

おろおろし始める雪歩。

雪歩「ぷ、ぷろでゅーさー……」

また俺の後ろに隠れてしまう。うん。雪歩にしては頑張ったよ。

P「あはは……。ごめんね君たち。雪歩は男の人がちょっと苦手なんだ」

冬馬「今のでちょっとかよ!?」

雪歩「ご、ごめんなさい……」

北斗「まあまあ、冬馬もそう声を荒げるなよ」

翔太「僕はてっきり双子ちゃんが来ると思ったんだけどね」

女P「ええ、私も。唯一面識あるの彼女たちだけだし、世間的にも知名度はあるものね」

P「バレンタインのイメージに一番近いのが彼女だったんですよ」

冬馬「でも本番でもそれじゃあ失敗しちまうぞ」

確かに。せっかく新幹少女から自信をもらったのに……。

P「ほら雪歩、握手」

手を差し出す。

雪歩はいたって自然に俺の手を取った。

146: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:13:51.04 ID:SlLbhsx80
P「俺だって男だぞ」

雪歩「そうですけど、プロデューサーは大丈夫なんです」

P「慣れなのかもなぁ」

翔太「ねえ雪歩お姉ちゃん」

雪歩「きゃっ!」

いつの間に近くに来ていた翔太くん。突然声をかけられて驚く雪歩。

馴れ馴れしいと思うかもしれないが、相手に合わせて対応を変えるのが翔太くんだ。

これも雪歩と仲良くなるための対応の仕方なのだろう。

翔太「あ、その反応酷いなー。まあいいや、僕は御手洗翔太。今日のイベントよろしくね?」

と言うと翔太くんは俺に目配せをする。

P「ほら雪歩」

雪歩「あ、あの、萩原雪歩です。こちらこそ……よろしくお願い、します」

翔太「はい、握手!」

笑顔で握手を求める翔太くんはまさに理想の弟という感じだった。

雪歩は戸惑いつつも勢いに押されてきゅっと差し出された手を握る。

以前であれば、ちょんっと触れて終わりだったろうに、身近な男である俺と過ごしたおかげかしっかりと握手できている。

雪歩の表情も険しいものから徐々に笑顔に変わっていく。

弟的な接しやすさがあるのかもしれない。雪歩に弟はいなかったと思うけど。

北斗「俺は伊集院北斗。よろしくね雪歩ちゃん」

冬馬「天ケ瀬冬馬だ。よろしく頼むよ萩原」

翔太くんを皮切りに北斗くん、冬馬くんと続く。

147: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:14:26.47 ID:SlLbhsx80
雪歩は翔太くんで警戒心が大分解けたようで、あとの二人もすんなりと挨拶を交わせた。

女P「私は女Pと申します。よろしければ名刺をどうぞ」

最後に女Pさん。

雪歩「はい。こちらこそよろしくお願いします」

何事もなく終わると思ったのだが。

雪歩「あの、女Pさんはプロデューサーとどういったご関係ですか?」

ひそひそと秘密の会話が始まってしまった。

P「おい、ゆき……」

北斗「まあまあ、Pさん。レディには男に聞かれたくない話もあるんですよ」

何の話をしてるのか尋ねようと思ったら、北斗くんに止められてしまった。

むっ……。そう言われると確かに野暮ったいかもな……。

翔太「ほら冬馬くんも女の子同士の会話に水差しちゃダメだよ!」

冬馬「おい!まだ挨拶すんでねーだろ!?」

北斗「冬馬……時間はまだまだあるんだからさ。もうちょっと余裕を持ちなよ」

苦笑いで諭す北斗くん。

さすがというべきか、北斗くんが言うことには説得力があるな。

女性にだらしないと思ってたけど、全く逆っぽい。

翔太「そういえば双子ちゃんは元気?」

P「そりゃもちろん」

元気すぎるくらい。

北斗「へえ、彼女たち以外にもまだアイドルはいるんですよね?」

P「まあ、そうだけど……テレビに出れる子はまだ少なくてね……」

こちらはこちらで会話が弾んできたころ……。

148: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:15:39.80 ID:SlLbhsx80
女P「……ど、どんな関係って言われましても……。同じ職種のお友達……かな?」

雪歩「お二人で食事に行ったりするんですか?」

女P「ええ、まあ……」

雪歩「それはプロデューサーから誘われたんでしょうか?」

女P「そ、そうですね。でも私からお誘いすることもありますよ?」

雪歩「そ、そうなんですか……。仲良しなんですね……」

女P「ええ!? いや、まだあって日も浅いし、仲良しとまでは……。Pさんも私には遠慮がちな部分ありますし。そもそもまだ敬語使われてますし……」

テンパってちょっと早口になる女Pさん。

女P(Pさん助けてくださいっ!)

心の中で思うもPは助けるはずもなく。

向こうでボーイズトークに花を咲かせていた。

雪歩「やっぱり、好き、なんですか?」

雪歩の質問は止まらなかった。というより、ようやく核心に迫っていた。

女P「す、すすす好きってな、何でしょう? 別っ、別に私はそんなことありませんよっ!」

思いっきり動揺したのだが、間をおいて心を落ち着かせる。

女P「……た、確かに同業者として尊敬していますけどそういう恋愛感情はありません。雪歩ちゃんくらいの歳の子が色恋沙汰が好きなのはわかりますけど、あんまり大人をからかうもんじゃありませんよ」

ちょっと説教臭くなってしまったなと後悔しつつ、雪歩の方を窺ってみると……。

めちゃくちゃ慈愛に満ちた聖母様のような瞳をしていた。

149: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:16:31.17 ID:SlLbhsx80
雪歩「そうですよね。からかうつもりはなかったんですけど……ごめんなさい。女Pさんとお話しできて良かったです! うふふふ……!」

雪歩はルンルン気分が目に見えてわかるほどの上機嫌でPの方へ戻って行った。

女P「もう……イヤ……」

墓穴を掘りに掘って取り残された彼女はがっくりとうなだれるしかないのであった。

雪歩「プロデューサー、お話済みました」

P「お、もういいのか。どうだった?」

雪歩「女Pさんってとっても可愛らしい人だと思いました!」

P「あはは……! やっぱりそう思うよなぁ」

冬馬「嘘だろ? あいつは言うことやること鬼畜だぜ」

北斗「それは冬馬のせいだろ……」

翔太「冬馬くんは反省しようね」

冬馬「なっ! お前ら……」

冬馬くんは納得いかない様子だった。

P「ちょっと俺も女Pさんに挨拶しないと……」

雪歩「あ、はい。行ってらっしゃいプロデューサー」

P「?」

なんか雪歩が聖母様みたいに見えるんだけど……。これはクリスマスイブに生まれた影響?

なんてバカなこと考えながらも、女Pさんに話しかけようとしたのだが……。

150: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:17:17.31 ID:SlLbhsx80
P「どうしました?」

まだイベント前なのに疲れ切った様子の女Pさん。

女P「きゃあっ! Pさん!?」

P「わっ、ごめんなさい。驚かせてしまったようで……」

女P「あ、いえ、これは違うの……」

P「ところで雪歩どうでした?」

女Pさんの表情が固まる。

女P「雪歩ちゃんってぐいぐい来るんですね……」

はい? 雪歩がぐいぐい? 一体何があったんだ……。

P「へぇ、珍しいこともあるんですね」

雪歩に視線を移す。

彼女はジュピターにビクつきながらもちゃんと会話できてるようだ。

翔太くんには多少心を開いてるみたいだ。

雪歩からしたら弟に近い感覚なんだろう。

こうして見ても特に変わった様子はないけど。

女P「……」

そこで俺は視線に気づく。

女Pさんが俺の顔をまじまじと見ていた。

どうしました? と視線を合わせてみると、彼女の顔は紅潮し、そっぽを向いて眼鏡の位置を整えた。

P「どうかしましたか?」

女P「いいえ! 今日はよろしくお願いします……」

151: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:18:06.53 ID:SlLbhsx80
尋ねてみると、ちょっと慌てながらもぺこりとお辞儀する。

P「ええ、こちらこそよろしくお願いします。あと雪歩が迷惑をかけたならすいません」

女P「……そんなことはありませんよ。でも自分を見つめ直すきっかけはくれたかも」

P「何ですか、それ?」

女P「うーん……何でしょう?」

少し沈黙。お互いに吹き出して笑ってしまう。

しばらくして落ち着いたのでその場を後にする。

P「……ではまた後で」

女P「はい、また後で……」

そう言った彼女の、少し寂しそうな笑顔が印象的だった。

イベント開始時刻。

ショッピングモールのひらけたスペースでそれは始まった。

先着でスタッフたちがお客さんを仕切りの中に通す。

新幹少女にサイネリアもいるのでおよそ定員100人の先着はすぐにいっぱいになった。

もちろんあぶれてしまった人もいるわけで、その人たちは仕切りの外、もしくは会場の一つ上の階から眺めることにしたようだ。

そして俺たちは他のアイドルやスタッフさんとともに設営されたステージの裏にいる。

雪歩「す、すごい人数ですぅ……」

ちらりと外を覗いた雪歩は呆気にとられていた。

モール内の一つのスペースにこれだけの人が集まれば、確かにとても多く感じる。

152: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:18:49.68 ID:SlLbhsx80
P「大丈夫だって。流れは頭に入ってるだろ?」

雪歩「はい、なんとか……。でもぉ……」

P「なあ、雪歩は俺のこと信じてる?」

雪歩「? はい、もちろん信じてますけど」

P「じゃあ大丈夫だ!」

雪歩「え?」

P「雪歩の信じる俺が言ってんだから大丈夫だよ。自信持てって」

とんでもない暴論だけど雪歩は一応は納得してくれたみたいだ。

雪歩「ありがとうございます、プロデューサー。そんなに心配かけてごめんなさい」

P「いいんだ。もっと心配させろ」

雪歩「あはは……イヤですよぅ……」

嬉しそうに笑う雪歩はそれでも不安を拭えていない様子だった。

そしてスタンバイ、脇にいる司会のアナウンスが入りすぐにジュピター以外のアイドル達がステージに上がる。

この日のために来たであろう人たちも偶然居合わせた人たちも、わぁっと歓声を上げる。

『本日、参加いたしますアイドルのみなさん! それぞれ自己紹介をお願いします!』

とアナウンス。

153: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:19:31.67 ID:SlLbhsx80
最初にマイクを握ったのはサイネリア。

『私たちサイネリアです!』

彩音「鈴木彩音! 一応サイネリアのリーダーやってます! 今日は来てくれてありがとう! 私のチョコ、ぜひ受け取ってくださいね!」

大変な盛り上がりで、彩音さんを呼ぶ声が途切れない。

それは他二人のメンバーも同様で歓声は続く。

二組目は新幹少女。

ひかり「みんなこんにちは! こだまプロ所属、新幹少女のひかりです! 今日はバレンタイン、すべての女の子にとってハッピーな1日になりますように……!」

つばめ「おなじくつばめ! 男の子のみんなにも幸せを届けるわ!」

のぞみ「のぞみです! みなさんぜひ楽しんでいってください!」

さすがに注目株だけはある。

新幹少女ははち切れんばかりの歓声を浴びていた。

そしてこの流れで……。

雪歩「は、初めましてっ!!」

無名の雪歩の自己紹介に移る。

力んで声が大きすぎたためスピーカーがキーンとハウリングしてる。

雪歩「ひいぃっ!!」

しかもそれにビビりまくる雪歩。

会場にいる誰もが呆然としていたが、やがて笑いに変わった。

雪歩は恥ずかしさで、かぁーっと赤くなってしまう。

これは……。嫌な予感がした。

雪歩「こんなダメダメな私は穴掘って埋まってますぅ!!」

どこからともなく取り出したスコップでステージの端を掘り始める雪歩。

154: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:20:24.73 ID:SlLbhsx80
もはや材質とか関係ないのが雪歩の穴掘りだ。

P「ちょちょちょっ!! 誰か止めてくださーい!!」

慌ててみんなで止めに入る。

会場は再び呆然。静まり返る。

アイドル達も顔面蒼白だった。

『お、お騒がせしました……』

不測過ぎる事態にとまどいながらも、なんとか仕切りなおす司会。

ひかり「本当、びっくりしたわ……」

つばめ「おお落ち着いて……? ね、雪歩?」

のぞみ「つばめも落ち着いて……」

周りのフォローを受けて雪歩はなんとか踏みとどまったようだ。

彩音「ほら、今度はリラックスして……。普通の声量で喋ればいいのよ?」

すーはーと大きく深呼吸する。

雪歩「……初めまして、765プロ所属の萩原雪歩です……。さっきは緊張して取り乱してしまってすみません……」

『萩原さん、ステージに立つのは?』

さらに緊張をほぐそうと司会が質問もかけてくれた。

雪歩「はい、今回が初めてです」

お客さんから、おぉ、と感嘆の声が漏れる。

ちらほらと応援の声も聞こえる。

みんな優しいなぁ。

155: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:21:01.41 ID:SlLbhsx80
雪歩「私からは皆さんに抹茶チョコをプレゼントしますので……よかったら受け取ってください!」

最後の部分、さながら告白する子のように言うもんだから。

『いやー、可愛いなあの子』

『名前なんて言ったっけ?』

『萩原雪歩じゃなかった?』

『雪歩ちゃんね……私ファンになっちゃった』

新幹少女やサイネリアほどではないが、会場は再びざわつき始める。

『えー、それでは! お待たせしました! 本日彼女たちがバレンタインチョコを渡すお相手は…。この方たちです! どうぞ!』

笑顔を振りまき、ファンに応えながら颯爽と登場するジュピター。

女性客の甲高い声が響く。

冬馬「961プロ所属、ジュピターの天ケ瀬冬馬だ! チョコなんざ甘ったるいもん俺には似合わねーがな!」

翔太「御手洗翔太です! ああ言ってるけど冬馬くんは甘いものがすっごい好きだから、本当は楽しみでしょうがないんだよ? 今日、チョコ持ってきてくれたみんなは気兼ねなく冬馬くんに渡してあげてね!」

北斗「こんにちは、俺は伊集院北斗です。今日はこんな素敵な女性たちからプレゼントをいただけるなんて、男冥利に尽きるよ。よろしくね」

ジュピターのおかげで実は女性客の方が多い。

961プロの企画なのでジュピターメインなのは当然である。

『では皆さん揃いましたので早速プレゼントしちゃってください!』

女性アイドル陣がそれぞれ用意していた紙袋をスタッフから受け取る。

156: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:21:55.65 ID:SlLbhsx80
この紙袋にみんなが作ってきたチョコがラッピングされて入っている。

そしてジュピターへ贈る。

冬馬「サンキュー!」

翔太「ありがとう!」

北斗「ありがとう」

お客さんからは大きな拍手。

冬馬くんがやけに嬉しそうに見えたのは気のせいじゃないんだろうな。

『それではジュピターの皆さんもお返しをどうぞ!』

司会がそう言うと、今度はジュピター側に紙袋が渡される。

冬馬「借りっぱなしってのは性に合わないんでな。今すぐ返すぜ」

翔太「とか言いつつ冬馬くんすっごいこだわってたよね」

冬馬「翔太はいらねーことをいちいち言うんじゃねーっての!」

北斗「まあいいじゃないか冬馬。俺だって楽しかったさ」

あれこれ言い合いながら今度は彼らが女の子たちにチョコを贈る。

お客さんからは大きな拍手。

世間が羨むようなバレンタイン。

しかしイベントはこれだけではない。

『それではここで、アイドル達による生歌の披露です!』

会場はさらに盛り上がる。

トップバッターはもちろん無名の雪歩。

いったんステージ裏へと戻り、音響を調整する。

157: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:22:43.70 ID:SlLbhsx80
歌う曲は『Kosmos, Cosmos』

まだ持ち歌がこれしかない。

P「行けるか?」

雪歩「緊張しますけど、なんとか……」

P「それでいい。ステージに立ってマイク握りしめて音楽が流れてきたら必ず歌える。レッスン終わった後も休みの日も練習したもんな」

雪歩「プロデューサー、どうして?」

なんで知ってるんですか? とでも言いたげだ。

レッスン終わった後や、休みの日に練習してるなんてのはさすがに口から出まかせだ。

けれども、自主練してたことは明らかにわかる。

そうでもしないと、一回のレッスンであんなに上達しない。

P「雪歩の努力はちゃんとわかってるつもりだから。もっと自信持ちなよ」

雪歩「……はい!」

雪歩は今までで一番いい顔で壇上に上がって行った。

『それでは萩原雪歩さんで、Kosmos, Cosmos、どうぞ!』

最後にみんなでバレンタインソングを歌って生歌は幕を閉じる。

雪歩は初ライブとは思えないほど安定して歌えていた。

新幹少女やサイネリアは、本当に初めて? と驚いていた。

『それでは最後に、今仕切りの内側にいるファンの皆様にアイドル達からチョコの受け渡しです! ではスタッフの指示に従ってお並びくださーい! それと、チョコを持参してきた方はアイドルにプレゼントするチャンスですよ!』

ファンの人たちはスタッフからやや小さめの紙袋を受け取る。

渡されたチョコを入れておくためのものだ。

961プロは経済的にも余裕があるし、気が利く。

何事もなく終わるかに見えたが……。

158: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:23:41.33 ID:SlLbhsx80
ファンの方がアイドルから渡されたプレゼントを落としてしまった。

しかもそれに気づいてないのか、嬉しそうな表情で行ってしまう。

気づいたのは俺と新幹少女のひかりちゃん。

ひかりちゃんは次のファンに一言断って、壇上に落ちたプレゼントを拾おうとする。

俺も落としたファンの方に駆け寄り、引き留める。

すぐ、ひかりちゃんの方に視線を戻すと、危なっかしい体勢になっていた。

俺は何か嫌な予感がして、次のときには体が勝手に走り出していた。

直後ひかりちゃんは躓き、ステージからふらりと……。

ダメだっ……!

周りから悲鳴が上がる。

ファンの人たちも咄嗟に手を伸ばすがもう遅かった。

そして……。

ひかり「……」

ひかりちゃんは唖然としていた。いや、むしろ放心状態だった。

P「あっぶねー!」

俺は外面が剥がれていた。

周りからは、おお! と声が上がり、拍手喝采。

ひかりちゃんが落ち、間一髪で俺が滑り込み、体で受け止めたのであった。

P「ひかりちゃん、大丈夫?」

ひかり「……765プロの……うぅ……ひぅっ……」

ひかりちゃんは怖かったのか、嗚咽をあげて泣き始めてしまった。

159: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:24:35.46 ID:SlLbhsx80
俺はひかりちゃんを立たせて自分も体を起こした。

新幹P「これはみなさまお騒がせしました。しばらくの間お待ちください」

新幹Pさんが慌てて駆け寄り、簡単にファンの方たちに呼びかける。

新幹P「Pくんありがとう。……さ、行くよ、ひかり」

その後ひかりちゃんを連れていったんステージ裏に引っ込んだ。

俺はファンの方たちから英雄みたいな扱いを受けていた。そんな大したことはしてませんよ?

しばらくして、泣き止んだひかりちゃんが姿を見せる。

ひかり「すみません。ご迷惑をおかけしました。先ほどは驚いてしまい見苦しい姿を……。痛むところもありませんので、私は大丈夫です」

そして俺の引き留めたファンに落としたプレゼントを渡していた。

落とした人は何度も謝っていたのだが。

ひかり「私たちはファンの方に笑顔をお届けするために活動しているので、謝っていただくなんてとんでもないです」

などと対応をしていた。

その後もみんなに心配されながらもイベントは再開し、終了した。

『トラブルもありましたがこれにて無事にバレンタインイベントは終了です! アイドルの皆さんありがとうございました!』

アイドルの退場。

もう何にもないだろうと誰もが思っていたのだが、やっぱりというべきだろうか……。

冬馬「ありがとなー! ……ねばぁっ!!」

ファンに手を振っていた彼が奇声を放ちながらステージから消えた。……と思いきや。

160: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:25:04.39 ID:SlLbhsx80
冬馬「何だよこの落とし穴! おい、萩原! ちゃんと塞いどけよ! なんで落とし穴仕様にしちゃったんだよ!」

北斗「いや、引っかかる冬馬が悪い。みんなそこは避けてただろ?」

翔太「冬馬くん、わざとじゃないの?」

冬馬「んなわけあるか!」

雪歩「ごめんなさいぃ!! 私、穴掘って埋まってますぅ!!」

つばめ「雪歩! 落ち着いてってば!」

最後はみんな笑って終えることができました。

P「お疲れ様」

雪歩「今日はたくさん失敗しちゃいました……。冬馬くんごめんなさい……」

冬馬「いやもういいって……。引っかかった俺が悪いんだしよ」

翔太「そうだよ雪歩お姉ちゃん。冬馬くん笑いが取れて大満足だから」

冬馬「芸人じゃねえよっ!」

北斗「誰もそんなこと言ってないだろ」

始まりました961プロ劇場。

161: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:25:34.61 ID:SlLbhsx80
などと考えてると不意に後ろから女の子の声がする。

ひかり「あの……」

P「あ、大丈夫でしたか? 本当に怪我とかありませんか?」

ひかり「はい。おかげさまで……」

P「それならよかった」

もじもじと落ち着かない様子のひかりちゃん。

雪歩「あの、あっちでお話しませんか?」

冬馬「なんでだよ」

北斗「ったく、冬馬、お前ってやつは」

翔太「いいから行くよ!」

取り残される俺とひかりちゃん。

みんな気遣いができる子だ。一人を除いて。

ひかり「お名前……まだお聞きしてなかったのですが」

P「私ですか?」

ひかりちゃんはこくりと頷く。

P「Pと申します。よければ名刺をどうぞ」

ひかり「P……さん。……あ、ありがとうございます。あの、敬語じゃなくてさっきみたいなフランクな口調でも私は気にしませんけど」

162: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:26:24.43 ID:SlLbhsx80
P「そうですか。でも急には難しいです。慣れてきたらでいいですか?」

ひかり「……はい」

P「それで、どうかしましたか?」

ひかり「助けていただいたお礼に、これ! 受け取ってください!」

そうして渡されたのはチョコだった。ファンに配ったものとは包装が違う。

P「大したことをしたつもりはないんですけど……。いただきます。ありがとうございます」

ひかりちゃんは安堵の表情を浮かべる。

ひかり「あ、あの、Pさんはお怪我ありませんか? もしあるとしたら私のせいで……」

P「大丈夫です。私、生まれてこの方一回も骨折ったことありませんから」

ひかりちゃんは俺が何を言ってるかわからないって表情だったが、すぐに笑った。

ひかり「私も折ったことありませんよ?」

そうだったのか。なんか世間一般的には骨折る人の方が多く感じるよね。

P「えーと、まあ丈夫ですから」

訂正してみる。

ひかり「ふふっ……! そうですか……よかった」

なんだかむず痒い空気が漂う。ちょっとばかり緊張してきたかも。

P「あなたこそ、お怪我は?」

ひかり「いえ、特に無いです」

その場で軽くピョンピョン跳ねて、元気であることをアピールする。

163: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:28:02.52 ID:SlLbhsx80
ひかり「今日はありがとうございました。Pさんかっこよかったです」

P「そんなことありませんって……」

ストレートな言葉にどう対応していいのか、処理が鈍くなってしまう。

ひかり「Pさん謙遜ばっかりですね」

ひかりちゃんは俯きがちで、時たま視線をあげたり、横にずらしたりしていたが、やがて口を開く。

ひかり「……では私はそろそろ失礼します。またお会いできるのを楽しみにしてます」

顔に笑顔を張り付けて行ってしまった。

P「ひかりちゃん!」

ひかりちゃんは立ち止まって振り返る。

あんな顔されたら、引き止めないわけにはいかない。

P「俺も次に会うの楽しみにしてるから!」

どうしてこの口調で言ってしまったのかわからない。

けれど俺はそれでよかったと思う。

彼女の笑顔を引っぺがしてその下に隠れてたとても素敵な表情を見せてくれたのだから。

そして会釈して彼女は今度こそ戻っていった。

P「はは……ダメだな俺」

彼女のアイドルとしてではなく女の子としての魅力を感じてしまって、心の中で自分に毒づく。

彼女はアイドル……。彼女はアイドル……。邪な気持ちを持つんじゃない。

まあ俺だって男だし……。そういうのは多少しょうがないことで……。

この仕事はじめてから処理してないし……。

言い訳はよくない。最初にそう決めたんだし……。

164: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:28:48.70 ID:SlLbhsx80
女P「Pさーん……」

P「うわっ!」

煩悩に思考を振り回されながらうんうんと唸っているときに話しかけられるもんだから盛大に驚いた。

女P「なんですか、その反応!? 傷付きますよぉ……」

P「すみません。その、そんなつもりでは……」

女P「ふふっ……いいですよ。それより聞きたいことが……」

P「聞きたいことですか……私に答えられることなら何でもどうぞ?」

ぐっと近寄る女Pさん。ふわっと漂ってきた女性特有の香りがまだ悶々としてる俺の鼻腔をくすぐる。

女P「なんで今日会ったばかりのひかりちゃんにはフランクで私はまだ敬語なんですかー!?」

わっと喚きだす。

えー……。くだらないと思ってしまった。

P「というかあなたも敬語じゃないですか」

そう指摘すると女Pさんはハッと我に返る。

女P「でもひかりちゃんだって敬語でした」

P「それはなんというか……ノリで……」

我ながら苦しい。

女P「私の方が付き合い長いのになぁ……」

なんだ……この人やきもちやいてんのか。

確かにずっと友達だったやつが急に他の友人と仲良くなってるの見ると虚しくなるけどさ。

それと同じなのかな?

P「まあ喋り方なんて些細なことじゃないですか」

笑ってごまかす。

165: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:29:48.00 ID:SlLbhsx80
女P「でも、なんだかフランクな方が距離感が……」

うーん、なかなか納得してもらえない。女の人って難しいな。

P「でも私はあなたの方が近しい仲だと思ってますよ?」

そう言っても女Pさんはやっぱり訝しんでいた。

P「まあそのうち慣れますよ。また飲みに行きましょ?」

女P「……わかりました、約束です」

はいはい、約束です。

女P「あと、これを……」

手に持っていた袋を渡される。

P「これって……」

チョコだよな。

女P「いつもお世話になっているので作ってきました!」

ああ、この人の笑った顔はやっぱり……。

いけない、また悶々とさせられてしまった。

P「ありがとう」

女P「いえ、来月楽しみにしてますから!」

そういえば来月にバレンタインと姉妹みたいなイベントがあったな…。

P「あはは……期待しないでくださいね」

それでは、とお互い軽く挨拶して別れる。

雪歩もしばらくして戻ってきたようだ。

P「男の子たちといて大丈夫だったのか?」

雪歩「ちょっと怖かったですけど、前ほどじゃありません」

雪歩の男苦手も多少改善されてきたようだ。

雪歩「私に弟がいたらあんな感じなのかなぁ……?」

P「翔太くんか?」

雪歩「あ、はい、そうです……」

166: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:30:15.69 ID:SlLbhsx80
P「どうだろうな。でもそう思えるってことはイヤってほどじゃないんだろ?」

雪歩「そうですね」

今日発見したことは、雪歩はたまに慈愛に満ちた表情をすることがある。

そして兄弟を羨ましいと思ってること。

P「さ、帰ろうか。うちまで送っていくよ」

雪歩「ありがとうございます。……プロデューサー、どうぞ」

チョコレートを控えめに差し出す雪歩。

P「ありがとう」

俺はもちろん受け取る。

お互い笑い合って、またともに歩んでいくのだ。

今日のイベントはいろいろあったなと思い返す。

邪な気持ちが芽生えかけたのは雰囲気にあてられただけだ。

きっとそうだ。今後は気を付けよう。

俺はホモ。俺はホモ。

呪文を心で唱えて暗示をかける。

いや待て、この暗示が成功してしまったらどうなるんだ?

そんなんホモになるに決まってる。

それはいかん!

と一人でバカな考えを巡らせながら、俺ってバカだなぁと落ち着くのであった。

167: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:30:52.95 ID:SlLbhsx80
雪歩を家まで送り届けて765プロへと戻ってきた。

P「ただいま戻りました」

現在午後5時。

小鳥「お帰りなさいプロデューサーさん!」

やけに元気がいいというか、待ってましたとばかりの小鳥さん。

P「どうしたんです?」

小鳥「もぉ……。今日が何の日か忘れちゃったわけじゃないですよね?」

がっかりする小鳥さん。

まあ今日という日はバレンタイン以外にないと思うのだが……。

P「もしかしてチョコあるんですか?」

小鳥「その通りです! 実はみんな作ってきたんですよ」

おお、全員が! 嬉しいなー。けどチョコは飽きたなー……。

なんて贅沢なことを思ってみる。

小鳥「プロデューサーさんのデスクには乗りきらなかったので、向こうの休憩スペースの机に置いてあります。持って帰ってあげてください」

P「了解です」

小鳥「それと……」

小鳥さんはいったん区切ってそわそわとする。

小鳥「こここれを、私からも……」

らしくもなく緊張してるのか、どもる小鳥さん。

168: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:31:20.58 ID:SlLbhsx80
恥ずかしそうに包みを取り出す。

小鳥「いつも頑張ってるので、どうぞ……」

あんまりこういう経験ないんだろうなぁ。特に男性がらみには疎いみたいだし。

でもしおらしい小鳥さんってなんだか貴重な気もする。

P「ありがとうございます」

小鳥「……どういたしまして」

P「みんなは?」

小鳥「もう帰しました。すぐ暗くなっちゃいますからね」

P「そうですか……じゃあこれから一杯行きます?」

小鳥「おっ! いいですねぇ! 私もここのところ一人酒ばかりだったので行きましょう!」

その反応おっさんか。と思ったが言わないでおこう。

そうして小鳥さんは帰り支度を始めた。すでに業務は終了してるらしい。

俺は机に置かれた様々な箱や袋を眺めて、もらった紙袋に丁寧に詰めていく。

バレンタインにプレゼントをもらうこと自体初めてだったのに、こんなにもらえるなんて幸せなんだろうな。

そうして次の仕事と今日のお返しのことを考え、小鳥さんと事務所を出るのだった。

翌日。

朝の情報番組でバレンタインイベントが放送されていた。

169: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/15(水) 23:32:15.63 ID:SlLbhsx80
『人気アイドルのサイネリアに今話題の新幹少女、そして先日一枚目のシングルを発表して注目が集まっているジュピター!』

とまあこんな具合で、雪歩はまだまだかぁ……。と思っていたのだが。

『そして一際注目を集めたのが新人アイドルの萩原雪歩さんです!!』

雪歩の自己紹介シーンが流れる。

『このキーンという音にびっくりしてしまったり、自分が入るための穴を掘り出したりと……』

雪歩の珍プレーが長々と画面に映る。

番組スタジオ内では結構ウケてた。

『面白いですねぇ。どうやってステージを掘っているのかも気になりますね』

いやいや、面白くないよ!

『そしてこんなハプニングも……』

これはひかりちゃんが落っこちるところだ。まさか……。

番組のスタジオでは、危ない! とみんながハラハラしてる様子だったが……。

『なんと、男性がスライディングで華麗にキャッチ! その後、関係者と裏へ戻ってしまうのですが……』

場面が切り替わり、ひかりちゃんが戻ってくるところだ。

『怪我もなく無事にイベントは続行されたようです。男性は姿を消してしまったのですが、我々が新幹少女のひかりさんにお話を伺ったところ、765プロダクションの関係者だそうです』

『萩原雪歩さんも765プロダクションということでしたよね』

『そうですね』

『まさに大活躍じゃないですか!』

そして再び場面が切り替わり、退場のシーン。

『ですが最後にまたハプニングが……』

冬馬くんが穴にはまって落ちるところだった。

テレビ越しから冬馬くんのツッコミが聞こえる。スタジオ内では大笑いだった。

こんなのが全国ネットに流れていいのか……と思いながら、出勤前の俺はテレビの電源を落とした。

『バレンタインデー』   終わり

175: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:27:42.96 ID:uh1GYAOp0
『お引っ越し』

バレンタインイベントから数日後のこと。

俺はある決意をしていた。

引っ越しすることにしたのだ。

「荷物運び終わりましたよ!」

というか引っ越しの真っ最中である。

P「ありがとう! じゃあ先に引っ越し先に向かってもらえるかな」

「はい! 了解しました!」

引っ越し業者お兄さんは一礼して外に出る。

荷物はもともと少ないので、トラックの中はすき間だらけでガラガラだ。

部屋を見渡すと何にもない殺伐とした風景。

こんなに広かったっけな、と考えてしまう。

このアパートともおさらばか……。

伊織にはよく押しかけられたっけ。

小鳥さんとあずさが酒を持って来たときは焦ったなぁ。

物思いにふける。

P「さ、俺も行くか……」

引っ越し先は前より事務所からは離れているが、歩いて行ける距離にあるアパート。

グレードも上がってわくわくしてくる。

どのように模様替えしようか考えてると、時間がいくらあっても足りない。

大きい荷物だけを配置してもらって引っ越し業者の方々を帰らせる。

俺はこの段ボールに入ってる生活用品などの片付けを残りの時間をかけてやるつもりだったのだが……。

176: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:28:23.90 ID:uh1GYAOp0
玄関のチャイムが鳴った。

引っ越して間もないのに誰か来るはずねーだろ。

そう思って無視、どうせ間違えちまったんだろうな。

しかし、チャイムが止まない。

それどころか勢いを増して、連打しているようだ。

なんだこの迷惑な客人は!!

しかたなく、玄関のドアを開ける。文句の一つでも言ってやろうと思ったのだが……。

伊織「なに無視してんのよ!」

亜美「遅いぞ兄ちゃん!」

真美「れでぃーを待たせちゃダメだよ兄ちゃん!」

即座にドアを閉めて鍵をロック、チェーンもかけてさようなら。

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピピピピピピピピンポーン……!!

バンバンバンバンバン……!! ドンドンドンドン……!!

伊織『開ーけーなーさーいー!!』

亜美『開けるんだー! 兄ちゃんはすでに包囲されている!』

真美『兄ちゃーん! 真美たちのこと嫌いになっちゃったのー!?』

チャイムを連打しドアを叩き大声で騒ぎ立てる。

P「うるせぇよっ!!」

さすがに我慢できねーよこれ。

たまらずに全部のロックを解除してまたドアを開ける。

177: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:30:06.52 ID:uh1GYAOp0
伊織「さっさと入れればいいのよ」

P「お前なぁ……ご近所迷惑も考えろっての! ブルジョアジーの甘ったれお姫様にはわかんねーだろうけどなぁ!」

伊織「なんですってー!? せっかくこんなかわいい妹がお祝いに来てあげたんだから感謝の一つもしてほしいわね!」

P「はぁー!? 誰も頼んでねぇっての! わかったら帰れ! 俺は暇なお前たちとは違って忙しいんだよ!」

伊織「ぜーんっぜん仕事取ってこないのはどこのどいつよ!」

亜美「ちょっといおりーん……」

真美「ちょっと兄ちゃん……」

圧倒的兄妹喧嘩に双子もたじたじだった。

こういうところは似た者兄妹なのだろうか……。

言い合ってると、隣の部屋のドアが開く。

「うっさい!! 痴話喧嘩ならよそでやれ!!」

当然、怒られる。痴話喧嘩じゃないです。

出てきた男性は俺たちを見ると……。

「警察呼んだ方がいいか?」

俺たちは必死で弁解してなんとか難を逃れた。

結局、俺の方が折れて、しかたなく家に上げることになった。

伊織「初めからそうしなさいよ」

納得いかねー!

伊織「みんなー、入っていいわよー!」

なんだって?

178: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:30:38.96 ID:uh1GYAOp0
春香「こ、こんにちは……」

やよい「こんにちはプロデューサー!」

美希「お邪魔しますなのー!」

さらにぞろぞろと集まる765プロのアイドル達。

こんの暇人どもめ……。

俺のサンクチュアリが……。引っ越して初日なのに……。

千早「本当にいいのかしら……」

あずさ「ちょっと伊織ちゃん強引すぎなんじゃ……」

良識のある組は控えめな反応だ。

伊織「入れてくれるって言ったんだからいいのよ」

このクソガキめ……。

あとで絶対デコピンしてやる。

俺も俺で大人げないのだった。

それはそうとまだまだ来る。

雪歩「これお父さんから、先日はどうもって……」

癒しの雪歩。しかも手土産まで持ってきて……。

179: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:31:24.98 ID:uh1GYAOp0
P「ありがとう。遠かったでしょう。さ、雪歩はどうぞあがってあがって……」

伊織「なんで雪歩にはえこひいきすんのよ!」

P「はぁ? 自分のその無い胸に聞いてみやがれ!」

伊織「なんですってー!?」

真「ほらほら落ち着こうよ二人とも……また怒られるよ?」

P「ぐっ……!」

伊織「ふん……!」

真「それにボクたち手ぶらで来たわけじゃないしさ」

律子「そうですよプロデューサー。ちゃんと差し入れ持ってきました」

小鳥「プロデューサーさんの新居でお祝いしましょう!」

そこで俺はあることに気づいて、小鳥さんに近づく。

P「小鳥さぁん?」

ねっとりと粘着したように言う。

小鳥「な、何ですか?」

びくっと肩を震わせる小鳥さん。

そんな小鳥さんの肩を組むと、小鳥さんは蛇ににらまれた小鳥のように震え上がった。

P「俺の引っ越し先の住所、みんなに教えたのあなたなんじゃないですかぁ?」

小鳥「いいいいえ、ぜぜ、全然教えてないでありますよっ!」

なにキャラだよ……。絶対教えてるな。

そもそもこの人くらいしか知らないだろ、俺の住所。

P「今度、駅前の高級居酒屋食べ飲み放題おごりで」

小鳥「ぴよぉ……」

小鳥さんは地に膝をつき、しくしくとうなだれた。

180: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:36:04.37 ID:uh1GYAOp0
こうして765プロの面々を部屋の中に入れるが12人も入れるとなると……。

美希「ハニー、狭ーい」

P「なら帰れ」

美希「それはヤ!」

このわがまま娘が……。

ちなみに俺を入れると13人だ。……多すぎ。

P「あと離れろ」

美希「だって狭いんだもーん、しょうがないよね?」

伊織「んなわけないでしょ! 離れなさい!」

千早「また美希はプロデューサーに迷惑かけて……」

やよい「プロデューサー! 私も片付けるの手伝いまーす!」

大天使やよいはいつも出演してる番組よろしく、お手伝いする気満々で来ていた。

P「ありがとうやよい。俺も片付けやるからお前らはベッドで寝るなり買い出し行ってくるなり、とにかく俺の邪魔にならんようにしてくれ」

美希「はーい。じゃあ美希はベッドで寝るのー!」

こいつはブレねぇ……。

春香「じゃあ私もお片付け手伝います!」

P「おー、ありがとな春香」

春香「いえいえ……私もこのくらいしかできないので」

とは言うけど実際、助かる。

181: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:36:57.52 ID:uh1GYAOp0
あずさ「私は買い出しに行こうかしら……」

律子「あずささん、私も行きますよ。亜美と真美もいらっしゃい」

亜美「何でも買っていいのー?」

真美「どっちにしても兄ちゃんの邪魔になっちゃうから行った方がいいよね」

小鳥「私も行きますよ」

5人で買出しに行くようだ。

残りは俺の手伝いということになった。

このアパート間取りは広くないが別に狭いというわけでもない。

13人はやっぱり窮屈だけどな。

真「プロデューサー、これはどこに置けばいいですか?」

P「それはやっておくから他の頼む」

千早「プロデューサー、このCDラックはやっぱりこっちの方が……」

P「ああ、それは絶対そこに置いといて。ちょっと邪魔かもしれないけどそれは譲れない」

伊織「お兄様、いかがわしい本は全部捨てておくわね?」

P「俺はそんな本一冊も持ってない!」

やよい「プロデューサー、お洋服畳んでおきますね」

P「おう。……ちょっと、やよい、その畳み方教えてくれ」

雪歩「ひぃっ! ゴキブリ!!」

P「なに!? 買い出し組にコンバット買ってきてもらおうか。見つけたやつは俺が駆除しよう」

春香「……」

P「おい春香。俺の下着がどうかしたのか?」

春香「うえぇ!? ななな何でもありませんよ!」

そうして全部片付いた。

182: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:38:11.90 ID:uh1GYAOp0
美希「あふぅ……。あれ? なんだかお部屋広くなった?」

P「片付けたからそう見えるだけだろう。……美希はずっと寝てたな」

美希「ハニーの邪魔しないようにしたの」

P「まあいい。……みんなが真面目にやってくれたおかげで早く綺麗になった」

春香「えへへ……。それならよかったです。最初は迷惑じゃないかなーって思ったんですけど……」

真「そうだよね。伊織たちとのやりとりを見て不安になっちゃったよ」

P「当たり前だ。引っ越し当日にこの人数で押しかけてくるやつがいるかっての」

やよい「プロデューサー、あとは部屋の隅の掃除しましょう?」

流石はやよい。細かいところまで気を配っている。

P「そうだな。帰ってくるまでに掃除機かけてゴミまとめておこうか」

もうちょい大きめのテーブルがあれば、みんなで食事でもできそうなもんだけど……。

時間もあるし……買ってこようかな。

P「お前らいつまでいるの?」

伊織「いつまでって……適当に帰るつもりだけど」

千早「そうね。今、大体4時くらいだから、買い出しに行った人が帰って来て少しお祝いしたらって感じじゃないですか?」

P「そうか。……みんな夕飯食べてかない?」

俺がそう言うと時間が止まったみたいにみんな硬直した。

183: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:38:40.96 ID:uh1GYAOp0
P「あれ? 俺なんか変なこと言ったか?」

真「変じゃないけど……」

雪歩「プロデューサーから言われると思ってませんでした」

美希「ミキもちょっとびっくりしたけど、ハニーの手料理食べたいな」

伊織「ていうかお兄様料理できるの? 私見たことないわ……」

やよい「伊織ちゃん。プロデューサーのお昼いつもお弁当だったよ?」

春香「コンビニのじゃなくて?」

驚きすぎだろ。そもそも男でも一人暮らしなら自分で家事とかやる必要あるし、料理だって安上がりになるから自炊の方がいい。

P「……で、どうすんだ? いるんならご家族に電話しておけ、上司にごちそうしてもらうって言っとけ」

やよい「私は帰らないと……」

P「ん、どうして? できれば頑張ってくれたやよいにはいてほしかったんだけど……」

やよい「弟たちが……」

そうだった。やよいは弟たちの面倒を見なければいけないのだった。

伊織「やよい、とりあえず電話してみたら?もしかしたら弟たちもやよいに楽しんできてほしいかもしれないわ」

やよい「でも……」

やよいはきっとみんなで夕飯を食べたい。

でも自分だけ楽しい思いをするのは気が引けるのだ。

184: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:39:17.99 ID:uh1GYAOp0
P「ほら電話してみな」

受話器を渡す。

やよいは意を決して電話をかけた。

やよい「……もしもし。……かすみ? あのね、今日お姉ちゃん、伊織ちゃん達とお夕飯食べに行ってもいいかなーって……え? ホントにいいの? うん、うん。ありがと、かすみ。……じゃあ切るね、うん、ばいばい」

P「よかったなやよい」

やよい「はいっ! ありがとうございます、プロデューサー! 伊織ちゃんもありがとう!」

伊織「ふんっ! やよいだって、たまにはハメを外しても許されるってことよ」

真「……伊織は素直じゃないなぁ」

春香「でも伊織らしいけどね」

千早「よかったわ高槻さん」

他の子たちも残るようだ。

P「じゃあちょっと出かけてくるからあずさたちが帰ってきたら伝えといてくれ」

雪歩「どこ行くんですか?」

P「テーブル買いに……」

春香「テーブル!?」

P「今のやつじゃ、みんなで食卓囲むには小さすぎるからな」

185: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:40:20.23 ID:uh1GYAOp0
伊織「ちょっと待ってお兄様」

P「何だ?」

伊織「テーブルならあげるわ」

P「どういうこと?」

伊織「今から新堂にテーブル持ってきてもらうの」

P「おいおい。俺はもう水瀬と関係ないんだからさ。それに新堂……さんも大変だろ?」

伊織「これは私からの引っ越し祝いよ? それに新堂だって困ったことがあればお申し付けを、と言っていたわ」

P「そうかもしんないけど……でもなぁ……」

伊織「もう電話するから」

と言ってさっさと電話してしまう伊織。

この場は甘えておくことにしよう。人の好意は無下にはできないからな。

P「悪いな伊織。……俺は夕飯の買い出しに行くよ」

春香「じゃあ私も!」

P「いいって、待っててくれ。すぐ帰るし。……留守の間は何してもいいから」

これといって何にもないけど……。

P「んじゃあ行ってきまーす」

美希「行ってらっしゃいなのー! 見送るのは妻の務めなの!」

だったら家事をしてくれ……。

ともあれ俺はエコバッグと財布を持って出かけるのだった。

186: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:41:24.38 ID:uh1GYAOp0
アイドルだけの空間になったPの部屋。

当然、男性の部屋に入る機会も少ない女の子たちはそわそわし始める。

冷静に待っていられるのは伊織くらいのものだった。

春香「ところでプロデューサーさん何してもいいって言ってたよね……」

伊織「そうね、本当にいかがわしい本がないかちょっと探ってみましょう」

雪歩「えぇー!?」

真「プロデューサーがそんなの持ってたらなんだか引くなぁ……」

やよい「伊織ちゃん、いかがわしい本ってどういうの?」

伊織「……え?」

春香「男性がベッドの下とかに隠すようなHな本のことだよ、やよい」

やよい「はうっ! えっちな……ですか?」

千早「春香、あなた惜しげもなく高槻さんになんてことを……」

春香「千早ちゃん、誰もが知ってることをやよいだけ知らないのは不公平じゃない?」

千早「そう言われるとなかなか反論しづらいわ……」

伊織「あっさり折れてんじゃないわよ!」

雪歩「でも、本当にあるのかなぁ……」

美希「ミキはえっちな本があってもハニーのこと嫌いになったりしないもん!」

春香「そういう美希が一番ショック受けそうだよね」

残った子たちでくだらない議論が始まった。

187: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:42:03.89 ID:uh1GYAOp0
ちょうどそこに一つ呼び鈴が鳴る。

やよい「か、帰ってきました!」

真「これはあずささんたちじゃない?」

雪歩「私、開けてくるね」

雪歩が開けると帰ってきたのは予想通りあずさたちだ。

あずさ「ただいま~」

律子「結構、買いましたね……」

亜美「ケーキ買ってきたよー!」

真美「お菓子も買ってきたよー!」

小鳥「ただいま。……ふふふ、なんだか男の人の部屋にただいまって言いながら帰ってくると……」

律子「小鳥さん、帰ってきてくださーい」

再び出かけてしまった小鳥を律子が呼び戻す。

ワンルームでは未だに、いかがわしい本あるなし討論会が開かれていた。

伊織「だからね! お兄様はきっと持ってると思うのよ!」

千早「水瀬さん。あなた実の妹でしょ? ……この家にあってほしいの?」

188: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:43:03.94 ID:uh1GYAOp0
伊織「違うわ、本当にあったら失望してしまうのがわかるから、こうやって予防線を張っているのよ……」

春香「伊織も大変だね」

やよい「プロデューサーの家に……そんなものは……うぅ……」

律子「何を言い合っているの?」

雪歩「ちょっと……」

疑問符を頭に浮かべる律子に雪歩は苦笑いで誤魔化す。

真「あ、お帰り! ねえ、プロデューサーの家にいかがわしい本あると思う?」

帰ってきた5人に尋ねる真。……雪歩の誤魔化しは無意味であった。

律子「帰って来ていきなり何よその話題は……」

あずさ「あらあら~」

美希「ミキは別にあっても気にしないよ?」

春香「美希、それ何回目?」

真美「ももも持ってるわけないじゃん! あの兄ちゃんが……」

亜美「えー? 意外と持ってるかもよー」

小鳥「健全な男性なら普通ありますよね……。そして私は知ってます……。プロデューサーがむっつりスケベなことも!!」

男を知らない小鳥に視線が集まる。

適当なこと言ってんじゃねーよとみんなの表情がシンクロする。

しかし、口に出すものはいなかった。

189: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:44:01.51 ID:uh1GYAOp0
あずさ「でも、確かにプロデューサーさんってお酒でがらりと変わっちゃう人だから、何とも言いづらいですよね……」

伊織「あずさ、何それ? 詳しく教えてちょうだい」

あずさ「プロデューサーさんの名誉のためにも言わないわ……ふふっ……!」

この場にいる全員があずさに敗北感を覚えるのだった。

伊織「ふん! まあいいわ。……こうなったら賭けをしましょう!」

春香「賭け?」

千早「賭けって……」

やよい「ダメだよ伊織ちゃんお金のやりとりは……」

伊織「そうじゃないわ。……みんな、お兄様がそういう本を持ってるかどうか賭けをして、負けたら罰ゲーム! で、どう?」

亜美「やるやる!」

真美「へー、面白そう!」

律子「でもこれ、賭けとして成立するのかしら……」

真「だよね……」

心配しているのは賭けが成立するかどうか。

ということはこの少女たちは失礼なことに世の男性に対し、そういう偏見を抱いているということである。

雪歩「失礼ですけど私はあると思うな……。お弟子さんたちもそういうの見てたし……」

雪歩のトラウマ加速の原因にもなっていたりする。

190: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:44:43.89 ID:uh1GYAOp0
千早「まあ、萩原さんの言う通りよね……」

美希「ミキもあると思うな。あっても気にしないけど!」

春香「やよいはどう?」

やよい「え!? 私ですか……? えっと、その……」

小鳥「正直に言っていいのよ?」

やよい「……あるかもです」

やよいがこれだから他の人も当然ある方にベットするかと思いきや……。

あずさ「私は無い方で……」

小鳥「あずささん、正気ですか!?」

この鳥、失礼である。

あずさ「プロデューサーさんのことですから、もしかしたら……。それに賭けが成立しないので……」

春香「大人な意見……」

再び敗北感を覚えるアイドル達であった。

そうして捜索開始、本棚、ベッドの下、押し入れの中、怪しい場所を調べていく。

すると……。

千早「みんな、ちょっとこれを見てもらえるかしら」

大きめのCDラックだ。インテリアとしても使えて、Pが配置にこだわっていたものである。

191: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:45:53.06 ID:uh1GYAOp0
春香「見つけたの!?」

小鳥「やっぱりあったのね……」

千早「いえ、そうじゃなくて……私たちのCDが……」

律子「なぁんだ……。それ、プロデューサーはもらってるのよ?」

千早「いえ、なぜか二枚ずつ……」

律子「小鳥さん。二枚ももらえましたっけ?」

小鳥「いえ、一枚ずつしかもらえないはずですけど……」

雪歩「じゃあこれって……」

伊織「お兄様、みんなのCDもう一枚ずつ買ってくれたってこと?」

美希「ハニー……ミキ嬉しいな。もう本なんてどうでもいいって感じ!」

千早「ちょっと待って! これは、ジュピターと新幹少女とサイネリアのCDもあるわ!」

美希「やっぱりハニーの粗を探すしかないの!」

真「手のひら返すの早いなぁ……」

春香「うわぁ、しかも全部のシングル集めてるよ……」

やよい「プロデューサーは勉強熱心なんですね……」

伊織「そういう見方もできるけど……先日の報道を忘れたのかしら……」

雪歩「バレンタインイベント……!」

伊織「そうよ。そこでお兄様は新幹少女のひかりを助けているわ!」

だから何なのか、よく考えるといまいち繋がらないのだが、ヒートアップし過ぎていた。

192: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:46:47.61 ID:uh1GYAOp0
春香「これは問い詰めないと!」

美希「ハニーを叩いて埃をボロボロ出してやるの!」

つまり、単純に嫉妬しているだけだった。

亜美「ねえ! みんなこれ!」

なんだかやけに大人しいと思っていた双子がここで声を上げる。

亜美「ついに動かぬ証拠を見つけてしまったようですな……」

真美「そんな……」

亜美は探偵よろしくしてやったりと振る舞うが、真美はガチで絶句していた。

本棚に堂々と入っていた新幹少女の写真集、たまーに際どいショットがあるくらいなのだが、なんだかみんな許せなかった。

そうして賭けはあずさの一人負けということになった。

P「さーて何作ろうかなぁ……」

夕飯の後でどうせお菓子とか食べるんだろうから軽めの方がいいな。

主食、主菜、副菜、汁物。俺はこの四つを最低でも食卓に並べるように気を付けている。

P「まあ適当に刺身でいいか」

でももうちょい趣向を凝らすのも面白いかも。

色々買って帰宅。

家の前にはなんか高級そうな車が止まってた。

新堂と顔を合わせるのか。なんだかな……。

193: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:47:18.74 ID:uh1GYAOp0
P「ただいま……」

あずさ「おかえりなさい、あなた」

P「……………………こら、悪ノリはやめなさい」

不覚にもドキッとしたからマジでやめなさい……。

こつっとあずさの頭を軽く叩く。

あずさはちょっぴり舌を出して恥ずかしそうに微笑んだ。

亜美「あはは……! 兄ちゃん顔赤くなってるー!」

P「うるせーよ。あずさはなんでこんなことしてんだ」

赤くなってるあずさの代わりに真美が答える。

真美「あずさお姉ちゃんへの罰ゲームなんだよ? 兄ちゃんとの新婚ごっこ!」

P「俺と夫婦になるのは罰なのか……」

小鳥「そういうわけじゃないと思うんですけどね」

玄関でなんやかんやと話して奥のワンルームに行くと、新しいテーブルが用意されていた。

新堂「坊ちゃま、お久しぶりでございます」

P「あ、新堂……さん」

新堂は俺に近づくと顔を歪ませて、なんと言ったらよいかわからない風だった。

194: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:48:03.50 ID:uh1GYAOp0
新堂「お久しぶりでございます、坊ちゃま……」

感慨深そうにもう一度つぶやく新堂。

P「ちょっとやめてくれ……くださいよ。俺はもう水瀬とは関係ないんだし……」

新堂「私には関係あります。坊ちゃまがおしめを召していた頃から仕えておりますので……」

P「ああ、たくさん迷惑かけたもんな……。それでも俺だってもう大人だぜ?」

新堂「ええ、立派にご成長なられて……。この新堂、今にも涙が止まらなくなりそうでございます」

P「あはは……大げさだなぁ。新堂もいつも伊織の面倒見てくれてありがとな」

なんか拍子抜けした。

新堂にどんな目で見られるのかとびくびくしていた自分が恥ずかしい。

彼はいつまで経っても俺を心配していたのか……。

新堂は目に溜めた涙を拭って、一礼した。

新堂「それでは爺はこれで失礼します。坊ちゃまとお会いすることができて満足でございます」

新堂はあの高級車で待機してるんだろう。

伊織の送り迎えが残ってるもんな。

195: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:49:03.31 ID:uh1GYAOp0
春香「やっぱりプロデューサーも名家の生まれなんですね……」

雪歩「ほんとですぅ……」

律子「伊織もね」

伊織「あんまり頼ることはしたくないんだけどね。今日は特別よ」

P「俺の引っ越しで大げさだな」

伊織「でもあんなぼろアパートからこれだけグレードアップしたんだから、多少大げさにもなるわ」

P「俺は前の家も気に入ってたんだ。あれはあれで慣れるといいもんだよ」

もちろん最初は本当に嫌だったんだけどな……。

急に牢屋に入れられたみたいだったよ。

千早「でも坊ちゃまって……ふふっ……」

真「想像できないなー。こんな言葉遣いの悪いプロデューサーがいいとこの生まれなんて……」

P「笑うんじゃねぇ。昔の話だ」

やよい「伊織ちゃんもお嬢様って……。お姫様みたい!」

やよいのその表現は的確だ。

P「とにかく、俺は飯作ってるから適当に時間潰してくれ……」

あずさ「私も手伝いますよ」

P「そうか、助かる。なら鍋にお湯と出汁入れて沸かしてくれ。出汁は買ってきたからその袋に入ってる」

あずさ「はい。わかりました」

小鳥「私も食材を切るくらいします」

小鳥さんとあずさは手伝ってくれるようで、他の子たちは向こうでガールズトークをしていた。

196: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:49:49.55 ID:uh1GYAOp0
律子「やっぱり新婚さんみたいよね……」

雪歩「プロデューサーと……どっちがですか?」

律子「うーん、あずささんかな?」

真「そうかなぁ、ボクは小鳥さんだけど……」

春香「私はあずささんの方がしっくりくるかも……」

美希「ミキはミキが一番ハニーにふさわしいと思うな」

春香「えー……? 美希はまずあの土俵に立とうよ……」

真美「兄ちゃんって何歳なの?」

千早「確か、23か24って聞いたけど」

伊織「今は24だと思うわ」

真美「真美と11歳も離れてる……」

亜美「じゃああずさお姉ちゃんとも、ぴよちゃんともあんまり離れてないね」

千早「でも私は高槻さんがプロデューサーの奥さんにふさわしいと思うわ」

やよい「はわっ!? 私ですか……?」

律子「そうねー。やよいならしっかりしてるし、プロデューサーに限らずいいお嫁さんになれると思うけど……」

197: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:50:37.25 ID:uh1GYAOp0
真「ところで小鳥さんはいくつなの?」

律子「小鳥さんは確か2Xだったと思う」

雪歩「え?」

亜美「りっちゃん今なんて?」

律子「え? 2Xって……」

春香「なんか聞き取れなくて……20といくつなんですか?」

律子「聞き取れない? いや、だから20とX歳だって……」

真美「うあうあー! なんか怖いよー……」

千早「これ以上はこの話題に触れない方がいいわね……」

なんだか盛り上がったと思えば、戦慄してた。

P「ああ、二人とももう大丈夫ですよ。あとは俺がやるので味噌汁だけ注いで持っていってください」

バラバラな大きさと柄のお茶碗に味噌汁を入れて持っていく。

何度か往復しなければならなかった。

俺はというと底がやや深めのお皿を13枚用意する。

同じものが13枚もあるはずがなく、見てくれのいいもの、やや大きめのものを基準にして選ぶ。

P「もうできるから手を洗ってきなさい」

手洗い大事!

みんな聞き分けよくぞろぞろと洗面所に向かう。

律子『こら! 亜美と真美はもっとちゃんと洗いなさい!!』

律子の怒声が飛ぶ。こういうときにちゃんと注意してくれるのは助かる。

198: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:51:11.04 ID:uh1GYAOp0
俺は多めに炊いたご飯をよそって、切ってもらった葉のものと刺身を上に盛る。

最後に醤油やらマスタードやらいろいろ調合して作ったソースをかけて完成。

名付けて海鮮サラダ丼。まあ、名前はどうでもいいんだけど……。

もともとはご飯の上にサラダだけだったのだが、彩と味と健康を考えて魚介を足し、誕生したのがこのメニュー。

意外とお手軽だし、見た目、食感ともに良い。

味は大部分がこの特製ソースに委ねられるため、あんまり冒険したソース作りはおすすめしない。

みんなは戻ってくるなり、目を丸くしていた。

真「なんですかこれ?」

P「丼物は嫌だったか?」

真「いやそうじゃなくて……」

なんだか不思議そうに見つめていた。

小鳥「へー、いい感じの見た目ですね」

やよい「おいしそうです……」

亜美「ご飯の上にお刺身はわかるけど……」

真美「サラダ……?」

あずさ「あら、知らないの二人とも? 最近はご飯の上に葉のものが乗ってるお店もあるのよ?」

へー、と亜美真美。

199: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:52:05.00 ID:uh1GYAOp0
P「まあ食ってみてくれ、箸でいけるから。……俺はちょっと片づけしてくる」

伊織「お兄様の料理……ま、お手並み拝見ね」

そう言われてもなぁ。簡単だから、それ……。

雪歩「伊織ちゃん、すごく嬉しそう」

伊織「なっ……にを言ってるの!? 別に食べられれば何でもいいんだから!」

律子「素直じゃないわね」

美希「ハニーの手料理いっただきまーすなの!」

春香「ヘルシーそうだし、面白ーい! いただきます」

千早「いただきます……」

それぞれ食べ始める。

俺はつい、みんなが食べるところを見てしまう。緊張して仕方なかったのだ。

『おいしい……』

そう言ってくれたことに本当に安堵した。

軽めの夕食を終えたのが、午後の6時ちょい過ぎ。

食後の休憩を取っていたのだが……。

伊織「あ、そうだお兄様、聞きたいことがあるの……」

P「なんだ?」

伊織「これ、どういうこと?」

取り出したのは新幹少女の写真集。

200: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:52:54.49 ID:uh1GYAOp0
P「は? どういうことって……新幹少女の写真集だろ」

伊織「なんで他事務所のアイドルの写真集なんて持ってんのよ!」

P「いや、買ったからに決まってんだろ? お前、何怒ってんだ?」

見渡せば、白けた視線でこちらを見る一部の女の子たち。

P「よくわかんねーな。別にいいだろ? アイドルの写真集くらい……」

何故だかわからないが俺はここは引いては負けだと思った。

美希「ハニー……。なんでミキの写真集が最初じゃないの?」

P「いや、美希のは出てないだろ……」

真美「なんで新幹少女の写真集なんて買ったのさー!」

P「え? なんでって……そりゃ先日共演させてもらったし、いい子だし、ファンになったからだけど……」

伊織「私以外のアイドルのファンになっちゃダメ!」

P「なんだそりゃ! いいだろ別に!」

春香「でもまあ、そこまで悪いことじゃないような気もするよね」

いや、一つも悪い部分なんてない気がするんだが……。

律子「他のアイドルのリサーチと考えれば……」

やよい「やっぱり勉強のためだったんですね」

だからファンだって言ってんだろ。まあいい、また話がややこしくなるからな。

201: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:54:17.36 ID:uh1GYAOp0
千早「本当にいかがわしい本は無かったみたいだし、私は改めて尊敬し直しました」

P「千早は嬉しいこと言ってくれるじゃないか」

小鳥「あると思ったんですけどねぇ……」

P「最初に無いって言ったじゃないですか!」

あずさ「でもやっぱり、他のアイドルの写真集とシングル全部出てきたら複雑ですね……」

何してもいいとは言ったが、ここまで捜索されるとは思わなかった。

休憩もそこそこ取ったところでケーキやらお菓子やら取り出す。

女の子曰くお菓子は別腹ということだ。

あずさや小鳥さんは酒まで開けていた。

あなたたち帰れるの?

あずさ「うふ、うふふふ……! プロデューサーさんもどうですかぁ?」

P「いやいや、俺が飲んだら誰があなたたちを送るんですか?」

小鳥「飲みましょうよー! ノリわっるーい! きゃはは……」

P「あんたは自重しろ!!」

真美「大人って楽しそう……」

真「そうだね。でもあれは……」

律子「紛うことなきダメな大人の例ね……」

P「ほんとだよ。あずさみたいにもうちょっと上品に飲んでくれないかなぁ」

春香「あれでも上品なんですか?」

あずさ「うふふ……」

P「まあな。ちょっとだらしなく見えるかもしれないがセーブしてるだろ。あずさはお酒強いしな」

伊織「それに比べて小鳥ときたら……」

あずさ「でも~、プロデューサーさんも酔っ払ったらすごいんですよぉ?」

いつにも増しておっとり話すあずさ。

202: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:55:26.71 ID:uh1GYAOp0
P「俺にそんなことあったか?」

小鳥「私は憶えてますよっ! べろべろになったプロデューサーさん! あははは……!」

小鳥さん笑いすぎ。あと絶対憶えてねーなこの人。

春香「でも一度発狂したことあったから想像できちゃうなぁ……」

やよい「あの時のプロデューサー、怖かったです」

律子「あのあとの帰りに周りから変な目で見られてると思ったら首に跡が……」

P「わ、悪かったって! でも俺そのこと憶えてねーんだよな」

雪歩「びっくりしたんですよ? プロデューサーがおかしくなっちゃったと思って……」

あずさの会話が中断されたかのように思えたが……。

あずさ「プロデューサーさんったら、私が支えてないと倒れそうなくらいべろべろで、私に甘えたり、抱き付いたり、耳や首にキスしたり、耳元であずさ、あずさって……」

構わずに俺が酔った時のことを話し出した。……と思ったら、内容がとんでもない。

あずさ「そのとき私、ああ、この人の子供をうむぅっ……! むぐ……」

俺は後ろに回って慌ててあずさの口を押さえる。

P「ストップあずさ。その話はやめてくれ、その時の記憶は無いがそれはダメだ。ヤバい」

伊織「どういうことなのお兄様……? まさか小鳥にもやったんじゃないでしょうね!?」

P「やってない! と思う」

伊織「何よ! その不安な返事は!」

というより、俺がべろべろに酔ってる状況で小鳥さんが正気を保ってるはずがない。

けれども伊織はぷんすか腹を立てていた。

亜美「というかあずさお姉ちゃんも……」

千早「そうね。少なくとも上品な飲み方には見えないわ」

酔ったあずさはお喋りさんであった。

203: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:56:00.83 ID:uh1GYAOp0
小鳥「ぷーろでゅーさーさぁん!! お酒買ってきていいですかぁ!?」

P「ダメダメ! あなたは自重してくださいってば!!」

あずさ「あ、私も~」

P「あずさもおしまい!」

気が付けば夜の8時。

そろそろお開きということになった。

P「伊織は外で新堂が待ってんだろ? 俺は酔っ払い二人と、誰か俺の車でいいって人を送っていくから、後はそっちに頼んでいいか?」

伊織「ええ、いいわよ。じゃあやよいと亜美、真美、真、雪歩を送るわ。いいわよね」

当然だが反対する子はいない。

P「じゃあ残りは俺の方だ。高級車じゃないうえに酔っ払いも二人いてすまないな」

千早「そんなの気にしませんよ」

律子「じゃあ行きましょうか」

片付けないまま外に出る。

外には新堂の車がやっぱり待機していた。

新堂「どうぞお乗りくださいお嬢様方」

真「うわぁ……こういうの憧れだったんだ。なんだか嬉しいや」

なるほど、真を誘ったのは伊織の気遣いかな。

204: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:56:38.63 ID:uh1GYAOp0
亜美「控えおろう!」

真美「面を上げい!」

ノリノリの双海姉妹だが、それはなんか違うと思う。

やよい「うっうー! お世話になります!」

雪歩「よろしくお願いします」

挨拶をするやよいと雪歩。

P「じゃあ新堂、彼女たちは任せたよ」

新堂「お任せ下さい。この新堂、命に代えてもお嬢様たちをお送りします」

ははは……。相変わらずだな新堂は……。

伊織「それじゃあね、お兄様」

P「ああ、じゃあな。遠慮せず甘えていいんだからな?」

伊織「機会があればそうさせてもらうわ」

そうして、伊織が乗った高級車は発進して夜の道に光を灯して去っていく。

P「さあ、俺たちも行こうか」

律子「あずささんと小鳥さんは後ろに積んでおきました」

P「了解、春香と千早と美希から送っていいよな?」

律子「もちろんです」

俺たちもすぐに出発するのだった。

205: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:57:09.63 ID:uh1GYAOp0
みんなを送り、新居へ帰ってくる。

家の前まで来て振り返り、空を見てみると、意外にも星が見えるのだ。

こんなこと以前にもあったな。

しばらく星を眺めていると意外な人物から声をかけられた。

女P「もしかしてPさんですか?」

振り返ると女Pさんが立っている。

女P「こんなところで何してるんですか?」

最初は不思議そうな視線を向けていたが、俺だと認識するとぱっと笑顔になって側まで寄ってくる。

P「あなたこそどうしたんです?」

女P「どうしたって、そこ私の部屋ですから」

俺の部屋の隣を指差して、おかしいな、という風に笑う女Pさん。

女P「Pさんこそ何でここに?」

P「俺の家、今日からここなんですよ」

そう言って自分の部屋を指し示す。

女Pさんは二度ほど俺の指とその先を交互に見ていた。

女P「えーっ!?」

驚く女Pさんはわたわたと落ち着かなくなる。

P「大丈夫ですか?」

女P「すいません。ちょっと驚いちゃって……」

206: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:57:58.83 ID:uh1GYAOp0
P「これからよろしくお願いします」

女P「こ、こちらこそ……」

俺がお辞儀すると、彼女もお辞儀を返す。

少しの間、沈黙する。

女Pさんは何かを話そうとしているが、ためらっているのか視線だけを動かしている。

俺も視線で応える、どうしたんですか?

女Pさんは手に持っていたビニール袋を前に出す。

女P「で、でしたら! 一緒に飲みませんか!? わ、私今日一人で飲もうかと思ったんですけど、寂しいので! Pさんがよければご一緒にどうですか!?」

慌てたのか早口で言い切った。

ビニールの中には缶のチューハイが数本、ビールも二本入ってる。

どんだけ飲むつもりだったんだろう……。

P「はい。俺でよければ、愚痴聞きますよ?」

女Pさんはキョトンとしたのも束の間、ニコッと笑って、お願いしますと頭を下げた。

俺は片づけをしてない部屋に彼女を入れる。

P「ごめんなさい。今から片付けますから、くつろいでいてください」

女P「私も手伝いますよ」

二人でごみをまとめて簡単に掃除も済ませる。

207: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 21:58:41.94 ID:uh1GYAOp0
お酒を取り出し、グラスを用意する。

P「なんか物足りないですね」

女P「あ、おつまみ買ってなかったです」

P「じゃあなんか作りましょうか」

女P「私も作ります」

二人で一品料理を作る。食材は買い溜め分を少し使った。

用意ができた。今は午後10時を回っている。

二人横並びでソファーに腰掛け、グラスにビールを注ぐ。

『乾杯!』

お互いのグラスを合わせて料理と一緒にお酒をいただく。

それからほどよくお酒も回り、女Pさんの愚痴もエスカレート。

世間話も仕事の話も下世話な話もいろいろしているうちに……。

気づけば朝になっていた。

どうやら眠っていたらしい。

彼女はというと俺に寄りかかっていた。俺の肩に頭を乗せる形で寝ていた。

そっとしておこう。寄りかかられて不快な気分はしない。

このまま、また寝てしまおうかな。

P「あ、仕事!」

とまあ、そういうわけにもいかず。

女Pさんを起こして自分の部屋に帰す。

急いで支度をして家を出ると、隣のドアも同時に開く。

女P「急ぎましょう!」

とは言っても一緒に行くわけではなく、アパートを出てすぐに別れる。

俺はギリギリで遅刻したけど、向こうは大丈夫だろうか。

その日は、彼女が寄りかかったときの寝顔が頭から離れない一日になった。

『お引っ越し』   終わり

210: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:48:24.46 ID:uh1GYAOp0
『雛祭り』『気づけば隣にいる』『どうにかなるんだよ』『蒼い鳥』

月日は流れ3月。

今月頭にあるのは女の子のお祭り。そう雛祭りだ。

男である俺には無縁のものかと思えば今年はそうではなかった。

都内にある某公園ではアイドルの雛祭りライブが開催される。

亜美真美、やよいに雪歩と765プロも徐々に目立ってきたおかげで今回オファーがかかった。

今回は千早を選抜した。

選考基準は歌やダンス、つまり純粋なパフォーマンス。

美希とかなり悩んだが、今回は歌がメインなので千早なわけだ。

特に歌に魅力があるのは確かだし、本人は歌の仕事を希望していたからちょうどいい機会だと思い、決断に踏み切った。

千早「プロデューサー、ありがとうございます」

実は歌メインのお仕事はシングル収録を除けば今回が初。

P「いいって。俺としても、こう初めての歌のオファーは千早に振ろうって思ってたから」

千早「プロデューサー、私に歌のお仕事が入ってこないの気にかけてましたよね」

P「え?」

千早「この前、プロデューサーが小鳥さんと話してる時にそう聞こえたので……」

P「ああ、そうだったのか」

千早「私、嬉しかったです」

優しい眼差しで言う千早。

212: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:49:22.15 ID:uh1GYAOp0
その顔がファンの前でもすんなりできるといいんだけど。

P「なんだ、散々待たせて悪かったな。今日は思う存分お客さんを楽しませてくれ」

千早「はい……」

なんだか調子が悪いのか返事もどこか気の抜けたものだ。

P「さあ、まずは挨拶に回ろうか」

今回のライブは6月、9月、12月に行われるものと合わせて4大シーズンアイドルライブと呼ばれるものだ。

新幹少女やサイネリア、頭角を現し始めたジュピター、と出演者にも顔見知りが多い。

さらに人気絶頂の魔王エンジェルも当然参加する。

彩音「あら? 765プロのプロデューサーさん?」

P「あ、彩音さん。ご無沙汰しております」

彩音「いえいえ、こちらこそ」

お互いにぺこぺことお辞儀をする。

P「本日はうちの如月千早がお世話になります」

千早「如月千早です。よろしくお願いします」

彩音「千早ちゃんね。サイネリアの鈴木彩音よ。よろしく。……それにしても765プロさんはどんどん新しい子を出していくんですね」

P「ええ、仕事に合ったアイドルを選出してるのが今のうちのスタイルなんです」

彩音「じゃあ今日は歌の方、期待してもいいのかしら?」

P「実力はあるはずです。本番で出し切れるかどうか……」

彩音「なかなか酷なことを仰るのですね。初めてでこの舞台はこたえると思いますけど……」

P「あはは……」

確かに……。そこんとこあんまり考えなしだった。

213: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:49:48.70 ID:uh1GYAOp0
千早「なんとか乗り切ってみせます!」

彩音「やる気十分ね。でもやる気だけではどうにもならないことだってあるのよ?」

千早「そのために今まで力をつけてきましたから」

彩音さんの挑発に食ってかかる千早。一触即発のように感じられたが……。

彩音「いいじゃない千早! 本番楽しみにしてるわ!」

と彩音さん的には好評だったようだ。

雑談もほどほどにその場を後にした俺たちは新幹少女の面々と鉢合わせる。

ひかり「あ、Pさん!」

いち早く気付いたひかりちゃんがすぐに駆け寄ってきた。

ひかり「あの、先日は助けていただいてありがとうございました」

先日とはもちろんバレンタインイベントのことだ。

P「いやいや、もういいって。怪我も無かったんだしさ」

ひかり「はい。Pさんのおかげです」

そうしてひかりちゃんはこっちをちらちらと窺い、そわそわと落ち着かなくなる。

ひかり「それで、これ、お礼にクッキー焼いてきたので、よかったらどうぞ!」

両手でかわいく差し出すひかりちゃん。

これ持ち歩いてたってことは俺のことさがしてたのかも……。

ちょっぴり嬉しくなる。

214: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:50:33.99 ID:uh1GYAOp0
俺も両手に乗せてもらうようにして受け取る。お礼とあれば無下にはできない。

P「ありがとう。ちょうどお腹空いてたんだ」

ひかり「それなら良かったです……」

そこで、つばめちゃんとのぞみちゃんがやってくる。

つばめ「よかったね、ひかり! 早いとこ見つかって……」

のぞみ「Pさんに何かご迷惑おかけしてたらごめんなさい」

P「迷惑だなんてとんでもない。前のお礼ってひかりちゃんにクッキーいただいたんです」

のぞみ「そうだったんですか。だから、ひかり落ち着きなかったのね」

ひかり「二人とも黙っててごめん……」

つばめ「ううん! 気にしないでって!」

仲睦まじい3人を見守ってる中、隣から千早が小さな声で話しかけてきた。

千早「プロデューサー」

P「どうした?」

つられて俺も小声になる。

215: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:51:12.77 ID:uh1GYAOp0
千早「そのクッキー、この場で食べた方がいいと思いますよ」

P「え、どうして?」

千早「それは、なんとなくです」

変なことを言うのだなと思ったけどこういう時の直感って意外と大事なのかも……。

言われたとおりにしてみる。

P「ひかりちゃん」

ひかり「ふぁ……はい!?」

ひかりちゃんは慌てた様子で反応してた。

P「クッキー食べてみてもいい?」

ひかり「どど、どうぞ!」

俺はありがとうと一言。袋を開き、クッキーを一枚取り出す。

P「いただきます」

ひかり「あ……。め、めし、召し上がれ……」

かーっと紅潮するひかりちゃん。

つばめちゃんとのぞみちゃんはその様子を見て、苦笑いや呆れた表情を浮かべている。

そんなひかりちゃんはというと俺を凝視していた。

ハラハラとした気持ちがこっちにまで伝わってきて同じように緊張してきた。

なんだか恥ずかしい……。

216: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:51:41.72 ID:uh1GYAOp0
クッキーを口に入れ、よく味わって飲み込む。

P「うん。すごく美味しい……」

俺がそう言うとひかりちゃんは緊張の面持ちから一転、ぱぁっとした笑顔を見せた。

ひかり「よかったぁ……」

笑顔のまま、ほっと一息つくひかりちゃん。

俺は千早をチラッと見る。

千早は俺の視線に気づいたようで、得意そうな顔をした。

P「あー、そういえば自己紹介がまだだったんじゃないかな?」

千早「そうですね。……如月千早です。よろしくお願いします」

さばさばとした態度で千早が会釈する。

のぞみ「新幹少女ののぞみ。よろしく」

つばめ「私は同じくつばめ、Pさんには以前イベントでお世話になったわ」

ひかり「同じくひかりよ。……あ、ごめんなさい。私ったらPさんだけでアイドルの方の分を……」

千早「いいえ、お気遣いなく。プロデューサーへのお礼を私も受け取るのは違いますから」

ひかりちゃんはホッとしたようだった。

217: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:52:28.04 ID:uh1GYAOp0
千早「それでは失礼します」

千早は他の挨拶に向かうつもりだ。

つばめ「また後でね、千早ちゃん」

のぞみ「お互い、いいステージにしましょう!」

千早「はい、ぜひ……」

少し振り返り、優しく微笑む千早。

P「気を悪くしないで……。確かに千早は少し無愛想なところあるけど……」

ひかり「ええ、本当は優しいですよね?」

初対面でちゃんと分かってくれる人もいるんだ。

千早の態度はやっぱりというべきか、なかなか理解されにくいから。

頑固なやつではあるけどね。

つばめ「ほら、ひかり。私たちも行くよ」

ひかり「え、もう?」

つばめ「もう? っていつまでいるつもりなの!?」

のぞみ「業界関係者だからって他の事務所の男性と長い間一緒にいたら怪しまれるわよ?大きな会場ほど、どんな奴がいても不思議じゃないし……」

ひかり「そ、そうよね。……それじゃあ、Pさん、また……」

218: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:52:57.22 ID:uh1GYAOp0
ひかりちゃんの微笑みはどこか儚げだった。

P「ああ、またね。ひかりちゃん」

そう言うと彼女は少し表情を緩ませた。多少の嬉しさが滲んでいたように見えた。

そして何かを振り切るように足を踏み出す。俺から離れる方向に……。

メンバー二人もひかりをよろしくね、と残して去っていった。

新幹P「よぉ、Pくん」

P「あ、おはようございます」

ちょうど入れ替わりで新幹Pさんがいらっしゃった。

新幹P「若いってのはいいねぇ……。俺の高校時代にそういうのは無かったからな」

P「あはは……」

高校時代は俺もそういうの無かったんですけど……。

新幹P「今日もよろしくな」

P「はい。こちらこそよろしくお願いします」

実は新幹Pさんとも交流があり、先日は女Pさんと3人で飲みに行ったりもした。

俺たちの先輩プロデューサーということで、いろんな話を聞かせてもらい、有意義な時間を過ごせたと思う。

その後、酔っ払って大変だったけど……。

新幹P「いやあ、この前は迷惑をかけたね」

P「迷惑だなんてとんでもない! もっと苦労させてください」

と言いつつ、やっぱりこの前は面倒だったなと思い返す。

219: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:53:57.46 ID:uh1GYAOp0
新幹P「はっはっは……! やっぱり君はいい男だよ。彼女の一人もいないなんて信じられん」

P「恐縮です。でも俺はまだまだですからね……」

新幹P「まぁ彼女もすぐできるさ。もっとも女性がらみで苦労するだろうけどね……」

P「やだなぁ、俺はそんな見境なしじゃありませんって!」

そうだよね?

新幹P「うちのアイドルはまだ駄目だぞ?」

P「そそ、そんなことしませんよっ!」

新幹Pさんは笑って茶化す。

新幹P「君ならそう言うと思ったけど、俺は彼女たちが望むなら止めないさ」

普段からやる気の無さそうな新幹Pさんは、やっぱり無気力にそう言った。

P「そうですか。でも彼女たちなら俺みたいな出来損ないより、素敵な男性を見つけられると思うんですけど」

新幹P「君のそういう価値観はわからんなぁ……」

やれやれと、考え方の差に呆れてるのだろうか。

新幹P「彼女たちが君を素敵だと言ったら君は素敵な人間なんだ。恋愛ってのは客観的な視点で見ることほど愚かなことはないよ。全部そいつの主観に委ねられるだけだ」

P「そういうものですか……」

新幹P「そういうもんだ。俺の妻もな、印象にも残らないパッとしないようなやつだったけど、気が付いたら隣にいた」

P「……」

新幹P「かけがえのないものはすぐ近くにあるんだよな。灯台下暗しってやつか……。近過ぎて見えないことも多々あるものだ」

220: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:54:31.09 ID:uh1GYAOp0
P「なんだか深いですね……」

新幹P「まさか……! これが至極単純だってことがいつかわかると思うぜ?」

新幹Pさんはニッと口の端を上げる。

こういう気取った仕草が妙に似合う。気取ってはいるがキザではない。

新幹P「ははっ……! 説教するつもりはないんだが、どうにも説教臭くていけないな」

P「いいえ、視野が広がって俺はためになってますよ?」

新幹P「Pくんは本当に気遣いが上手いな。未だに勘当の話を疑っちまうよ」

ほう、と感心まじりに驚く新幹Pさん。

新幹P「まあ、おっさんが話過ぎてもどうしようもないからな。今日はお互い盛り上げていこうよ」

P「はい。全力を尽くします!」

新幹P「元気があっていいね。それじゃ、また……」

P「はい。……また飲みに行きましょう」

新幹P「おう」

しばらく新幹Pさんの背中を見送る。

無気力そうな背には今まで培ってきたキャリアを感じる。

221: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:55:36.56 ID:uh1GYAOp0
伊達に新幹少女のプロデューサーをやっていない。

俺はちょっとした憧れを抱き、千早のもとへ急ぐのだった。

すぐに千早は見つかった。

奥で何やら話してるのは魔王エンジェルの三人だ。

普通に会話している。

千早「あ、プロデューサー」

P「悪い、待たせたな」

千早「いえ、東豪寺さんたちと話していたので時間は気になりませんでしたが……」

東豪寺? どっかで聞いたことあるな……って当然か。

魔王エンジェルのメンバーなんだから耳にしていて不思議ではない。

俺は他のアイドルのリサーチはあんまりしない。

そういうところは勉強不足だ。

視線を千早から魔王エンジェルに移すとやはりそこには見覚えのある女の子がいた。

だから有名な彼女たちはテレビで目にしていても不思議ではないのだが、そういうのではなくて……。

俺は一人の女の子をまじまじと見る。

その女の子は、どうかしましたか? と可愛らしく首をかしげる。

やっぱ初対面かな?

P「……初めまして、765プロでプロデューサーを務めておりますPと申します」

気を取り直して挨拶をするが返事は意外なものだった。

麗華「初めましてじゃないわ」

222: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:56:13.56 ID:uh1GYAOp0
P「え?」

驚く俺を見て、やれやれとため息をつく東豪寺さん。

麗華「私のこと忘れたの? 伊織のお兄様」

P「どうして伊織のことを?」

ますます驚く俺にすっかり幻滅していた。

麗華「もう! いくら水瀬家の次男だからって、この東豪寺麗華を忘れるなんて許しがたいわ!」

そこまで言われてようやく思い出す。

P「あ……あー! じゃあ東豪寺っていうと、水瀬家と家族ぐるみでお付き合いしてた……」

麗華「そうよ……。……私はあなたに会いたくてしかたなかったのに」

ぼそっと呟く麗華。

独り言だったので聞こえなかったことにした。

P「なんといいますか、申し訳ありません」

麗華「その喋り方やめていただける?」

P「いえ、ですが私はもう水瀬家とは関係ありませんので東豪寺家である麗華さんに対して無礼かと……」

麗華「あなたは最初から失礼だったと思うのだけれど……」

P「もう大人ですからね」

麗華「嫌だ。以前みたいに麗華って呼んでほしい……」

そんな顔しないでくれ。

223: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:56:43.37 ID:uh1GYAOp0
りん「あのーお二人さん盛り上がってるところですけど私たちのこと忘れてない?」

ともみ「自己紹介、まだ」

千早「そうね。久しぶりの再会で積もる話はあると思いますけど……」

P「ああ、すまない。……お二人のお名前も教えていただけますか?」

ちょっと形式的だが改めて尋ねる。

りん「はいっ! 魔王エンジェルの朝比奈りんでーす! 本日はよろしくお願いします!」

元気できゃぴきゃぴした女の子、やよいに似た黒髪のツインテールが特徴的で、つくっている甘い声がどうにも男ウケしそうだ。

ともみ「私は三条ともみ、よろしく」

口数が少なく短髪で、クールな雰囲気を纏い、他の子に比べ長身でスタイルもいい女の子。

P「朝比奈さんに三条さん、よろしくお願いします」

名刺を差し出す。

朝比奈さんは受け取った名刺をじっと見ていた。別に何にもおかしなところはないはずだ。

りん「Pさんって言うんですね」

朝比奈さんは邪悪な笑みを浮かべた。

ああ、この子こういう顔するんだ……。

224: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:57:13.60 ID:uh1GYAOp0
りん「良かったじゃーん麗華! この人に会うためにアイドル始めたんでしょ?」

麗華「はぁ!? な、何言ってるの!? ……そんなわけないでしょう」

りん「だってぇ、アイドルになった理由って誰かに見つけてもらうためって……言ってなかった? ね、千早!」

千早「え? ええ、確かにそう聞きましたけど……」

初対面の千早にも話したのか……。仲良いな……。

麗華「だからってこの人とは限らないでしょ!?」

ともみ「りんは悪趣味。けど麗華も往生際が悪い……」

りん「あはは……! 確かにからかいすぎたわ。でも麗華ったら可愛いんだから!」

麗華「だから私は……!」

千早「東豪寺さんが目的の人に会えたみたいでよかった」

麗華「千早まで……。そうよ私はこの彼に会いたかったの!」

麗華は開き直ったようだ。でも直球で言われると照れるなぁ。

千早「……プロデューサーってやっぱり顔広いんですね」

P「うーん、そうかもなぁ……。この業界でも水瀬って言ったら畏まられることもあるし……」

麗華「水瀬家の権力は伊達じゃないわ。水瀬の名前はある種の呪文ね」

P「そんな恐いことされるんですか?」

麗華「暴力組合じゃあるまいし、そんなことしてないと思うわ……。ただスポンサーから抜けられると企業側は大ダメージね」

225: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:58:01.77 ID:uh1GYAOp0
P「へえ、まあ私には関係ないですけど……」

麗華「それより何で急にいなくなっちゃったの?」

P「……それは」

麗華「言いたくないならいいわ」

P「いや、言う……ますよ。麗華……さんとは古い付き合いだし……」

麗華「別に無理して丁寧に話さなくてもいいんじゃないかしら?」

なんだか敬語じゃない方が自然で、それを彼女に見破られたようだ。

確かにいつもの調子で言葉が出てしまう。

P「……追い出されたんだ」

麗華「は?」

麗華だけでなく後ろで聞いてた、朝比奈さんと三条さんまで耳を疑ってるようだ。

千早は知っているのでリアクションがあるわけでもなかった。

P「だから、追い出されたんだ」

麗華「何それ……くっだらない……。どうしてそんなことに?」

P「……態度の悪い振る舞いと、粗暴な口調に、それに成績不良で俺のことは要らないんだとさ」

りん「俺……」

ともみ「俺……」

二人は俺の一人称が気になるようだ。さっきまで外面被ってたから、驚かれるのはしかたないのか?

俺が俺って言っても何も問題ないよな……?

226: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:58:53.58 ID:uh1GYAOp0
麗華「ふーん。あなたもあなただけど、家族も家族ね……。追い出すなんてやりすぎじゃあない?」

P「まあ名家水瀬だ。汚点は払拭しときたいんだろ」

麗華「私は汚点だなんて思わないわ。伊織もなぜ止めなかったのかしら……」

P「それは無理だ。親父の言うことは絶対。伊織はずっと親父が正しいと思ってたからな」

麗華「今は違うの?」

P「さあ……。でも心境に変化があったのは確かだ」

麗華「どういうこと?」

P「あいつの初めての抵抗が家の力を借りずに一人で働くことだからな」

麗華「へえ、あの伊織がねえ。……というより何であなた知ってるの?」

P「聞いてないのか? 伊織も765プロ所属のアイドルだよ」

麗華「え!? 聞いてないわ! アイドルってことも聞いてない! この前の会合のとき会ったのに……」

P「あー……。麗華がアイドルで伊織とは天と地ほどの差があるから言いたくなかったんだな……。ほら、プライドはいっちょ前にあるだろ?」

麗華「なんか納得……」

P「伊織には黙っててくれよ?」

麗華「えー? どうしよー?」

おい。なんか弱み握られたんですけど……。

227: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 22:59:38.25 ID:uh1GYAOp0
りん「麗華も大概じゃない……」

ともみ「そうは言っても麗華はたいてい裏目に出るから」

りん「あー……なんかわかる」

二人はやれやれと、麗華を見つめていた。

P「まあ言ってもいいけど……」

麗華「あら? 本当にいいの?」

P「後が面倒なだけで別に……。伊織のことだからちょっと怒ってから、めいっぱい甘えてきて数十分拘束される破目になりそうだ」

麗華「絶対に言わないから安心して!」

なんだ急に手のひら返しやがって……。それなら面倒は起こらなくて済みそうだけど……。

ともみ「ほら」

りん「本当ね」

二人は可哀想な子を見る目で麗華を見つめていた。

冷や汗をかく麗華はしばらくして落ち着いたが、表情は曇っていた。

麗華「お兄様、私のところに来ればよかったのに……」

P「ああ、思い浮かばないこともなかったが名家にうんざりしてたし、なにより家族に会いたくなかった」

麗華「……そう」

228: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:00:52.50 ID:uh1GYAOp0
麗華は曇った顔にさらに影を落としたが、水銀灯のようにじんわりと、彼女の表情は光を灯した。

千早をチラッと見ると思いつめたような顔をしている。

りん「麗華よかったじゃない! 最愛の人にもう一度会えてさ!」

少しの間千早に気を取られていると朝比奈さんの茶々が入る。

麗華「だから違うって言ってるでしょ!」

ともみ「素直じゃない」

俺からしたら麗華のは敬愛であって最愛というわけではないと思うけど……。

りん「というかPさん、どこかで見たことあるよ」

ともみ「この前のバレンタインの人にそっくり……」

りん「そうだよ! それそれ! 765プロからは確か穴掘りアイドルの!」

ともみ「萩原雪歩」

りん「そうそう!」

穴掘りアイドルだと……? 雪歩、巷ではそんな愛称が付けられているのか……。

麗華「? それがどうしたの?」

りん「この人じゃない? そのイベントで新幹少女のひかりを助けた人!」

ともみ「確か765プロ関係者」

りん「ね、そうでしょPさん?」

P「ええ、多分私だと思います」

麗華「何よそれ?」

ともみ「麗華はテレビ見ないから……」

なんだかちょっとしたところでも有名になってしまったようだった。

229: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:01:31.37 ID:uh1GYAOp0
P「それじゃあ俺たちはそろそろ行くよ。……千早?」

千早「……え? ええ。行きましょうプロデューサー。それではまた後ほど……」

りん「うん! じゃあね千早とPさん!」

ともみ「またね……」

P「朝比奈さんと三条さん、よろしくお願いします」

りん「りんでいいのに! Pさん、いつもの口調の方が私好き!」

麗華「あんた! すすすす好きって何!?」

ともみ「麗華慌てすぎ。別にそういう意味じゃない……」

P「ははは……。じゃあな麗華」

麗華「う、うん! また後で! 千早も!」

千早「ええ」

魔王エンジェルは戻り、俺たちはぽつりと残された。

P「ちょっとステージの周りの様子を確認しに行ってくる」

千早「それなら私も行きます。ちょうど雰囲気を確かめたいと思ってました」

春の始まりが感じられるこの野外コンサートのステージ周辺。

キャパシティは優に一万を超える。

P「いきなりの大舞台だが大丈夫か?」

千早「それは問題ありません……と言えば嘘になります」

サイネリアにも自信のあるような発言をしていたが、彩音さんの言うように大きな舞台の重みはしっかりと千早の上にのしかかっていたのか。

230: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:02:05.70 ID:uh1GYAOp0
俺は考えもなしにこの仕事を引き受けたのだが、早計だったのかもしれない。

もっと経験を積ませてからでも……。

いや、今さら遅い。

千早「今みたいに気を紛らわせていないと震えが止まりません」

P「そうだったのか……」

それは大きな舞台に立てることへの緊張や不安、昂揚感、歓喜、そういったさまざまな感情が混ざり合っているのだろう。

何にせよ千早の精神が大きく揺さぶられていることに変わりはない。

俺はなんて声をかければいい?

こんなの口で言ったってどうにもならないことはわかる。

ただ俺は黙ることしかできないのが辛い。

だから一言。

彼女が震えることなく舞台に立てる一言を言ってあげたい。

『大丈夫だ!』

そんな無責任なこと言っていいのか?

『頑張れ!』

今さら何だ。彼女は頑張ってきただろうが。

『信じてる』

雪歩のときとは規模が違いすぎる。さらにプレッシャーを与えてどうするんだ?

231: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:02:36.51 ID:uh1GYAOp0
千早は失敗したくないはず。

いや、してはいけないとさえ考えるに違いない。

バカだよ俺は……。

千早の気持ちも考えずに勝手に彼女を選んで……。

失敗するかもしれないという彼女自身の恐怖や不安に目を向けることをしなかった。

前向きなことばかり考えてマイナスの面は無視していたんだ。

千早「プロデューサー」

苦悩している俺に急に声をかける千早。

P「どうした?」

俺は自分の感情を隠していつもの調子で答える。

本当に苦悩してるのは俺じゃないだろ。……千早だ。

千早「私を選んでくれてありがとうございます。……側にいてくれますよね?」

その言葉はどこから出てくる……?

P「もちろん」

俺にはそれしかできないしな……。

そう言うと、千早はにこりと笑った。

千早「安心しますね。プロデューサーの前で失敗なんてできませんから」

いいのか? 自分に枷を付けるようなことをしているんじゃないのか?

余計に震えが止まらなくなるんじゃないのか?

232: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:03:13.02 ID:uh1GYAOp0
千早「プロデューサー?」

俺はその枷を緩めてやりたいと思った。

P「せっかく人前で歌えるんだしさ、楽しめよ! 自分が気持ちよく歌えればそれでいいって!」

精一杯、緩めてやろうと思った。

言った瞬間、二人の間の空気が凍った。

刺すような千早の視線。

なんでそんな顔をするのか俺にはわからない。

千早「……何ですか、それ?」

P「何って……」

どういうことかますますわからない。励ましたつもりだけど……。

素直にそう言ってはいけない気がして口を噤んだ。

千早「プロデューサー、あなたが私に言ったこと……憶えてますか?」

P「……いつの話だ?」

千早「……もういいです。がっかりしました」

そう言葉を吐き捨てた千早は、踵を返して去っていく。

待てとも言えない。

俺は今この瞬間、彼女に言葉を投げかける資格も、彼女の手を取り呼び止める資格も失った。

動けと自分に言い聞かせても無駄だった。

ただ俺の額を、頬を、背中を、水滴がしたたり落ちていくだけだ。

千早が遠くへ行ってしまう。

233: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:04:00.41 ID:uh1GYAOp0
動けずにただ突っ立っているだけの俺だったが、千早がやや混雑した道を人と接触して、しりもちをついたのを見て、ようやく一歩踏み出した。

P「だ、大丈夫か!? 千早!」

走って千早の傍まで行き、隣にしゃがみ込む。

千早は頑としてこちらを向こうとしない。

「あの大丈夫ですか? ……!? ご、ごめんなさい!」

ぶつかった人は急に慌てて謝る。どうしたんだ?

千早「大丈夫……ですから……」

声を絞り出した千早は逃げ出すように走って戻っていった。

P「お、おい! 千早っ!」

「あの……」

その場に取り残されたその人は不安そうに尋ねてくる。

P「すみません。……大丈夫ですので」

俺はそう言って千早が向かった方向とは別の方向に歩き出す。

「いや、本当に大丈夫なの……? 彼女さん……泣いてたけど……」

俺の耳にその言葉が届くことはなかった。

今、ステージとは離れたベンチに俺は腰掛けている。

パッと見、周囲には誰もいなかったので完全に一人だ。

千早の言っていたことを今一度考える。

俺が以前言ったこととは……そもそもいつのことなんだ?

冷静になるといろいろなことが見えてくるもので……。

234: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:04:39.07 ID:uh1GYAOp0
まず技術的なことじゃない。

その面でならアドバイスしてやれる。

P「それ以外か……。千早の怒りの発火点は……」

探ってみる。

『楽しめよ! 自分が気持ちよく歌えばそれでいいって!』

ここ以外に思いつかない。

そうしてすぐ気付く。

P「あー! もう! 何言ってんだよ俺は!!」

そうだ俺は以前、千早に自己満足で歌うことを否定した。

歌を聴く人の気持ちを考えて歌うんだと言った。

矛盾してる。

そのことに怒りを覚えたんだ。

本当に何にも知らないんだな、何にも考えてなかったんだな俺は……。

冬馬「あんた、こんなとこで何叫んでんだ?」

聞き覚えのある声におそるおそる振り向くと、そこには見知った顔。

ペットボトルを四本抱えた冬馬くん。一本はすでに量が減っていた。

P「……見てたの?」

数秒、間が空く。

すると冬馬くんが吹き出し、盛大に笑い出した。

冬馬「はっはっはっ……!! 見てたの? ってそりゃ見てなくたってあんな大声出せば嫌でも見るわ!」

俺の物まねをしながら話す冬馬くんはやはり芸人気質だなと思った。

235: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:05:12.88 ID:uh1GYAOp0
P「なんだよ……」

冬馬「いやー、あんたもそういうところあるんだなって思ってよ。驚いたまったぜ」

P「バカにしないでくれ……。いや、思い切りバカにしてくれ」

冬馬「どっちだよ! まああんたみてーにしっかりしたプロデューサーでもああやって叫ぶんだな」

P「それこそ笑いものだよ。俺は見ての通りしっかりしてないし、いつも手探りでやっている。仕事をもらえるのも運がいいだけさ」

冬馬くんの笑いはぴたりと止んだ。

さっきまでの楽しそうな表情は失せ、初めて見せる真面目な顔に俺は肺が押しつぶされそうな感覚に陥る。

冬馬「あんた本当にどうしたんだ?」

彼はどうしたものかと頭をかく。言葉に迷っているようだ。

冬馬「何があったのかなんて全く興味ねえし、心底どうでもいいんだけどよ。今抱えてる問題が自分の能力のせいなら、まだ努力が足りねーんじゃねえのか?」

違う。努力だけじゃどうにもならない。

冬馬「どうにかなる」

P「え?」

心を読まれた? 冬馬くんってエスパー?

冬馬「いや、あんた……どうにもならないって顔してたからよ」

P「そ、そうか……」

236: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:05:48.88 ID:uh1GYAOp0
冬馬「でもどうにかなるんだよ」

断言する冬馬くん。

冬馬「いくら失敗しても何度でも立ち向かうのが努力なんじゃねえのか?…俺はそうだった。才能とか関係ねえ。俺にだって才能はねえよ。だが努力はした。そいつは俺を裏切ってない」

P「……なら人とのぶつかり合いもその努力とやらでどうにかなるのか?」

冬馬「なるだろ」

即答だった。

冬馬「喧嘩しても仲直りする努力をする。関係を修復したくないんだったら努力する必要はないけどよ」

P「……」

冬馬「まあ大体、今のあんたの質問で何に悩んでるのか分かっちまった。これからも一緒にやっていくなら仲直りした方がいいぜ」

人生は面白いと思った。俺は彼より長く生きてるのに年下の子から何かを教えられるなんて……。

P「……ああ、ありがとな」

冬馬「いや、あんたがしけた面してたからつい熱くなっただけだ。……あー、あと努力の方向性だけは間違えんなよ」

P「はははっ……! いつになく真面目な顔で驚いたよ」

冬馬「ばーか。俺はいつも真面目だっつの」

そういえばそうだったな。

237: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:06:39.76 ID:uh1GYAOp0
P「あと君たちのプロデューサーもしっかりした人だと思うけど……」

冬馬「ああ、あいつは別にそんなことねえ。つまんねーミスばっかするし、この前は遅刻してくるし、気持ちの切り替えも下手だし……」

冬馬くんの口からは女Pさんの短所がスラスラと出てくる。遅刻は俺のせいでもあります。ごめんなさい。

冬馬「……けどな、それでも信用できる」

P「……そうか」

冬馬「あんたもここまでやってこれたんだ。ならみんな信用してるだろうよ」

P「自信ないな」

冬馬「だったら自信がつくように……」

言葉の先を俺が引き取った。

P「……努力だろ?」

冬馬「……そうだな」

彼は口の端をフッと上げ、わかってるじゃねーか、と言った。

冬馬「これやるよ。……じゃあな」

冬馬くんは持っていた未開封のペットボトルを一つ投げてよこした。

俺が慌ててキャッチしたそれは炭酸飲料だった。

パシリなのに俺にあげちゃっていいの?

P「いいのか? 誰か困るんじゃ……」

238: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:07:09.44 ID:uh1GYAOp0
冬馬「うちのプロデューサーは自称大人だから我慢してくれると思うぜ……。それでも気にするなら、あんたが後で直接買ってやってくれよ」

P「……じゃあ、遠慮なくいただくよ」

冬馬「ああ、俺はもう行くぜ」

ちょうど何か飲みたかったところだ。目の前に飲み物があることで喉の渇きが一層高まる。

ふたを開けた瞬間、炭酸飲料は勢いよくふたを押し出し砂糖水とともに俺の額をとらえた。

P「ぶはっ!!」

その瞬間、冬馬くんの笑い声が聞こえてきた。

様子を少し見てたのだろう。すでに彼は遠くにいる。

P「……冬馬くん、やっぱり芸人じゃないのか?」

明らかに確信犯だった。

一方ステージ裏では千早、他アイドル達が控えていた。

Pはまだ戻っていない。

千早「プロデューサーのばか……」

千早は椅子に座り、一人で落ち込んでいた。

刻一刻と出番が迫る中、Pを突き放すような態度をとったことに後悔して始めてるのだ。

彼がいなければ本来のように歌える自信がない。

千早「けどプロデューサーは私に言ったことを……」

葛藤は終わらない。

239: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:07:52.65 ID:uh1GYAOp0
千早「私のばか……」

そんな千早のもとに女性一人と男性二人がやってくる。

女P「初めまして、ご挨拶がまだでした。961プロ所属ジュピターのプロデューサーを務めております女Pと申します。本日はよろしくお願いします」

北斗「初めまして、美しいお嬢さん。俺はジュピターの伊集院北斗。よろしく」

翔太「僕は御手洗翔太! よろしくね! 本当はもう一人いるんだけど……時間が時間だからね。ところでお姉さんはなんていう名前なの?」

女P「こら、翔太。もっと丁寧にお聞きしなさい」

どうやら出演者だということを千早は認識し、立ち上がる。

千早「いえ、構いません。……私は765プロダクション所属の如月千早です。よろしくお願いします」

女P「765プロ!?」

翔太「プロデューサー……その名前に反応しすぎ」

北斗「しかたないさ翔太。愛する男性のいる職場なんだからね」

女P「愛っ……! 北斗! 適当なこと言うな!」

北斗「はいはい」

千早「あなたもプロデューサーを?」

女P「あなたも?」

千早「いえ、実はプロデューサーに思いを寄せる人を今日だけで二人見たので……」

女P「え? 二人も?」

240: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:08:36.64 ID:uh1GYAOp0
翔太「もう自分も好きですって言っちゃってるようなもんだけど……そのリアクション」

北斗「へえ、やっぱりモテるんだPさんは……」

翔太「まあ一人は思いつくけど、もう一人は誰だろうね?」

女P「一人思いつくの!?」

北斗「逆になんでうちのプロデューサーは思いつかないのか不思議ですけどね……」

翔太「新幹少女のお姉さんだよ。ひかりお姉ちゃん……多分ね」

女P「えー!? 新幹少女!?」

北斗「落ちたところをPさんに助けられたのが決め手だったと思うんだけど見てなかったんですか?」

女P「あ、そういえば……」

翔太「にっぶいなぁ……」

女P「うるさいわよ……」

北斗「ところでそのPさんはどこにいるんだい?」

千早「プロデューサーは……知りません」

千早は誰がどう見ても言い辛そうに口を噤む。

翔太「あー、何かあったんだ。聞かない方がいいのかな?」

千早「ええ、これは私たちの問題だもの……」

241: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:09:29.05 ID:uh1GYAOp0
女P「そう……。でもあなたもPさんも早く仲直りすることをお勧めするわ」

千早「それは分かっているのですが、私にはプロデューサーの考えてることも、プロデューサーが何であんなこと言ったのかも分かりません」

千早はそのことが気がかりでプロデューサーに問い詰められない。

もう一度、Pが千早に何て言ったのか聞いて、憶えていないと言われたら千早は彼を許せなくなると思った。

それが何より怖かった。

今こんなに慕っているのに……。

あの言葉だけを糧にアイドルを、歌を頑張ってきたのに……。

そこから今の関係が瓦解してしまいそうでならなかった。

北斗「やっぱ一悶着あったのは確かなのか……」

冬馬「おい。あんたら飲み物買ってきたぞ」

ちょうど冬馬が戻る。

翔太「わーい! ご苦労様、冬馬くん!」

ナチュラルに翔太が上からものを言う。

冬馬は少しむっとしたが大して気にも留めずに流した。

北斗「サンキュー冬馬」

女P「あれ、私のは?」

冬馬「765プロのプロデューサーにあげた」

冬馬は悪びれもせず答える。

女Pは責めようにも責められなくなった。

242: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:10:20.18 ID:uh1GYAOp0
冬馬「ん、そっちは?」

北斗「ああ、彼女は765プロの……」

千早は立ったまま一礼する。

千早「初めまして、765プロダクション所属の如月千早です。よろしくお願いします」

テンプレートをすらすらと口に出す。

冬馬「ああ、こっちこそよろしく頼む。俺はジュピターの天ケ瀬冬馬だ」

冬馬は視線をさまよわせながら少し考える様子を見せるが、しばらくして千早に向き直る。

冬馬「そういや、あんたんとこのプロデューサーに会ったぜ」

千早はぴくりと反応する。

冬馬「なんかなぁ、落ち込んでたみたいだけどよ。あいつはあんたのことを第一に思ってるみたいだ」

千早「……それで?」

冬馬「なんだ、冷めてんのな……。まあ、自分を責めてたって話だ。あいつはちょっと考えすぎる部分もあるみたいだし……」

千早「……」

千早は腹立たしかった。

冬馬に腹を立てたわけではない。

プロデューサーはアイドルが、千早たちが生きがいだと言っていたのに信じ切れなかったことが悔しかった。

千早「愚かなのは私……」

女P「如月さん……あまり自分を責めることは……Pさんにとって一番辛いことだから……」

涙が急に込み上げる。

こういう感情が昂ったとき、千早は決まってロケットを握りしめる。

243: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:10:52.44 ID:uh1GYAOp0
いつもは家に置いてあり、今日の大きな舞台への不安から持ってきたのだが……。

しかし無い。

首に着けておらず、いつでも取り出せるようにポケットに入れていたはずだ。

961プロの面々は、急に慌ててポケットやカバンの中を探る千早に、つい疑問符が浮かぶ。

翔太「どうしたの? 急に慌てて忘れ物?」

千早「無いの! 私が大切にしているロケットつきのペンダントがないの!!」

周辺のアイドル達も千早の異常な動揺に奇異の視線を向ける。

気になって動いたのは新幹少女のひかり、そして魔王エンジェルの麗華だ。

961プロの四人とひかり、麗華は事情を聞く。

ひかり「どっかで落としたのかしら……」

麗華「それ以外ないでしょう」

冬馬「大事なものなんだろ? 探しに行かなきゃダメだろ!」

口々に言うが公園内は人でほとんど埋め尽くされている。

そして無情にも……。

スタッフ「では本番間もなくですので、簡単に打ち合わせを行います!」

ライブ開始まで15分しかなかった。

244: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:11:38.35 ID:uh1GYAOp0
俺は冬馬くんのせいで、べたべたする顔を洗う。

ハンカチで拭きながらステージの方まで戻る。

時計を見ればそろそろ打ち合わせが始まるところだ。

P「やばいな」

俺は急いで戻ってきた。

「では本番間もなくですので、簡単に打ち合わせを行います!」

危ない。ぎりぎり間に合った。

P「千早はどこだ?」

辺りを見回し、すぐに見つかる。

961プロ、ひかりちゃん、麗華に囲まれてるからわかりやすかった。

P「……なあ千早」

意を決して話しかけた。

千早「プロデューサー!」

今にも泣きそうな顔で駆け寄ってくる千早。

P「うおっ! どうした? 怒ってたんじゃあ」

千早はそれどころでは無いようで、いつまでもうろたえている。

245: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:12:24.32 ID:uh1GYAOp0
女P「あなたたちは打ち合わせに……。私から事情を説明するわ」

女Pさんが一歩前に出てアイドル達をまとめる。

アイドル達は不承不承集まっている方へ向かった。

P「千早も行くんだ」

千早「……でも」

P「俺が必ず何とかする。お前は歌うんだ。……ファンのために歌うんだ」

千早はハッとして、ついに涙を流す。

千早「プロデューサー……憶えて……」

P「さ、早く」

目を腕でごしごしこすって千早も向かった。

P「女Pさん、それで……」

女P「はい。どうやら彼女の大事なロケットがついてるペンダントを落としたみたいなの……」

P「ロケット付のペンダント? 初めて聞きましたよ」

女P「そうなの?」

知ってると思ったのか、少し驚く女Pさんだったが気を取り直す。

女P「それで、彼女、今日の舞台で緊張をほぐすためにそれを持ってきたらしいんですけど……」

そこまで言われて俺は察する。

246: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:12:50.44 ID:uh1GYAOp0
P「無くしたんですね」

女P「ええ、ポケットに入れてたみたいですけど……」

俺はすぐに思いついた。

ポケットからこぼれるなんてなかなか無いと思うが、もしあるとすれば千早が倒れたあの時だ。

P「俺、探してきますので女Pさんは千早のことよろしくお願いします」

女P「待って! それなら私も……」

P「ダメだ! これ以上あなたを俺たちの面倒に巻き込むわけにはいかない。それにジュピターはどうするんですか?」

女Pさんは自分の軽率な行動に戸惑い、恨めしそうに俯く。

P「それに千早を任せられるのもあなたしかいない……。申し訳ありませんが任せてもいいでしょうか……?」

俺はお願いする立場にいるんだ。女Pさんに改めて頼む。

女P「……あなたのお役に立てるなら、喜んで引き受けます」

もの悲しそうだが芯の通った声に俺は安心する。

そうして千早がぶつかった場所に走って向かう。

打ち合わせも終わり、もうオンステージ間近だ。

千早はさっきと同じ調子で俯いていて、何度も何度も目をこすっていた。

女P「ダメよ如月さん。そんなにこすっては目が腫れてしまうわ。これを使って軽く拭いて……」

女Pはポケットティッシュを千早に渡した。

千早の鼻をすする音に周りのアイドル達が心配して見守る。

247: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:13:31.86 ID:uh1GYAOp0
新幹P「どうしたんだ? さっきもなにか騒がしかったようだが……」

女P「新幹Pさん……。実は……」

女Pは新幹Pに事情を話す。

新幹P「ああ、それでPくんはいないわけか……」

新幹Pはしばらく考えると新幹少女を招集した。

つばめ「なぁに? プロデューサー」

新幹P「新幹少女がトップバッターなのはいいよな」

のぞみ「ええ、ここに来る前からそのつもりだけど……」

新幹P「お前らのトーク、長引かせられないか?できればファンが聞き飽きる手前まで……」

ひかり「……なるほど、やってみるわ」

つばめ「私たちのとっておきの話すれば飽きないわよ」

のぞみ「つばめ、それにも限りがあるでしょ……。まあできるところまで引っ張ってみるわ」

新幹P「おう。頼んだ」

「それでは新幹少女の皆さんスタンバイしてくださーい!」

248: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:14:03.77 ID:uh1GYAOp0
今回参加は16組のアイドル達。

千早の順番は4番目。

『3月頭の大イベント! アイドルによる雛祭りアイドルフェスティバルが今年もやってきました!』

俺はスピーカーから大音量で流れる司会の開会の言葉を聞きながら目的の現場にたどり着いた。

千早の出番は早めだ。

すぐに探し出さなければ……!

もうすべてを投げ捨て、スーツ姿にもかかわらず四つん這いになってペンダントを探す。

この人ごみだ。邪魔になっているが構いやしない。

周りの人が何か言っているが関係ない。

俺は一心不乱に短い雑草をかき分ける。

辺りも徐々に暗くなっていく。

P「どこだ……ペンダント……」

どの辺にあるのか曖昧ではあったがここら辺だというのは間違いないと思う。

道行く人に蹴られる。

邪魔だと罵られる。

だがやめない。探すことをやめない。

ひかり『みなさんこんばんはー! 新幹少女でーす!!』

ライブはさっそく始まったようだ。

249: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:14:59.37 ID:uh1GYAOp0
女P「大丈夫。Pさんはきっと見つけてくるわ。あなたがやるべきことを考えましょう?」

千早「……ダメ、あのロケットがなきゃ私……。それにプロデューサーも傍にいない……。私はきっと歌えない」

千早はこれまでにないほどの負の感情を吐露する。

女Pには手に余るほどの千早の不安が彼女にも緊張を与える。

そこで見兼ねたのは冬馬だった。

冬馬「うじうじしたってしょうがねーだろ。それより如月、今お前にできることはしっかりとこのライブで成功を収めることだろうが」

北斗「冬馬、その言い方はどうかと思うぞ」

翔太「北斗くんの言う通りだけど、冬馬くんの言うことももっともだよ」

冬馬「その大事なロケットやらもない、プロデューサーもいない、だから私は失敗します……じゃねーんだよ。失敗しないための努力をしろよ」

翔太「出たー。冬馬くんの努力論」

北斗「ま、冬馬らしいな」

冬馬「うっせ。……まだやれることと言ったらライブを無難に終えることくらいしかないぜ」

しかし千早は彼を睨み据える。

250: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:15:43.08 ID:uh1GYAOp0
千早「あなたに何がわかるの……?」

凍てつくような声音に空気が固まる。

冬馬「何にもわかるわけねーだろ」

だが冬馬はいっさい怯まなかった。

冬馬「あんたのそれは一人よがりだ。あんたのプロデューサーは誰のために歌えって言ったんだ?」

千早は黙った。いや言い返すことができない。

彼女は喉の奥に込み上げる熱いものに気道が塞がれる思いをした。

女P「冬馬、黙りなさい」

そう一言、女Pが言うと冬馬はつまらなそうに離れる。

だが女Pも信じることしかできないのだった。

きっと来ると信じていたが、ついにPはやってこなかった。

千早の顔は絶望に染まる。

「如月千早さん! スタンバイお願いします!」

女P「まだよ。あきらめないで如月さん。トークで場を繋ぐのよ……」

千早は話を聞いてるのか聞いてないのかわからないまま、とぼとぼとステージの方へ向かっていく。

ジュピターの三人も彼女の疲弊した表情を見ていたが、さすがに声をかけられなかった。

『それでは今回初めての出場となる765プロダクションの如月千早さんです! どうぞ!』

前のアイドルが退場して早くも呼ばれる。

251: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:16:54.35 ID:uh1GYAOp0
ファンの人たちも心配になるような顔で登場する千早。

気力がほとんど抜けている千早は客席を見渡し、絶望の中さらに緊張と不安が一気に襲い掛かるのを感じた。

足の震えが止まらなかった。

千早『……あ、あの、は、はじ、初めまして……。765プロ……ダクション所属の、如月千早…です』

マイクを通した声は震えている。視界は滲んでいる。

上手くいってない自分が恥ずかしい。悔しい。みんなに申し訳ない。

いろんな気持ちがごちゃごちゃになってもう止まらなかった。

涙よりも先に流れてくる鼻水をすする。

黙ってしまって数秒、さらに鼻をすする音も聞こえれば客席もざわめき始める。

千早は嗚咽を漏らして泣きそうになってしまった。

P「頑張れ千早ーーー!!!!」

252: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:17:30.36 ID:uh1GYAOp0
俺は警備員に関係者であることを示し、すぐに前の席まで走っていく。

真ん中は埋まっているので、脇の方の誰もいないところを走ってきた。

そして、千早が落としたであろうペンダントを振りかざしながら叫んだ。

P「頑張れ千早ーーー!!!!」

静かになった客席に響き渡る俺の声、自分でも驚くほどの声量なのだが気にする余裕もない。

P「千早の歌を聴かせてくれー!!」

傍から見ればかなり痛いコアなファン。

現に周りの人は引き気味だ。

そんなことはどうだっていい。

P「落ち着け千早! 落ち着いて深呼吸だ!!」

千早はさっきの気力の無い表情から光を取り戻した。

そして俺の言ったとおりに深呼吸する。

よかった。俺の声は届いてるみたいだ。

さっきまでの弱弱しい表情はもうない。

客席で見ているお前ら、よーく見とけ、これが如月千早だとその目に焼き付けておけ!

さあ、仕切り直しだ。

千早『お見苦しいところをお見せしてすいませんでした。改めて、765プロダクション所属の如月千早です』

さっきとはうってかわって、堂々とした態度。

253: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:17:56.54 ID:uh1GYAOp0
女P「ああ、本当によかった。信じてました……Pさん」

冬馬「これで俺たちも飛ばしていけるってもんだぜ!」

北斗「そうだな冬馬、可愛らしいエンジェルちゃんが苦しんだままじゃ俺も十分に楽しめないからね」

翔太「ふう。お兄さん、冷や冷やさせてくれるね……」

麗華「よかったわね、千早……。お兄様は本当に女の子泣かせね」

千早『実は今日が初めてのステージで、とても緊張してました。さっき声が出なかったのもそのせいですけど……』

千早は俺の方をちらっと見ると、全体に向けてにこりと笑った。

千早『ファンの方が応援してくださったおかげで緊張もほぐれました。今は皆さんに歌で感動を届けたい気持ちでいっぱいです』

最後に、よろしくお願いします、と一言の後、伴奏が流れ始める。

『蒼い鳥』

千早の二つ目の曲。つまり新曲だ。

目立ってはないので知る由もないだろうが、この新曲は今初めて、発表されたことになる。

会場にいる人はサイリウムを振るうのも忘れて、ただ千早の歌に圧倒されていた。

そして曲が終わる。

余韻を十分に味わい、拍手喝采。

『……如月千早さん、ありがとうございました!! 初ステージとは思えない圧巻のステージでした!! 今回披露した曲は本人二枚目のシングルに収録されているそうです。一週間後に一部店舗で販売するそうです。ぜひお買い求めを!』

司会の宣伝も入り、千早の初ライブは終了した。

254: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:19:05.21 ID:uh1GYAOp0
その後、サイネリアやジュピター、取りに魔王エンジェルとこの辺はやはり盛り上がりが違った。

うちとの人気の差を実感させられる。

もっとも、一番盛り上がったのは最後の出演アイドル全員での合唱だった。

こうしておよそ2時間に及ぶ雛祭りアイドルフェスティバルは全行程を終了。

裏ステージで千早を待つ。

ところどころでお疲れ様と労いをかけ合う。

千早「プロデューサー!!」

千早は俺を見るなり胸に飛び込んできた。

千早「本当に……ありがとうございます!!」

泣いている。

P「千早、これ……」

俺はロケット付のペンダントを手渡した。

千早「プロデューサー、こんなに泥だらけで……。……手も」

と千早が俺の土まみれで赤くなった手に触れた瞬間、激痛を感じる。

P「ぐ……」

苦痛に顔が歪むが必死で隠そうとする。

千早「プロデューサー?」

P「何でもないよ……それよりみんなに挨拶してきたらどうだ?」

千早「はい。行ってきます」

そう言って千早は切り替え、出演したアイドルやスタッフのもとへ向かう。

どうやら、千早には気づかれずにやり過ごせたようだ。

255: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:20:16.83 ID:uh1GYAOp0
入れ替わりでやってきたのは女Pさん、ひかりちゃん、麗華の三人だった。

ばったり鉢合わせた三人はお互い顔を見合わせ、会釈している。

陰で、魔王エンジェルと新幹少女それぞれの残りメンバーが見守っていた。

女P「Pさん……信じてました。絶対見つけて帰ってくるって……」

麗華「まったく冷や冷やしたわよ……。そんなボロボロになって……」

ひかり「Pさん、手痛めてますよね……」

ひかりちゃんがそう言うと他の二人は、何だって? と言わんばかりにひかりちゃんを見つめた。

よくわかったな、なんて言いたいはずもなく、俺は強がることにした。

P「そんなことないよ。ちょっと汚れちゃったから怪我してるようにも見えるけど……」

俺は手をぷらぷらと振り、大丈夫なことをアピールした。やっぱ痛い。

ひかり「嘘はいけません。今、痛いって顔しました」

よく表情を見る子だ。素直に感心した。

ひかりちゃんは俺の右手をきゅっと握る。

女P「あ……」

麗華「あ……」

二人とも、何だその反応は……。

256: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:21:04.27 ID:uh1GYAOp0
P「……つっ!」

ひかり「やっぱり……」

P「おおげさだなぁ! たんなる突き指だよ……多分」

麗華「ちょっと見せて」

麗華が割って入ると、ひかりちゃんは残念そうな顔をした。

麗華「これはどう?」

そういう麗華は俺の右手を伸ばしたり握ったりしている。

俺はやせ我慢しようと思ったが無理だった。

痛みに表情が歪んでいるのが自分でもよくわかる。

しかし無理にでも笑顔を作って麗華をチラッと見る。

彼女の表情はうっとりしていた。

麗華「ね、どう?」

うわあ、こいつ生粋のドSに違いない。

P「俺が悪かった。痛いからやめてくれ麗華……」

麗華はやめてくれたが、その顔は俺を見てうっとりしたままだった。

女P「……気づかなくてごめんなさい」

P「あー、むしろ気づいてほしくなかったですから……。あはは……」

女P「でもなんでそんな怪我を?」

そのことは全員気になるようで、俺に注目している。

P「実は、ペンダントを拾ったのと同時に通ってた人に踏まれちゃって……。変な踏まれ方したかなとは思ったんですけどね。今になって痛み始めて……」

ペンダントはしっかり守れたんだけど。

257: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:22:03.26 ID:uh1GYAOp0
麗華「一度診てもらった方がいいわね」

ひかり「私もそう思います」

P「ああ、わかったよ。心配してくれてありがとう」

ひかりちゃんは徐々に顔を赤くして、俯いた。

麗華はまた俺の右手を触って、俺の顔を確認して楽しんでいた。

本当に悪趣味だなこいつ。

女Pさんが止めてくれて助かった。

しばらくすると、何やらちょっとしたオーラを纏わせたおじさんが二人こちらへ向かってくる。

高木「やあPくん! 調子はどうかな?」

P「高木さん! お久しぶりです! こっちは順調ですけど……社長はどうしてこちらへ?」

高木「それはね、彼が入場券をくれてね……」

高木社長が紹介した先には……。

黒井「久しぶりだなへっぽこ!」

P「黒井さん!?」

女P「しゃ、社長!?」

女Pさんは頭を下げる。

ひかりちゃんは誰? と首をひねっていたが、麗華は特に驚きも何もしない。

麗華「あら、高木様に黒井様じゃいらっしゃいませんか。ご無沙汰しております」

とても丁寧に挨拶している。さすがは東豪寺、顔見知りのようだ。

258: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:22:41.96 ID:uh1GYAOp0
高木「おぉ! 君は確か東豪寺家の麗華ちゃんだね……」

P「社長知ってるんですね」

高木「ああ、人脈は大事にしていてねぇ……」

黒井「ふんっ! その割にお前はコネクションというものを使わないのだからバカなのだっ!」

高木社長は笑って流す。

黒井「それよりへっぽこ、貴様なぜ追い出されたとき私に連絡を入れなんだ。わざわざ貴様の家までスカウト……ではなく、まずい茶を飲みに行ってやったというのに!」

P「すみません。連絡先分からなかったんです。それと、先に高木社長の方に連絡入れようって決めてましたので……」

黒井「はっ! まあいい。ところで女P」

女P「はい」

黒井「今日のジュピターだが、まだまだ甘い!」

女P「申し訳ありません」

結構厳しいんだな黒井さん。

黒井「だがそこまで見れないものでもなかった。少しだけ評価しよう……」

……と思ったがその様子はずいぶん満足そうだ。

女P「ありがとうございます」

黒井「これから私のディナーに付いてくるだろう?」

女P「はい、是非」

黒井「高木とへっぽこも来るだろう?」

なんだ、奢ってくれるのか黒井さん。というよりへっぽこって俺のことかよ……。

259: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:23:12.61 ID:uh1GYAOp0
高木「そうだね、うちのアイドルも連れていこうか」

黒井「無論だ」

P「あの、俺、病院に行くので……」

黒井「なにぃ……?」

P「ちょっと、今日はいろいろありまして怪我してしまったんです。それで……」

高木「あー、そういえば君、前で如月くんのこととても応援していたね。素晴らしい応援っぷりだったよ」

ぎゃあ! 見られていたのか!! 恥ずかしい……。

千早「プロデューサー、挨拶は済みました。……社長?」

ちょうど千早が戻ってくる。

高木「久しぶりだねぇ……。今日は素晴らしいステージだったよ! 最初はどうなるかと思ったけどねぇ」

千早「……プロデューサーが助けてくれました。他のみんなも私を助けてくれました」

千早は少し言い辛そうにしていたが言葉に出たのは、助けてくれたということ。

千早「新幹少女のみんなが場を繋いでくれたり、魔王エンジェルのみんなは心配してくれてジュピターのみんなは励ましてくれて……」

今日あった出来事を断片的に彼女の主観で話している。

260: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:23:58.84 ID:uh1GYAOp0
千早「それでも私は未熟で、結局プロデューサーがいないと何にもできませんでした」

P「俺だって何もできないよ。……千早が頼ってくれなきゃ何にもできないただの木偶だよ」

高木「うむ。君たちはアイドルとプロデューサー。どちらかが欠けていてはダメなんだ。これでお互いの絆が深まったのなら良しとしようじゃないか!」

その通りだ。俺と千早の関係はより強固なものに修復したのだからそれでいい。

高木「では、新幹少女の方々と魔王エンジェルの方々にもお礼を兼ねて食事にお誘いしてはどうかね?」

黒井「私は構わんぞ」

P「というわけなんだけど、どうかなひかりちゃん?」

ひかり「私、みんなに言ってきます!」

そう言ってすぐにメンバーのもとに戻って行った。

P「麗華は?」

麗華「そうね。ならお世話になるわ」

彼女もまた報告に行った。

そんな二人と入れ替わりでジュピターが戻ってくる。

冬馬「はっはっは! 今日もいいステージだったな!」

北斗「冬馬が暴走しなきゃな……。アドリブでダンスを変更するのはやめてくれよ」

翔太「だよねー」

冬馬「まあお前らじゃなかったらそんな勝手なことしねーよ……あれ? おっさんじゃねーか」

黒井「冬馬、なんだその口のきき方は……これからディナーに行こうと思ってたんだが冬馬は帰れ」

子供か……。冬馬くんも失礼すぎるよ……。

261: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:24:51.73 ID:uh1GYAOp0
冬馬「マジで!? 悪かったって社長! 俺も連れてってくれ!」

なんだか情けないなぁ。

黒井「ふんっ! 冗談だ」

翔太「クロちゃん相変わらずだねー」

北斗「黒井社長、わざわざ見に来てくれたんですね」

黒井「ここの入場券がもったいなかったからな」

高木「ははは……。素直じゃないなあ。大きな舞台で一番張り切っていたのは黒井だろう」

黒井「高木ぃ、余計なことを言うんじゃない!」

高木「あんな大荷物で私の分のサイリウムまで持ってきてくれたものだから助かったよ」

黒井さんは平常運転らしい。

出てくる言葉とは裏腹にアイドルのことを自分の子供のように接している。

女P「あの、高木社長。私のこと憶えてます?」

そんな中、高木社長に話しかける女Pさん。

高木「おや、久しぶりだねぇ。以前会ったのは君がまだ大学生だった頃かな? 黒井が言っていた有能社員は君のことだったのか……」

黒井「おい高木、私は決してそのように言った憶えはないが?」

多分言ったんだろうなぁ。

262: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:26:42.44 ID:uh1GYAOp0
高木「そうだったかな?」

女P「あの時はお世話になりました」

そういえば彼女も高木社長と知り合いだって話を聞いたことがあったな。

雑談をしていると新幹少女、魔王エンジェルの二組が戻ってきた。

新幹P「おいおい。なんだPくんこの顔触れは……」

P「あ、新幹Pさん。うちの社長と961プロの社長ですよ」

新幹P「そりゃあわかるんだが……いいのか? 俺たちもご一緒して」

P「もちろんです! 新幹少女が長引かせてくれなかったらもっと大変なことになってたかもしれませんから」

新幹P「そうか、なら遠慮なく甘えることにしようかねぇ……」

そう言って社長たちに挨拶に向かおうとする新幹Pさんだったが、立ち止まり俺に振り返る。

新幹P「あ、そうだPくん。……よくやったな。いいもん見せてもらったよ」

ニッと笑って俺に背中を向ける。

P「はは……。やっぱかっこいいな……」

つばめ「Pさんお疲れ様。……ちょっととっつきにくいところあるけどね」

のぞみ「お疲れ様です。……無気力な感じが無ければいいんですけどね」

263: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:27:21.41 ID:uh1GYAOp0
P「お疲れ様、二人とも……。ありがとね」

つばめ「やだなあPさん。ひかりの恩人なんだから遠慮しないでよ」

のぞみ「そうですよ。カンペに、巻いて、って出たときはちょっと焦りましたけど……」

気楽に答えるつばめちゃんと思い出して困ったように笑うのぞみちゃん。

P「抱きしめたいくらい感謝してるよ」

つばめ「セクハラは禁止です」

のぞみ「そういうのはひかりにやってください」

ひかり「のぞみ! な、何言ってんのよ!」

P「やんないって……」

麗華「楽しそうねお兄様」

続いて魔王エンジェルの面々だ。

りん「Pさん、ナイスガッツでした!」

意外と熱いコメントの朝比奈さん。

ともみ「うん、すごかった……」

抽象的な感想の三条さん。なんだか言葉にしにくいのだろう。

P「ああ、君たちも最後のステージの盛り上がりがすごかったな」

りん「当然です! でも私もPさんみたいな熱い声援欲しかったなぁ」

ともみ「千早がうらやましい……」

麗華「まあ、それには同意するわ……」

264: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:27:48.48 ID:uh1GYAOp0
P「千早のフォローありがとう……」

麗華「何にもしてないわ……。あなたが来るまで全く何も意味をなさなかったもの」

P「そんなことはないよ」

話もそこそこに黒井さんに呼ばれる。

残った新幹少女と魔王エンジェルは雑談を続けていた。仲良さそうでよかった。

黒井「では貴様を病院に送るぞ。それからディナーだ」

高木「私たちは先に行っておくよ」

黒井「ああ、いつもの場所に連絡を入れておいたからな」

高木「わかった」

そうして、祭りの後の打ち上げにみんなで行くのだった。

俺は黒井さんの運転する車の助手席に座っていた。

黒井「おいへっぽこ」

P「そのへっぽこって何なんですか?」

黒井「へっぽこは、へっぽこだ」

よくわかんない。哲学?

黒井「貴様はまだまだ未熟だということだ」

P「それは承知してますけど……」

しばらくエンジンの駆動音のみが静かに聞こえてくる。

265: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:28:40.99 ID:uh1GYAOp0
黒井「……貴様がなぜ追い出されたのかは大体わかるが、反省はしたのか?」

P「反省……ですか。どうなんでしょう。追い出されたときは確かに何もかもかなぐり捨てて高木社長のもとを訪ねました。実は、三日間くらい一人でどうしようか歩き回ってたんですけどね」

黒井さんは珍しいことに黙って聞いてくれる。

P「反省はしてます。……でも追い出されたことは後悔してません、むしろ良かったと思います。あそこにいても俺は成長してないと思います」

黒井「そうか……。なら貴様の親父にもたまには顔を見せてやるといい」

P「え? 追い出した本人ですよ?」

黒井「息子の成長を喜ばない親などいない」

言い切る黒井さんに対して、親に会おうなんて考えてなかった俺は適当に返事をしてしまう。

P「……もっと立派になったらそうしてみます」

そうして病院に着いたのだが、検査結果はなんと右手の人差し指から小指まで骨折だった。

どんな踏まれ方をしたのだろうか……。

その後みんなと合流。雰囲気のいい小さな店は高木社長と黒井さんのお気に入りで貸し切りだった。

ご飯は見た目もよく美味しい。

俺は利き手がダメになっているので、どうしようかと思っていたら……。

女P「はいPさん。あーん」

隣に座っている女Pさんがわざわざ食べさせてくれている。

266: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:29:27.48 ID:uh1GYAOp0
P「ごめんなさいわざわざ……」

女P「いえいえ、いいんですよ。このくらい……」

なんというか楽しそうというか……とにかくすごいニコニコ笑顔だった。

千早「すみません私のせいでプロデューサー、こんな酷いことになってるのに……」

女P「いいのいいの! 大丈夫だよ如月さん! 私、世話焼くの好きだし!」

千早「プロデューサー、事務所では私にお世話させてください……」

本当に申し訳なさそうに言う千早。

そこに新幹少女と魔王エンジェルもやってきて……。

つばめ「Pさーん。ひかりも超世話焼きだからさー。食べさせたいって!」

ひかり「え!? 私そんなこと……んむっ……!」

ひかりちゃんの後ろから三条さんが口を押さえる。

ともみ「今がチャンス……」

ぐっとこぶしを握る三条さんを見てひかりちゃんはこくこくと頷いた。

のぞみ「そういえば麗華ちゃんもPさんに食べてほしいものがあるって言ってましたよ?」

りん「なんか美味しいから今日頑張ってたPさんにも食べてほしいんだってぇ」

麗華「……あなたたち」

こっちは三人で親指を立て合う。

267: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:30:10.44 ID:uh1GYAOp0
P「うん。じゃあもらおうかな」

少しお酒も飲みつつ、みんなから一口いただく。

ひかり「Pさん。あ、あーん……」

恥ずかしそうにこちらを窺いながらお箸を近づけるひかりちゃん。

俺はあむっと一口でいただく。

ひかり「……どうですか?」

上目づかいで見てくる彼女は可愛らしかった。

P「美味しいよ。ありがとう」

ひかりちゃんはさらに顔を紅潮させ、つばめちゃんや三条さんの方へ戻っていった。

ひかり「今日来てよかったー!」

二人はひかりちゃんをよしよしと撫でていた。

麗華「はい私も……」

お次は麗華だ。

P「あーん」

と料理をもらおうとしたのだが、麗華は自分で食べてしまった。

麗華「おいしー!」

P「おい! 自分で食べんな!」

麗華「あらぁ? どうして口を開けて待っていたのかしら……? 間抜けな人ね」

このドSめ!

P「もういいよ……」

268: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:30:37.46 ID:uh1GYAOp0
麗華「冗談よ。はい、あーん……」

今度こそ料理をいただく。うん、美味しい。

P「ありがとう」

そう言ってやると満足そうな麗華だった。

のぞみ「なんで自分で食べちゃうかなぁ」

麗華「あのちょっと残念そうな顔がたまらないのよ……」

りん「最低だわ……」

彼女らも戻っていく。

最後に来たのはやはりというか……。

翔太「お兄さん、大変そうだね」

冬馬「俺のもやるよ」

この二人だった。

見るからに熱そうなビーフシチューをスプーンにすくって差し出してくる。

P「おいおい。スプーンだったら自分でいけるんだけど?」

冬馬「遠慮すんなよ」

翔太「そうだよお兄さん。こんなべたべたなネタも悪くないと思うよ」

ネタって言っちゃったよ。やっぱり芸人みたいな冬馬くんだった。

269: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:31:42.64 ID:uh1GYAOp0
冬馬「ほら、あーん」

女P「こら、冬馬!」

無理やり口にねじ込んでくる冬馬くん。

P「……!!」

あっつ!! 熱い!

俺の舌は軽くやけどした。

冬馬くんは笑って戻っていった。

翔太くんはお冷を置いていった。

北斗「すいませんあのバカが余計なことを……」

女P「本当にね……」

P「いえ、歳相応で安心しましたよ……」

ちなみに北斗くんは二十歳だから俺たちと一緒にお酒を飲んでいる。

北斗「やっぱモテますよねPさん」

P「こんなん初めてなんだけどな……。それに北斗くんの方がモテるだろ」

北斗「否定はしませんけどね」

そう言って笑う北斗くん。笑い方も嫌味な感じがなく爽やかだ。

271: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:32:48.50 ID:uh1GYAOp0
新幹P「Pくんは大変になるぞ」

口をはさむのは新幹Pさん。

新幹P「さっきのやり取りなんて砂糖が出てきそうだったよ。女Pちゃんも頑張れよ。若いのよりは有利だと思うぜ」

女P「ななな何を仰ってるんでしょうか!?」

北斗「プロデューサーはバレバレだから開き直れば?」

P「何の話?」

新幹P「君は鋭いのか鈍いのかよく分からんな」

みんなで話しながらお酒を嗜む。

新幹Pさんと高木社長と黒井さんは運転があるのでノンアルコールだった。

高木「いやぁ、それにしても今日は上手くいってよかった」

黒井「あれで上手くいっただと? ははは……! 笑わせるな高木!」

P「まあ、確かに100パーセントかと言われれば、そうではないですけどね」

新幹P「ああ、うちの子のトークなんか50点もあげられねーな」

高木「私は楽しめたからいいのだよ。ところでPくんはいい友人たちを持ったものだね」

P「友人……ですか?」

俺は女Pさん、新幹Pさん、北斗くんと目を合わせる。

北斗「もちろんですよ。こうやって飲むほどの仲じゃないですか」

女P「はい! とってもいいお友達です!」

新幹P「そう思ってるのは俺だけか?」

みんな好き好きに言葉を投げかけてくる。

北斗「プロデューサーは友達のままじゃダメでしょう」

女P「今はいいの!」

272: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:33:18.80 ID:uh1GYAOp0
黒井「貴様らもライバルと呼べる人間や親友と呼べる人間を作っておくのだな」

高木「おや。みんな、黒井からのありがたいお言葉だ」

黒井「高木、いちいちうるさいぞ……」

そうしてお開きとなる。

麗華たちは東豪寺プロのお迎えが来た。

新幹少女は新幹Pさんの車で、961プロは黒井さんの車で、俺たちは高木社長の車で。

それぞれ別れを惜しみつつ、挨拶をして帰っていく。

765プロにたどり着く。

高木「ではここでいいかな? 私はやることがあるからねぇ……。まだ残るよ」

P「はい。わざわざ送ってもらってありがとうございます」

千早「ありがとうございます」

俺と千早は頭を下げる。

P「じゃあ家まで送っていくよ」

千早「そんなの悪いです……」

P「いや心配だからね。それに近いんだろ?」

千早「はあ……。じゃあお願いします」

俺たちは歩き出す。

273: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:33:46.96 ID:uh1GYAOp0
千早「プロデューサー」

P「なんだ?」

呼んできた千早は少しの間をおいて尋ねる。

千早「……ロケットの中身見ました?」

P「見てないよ」

千早はそうですかと言ったばかり、再び沈黙が訪れる。

心もとない街灯が照らす路をひたすら歩いていたのだが、やがて千早は例のペンダントを取り出し、口を開く。

千早「プロデューサーにはお話します……」

P「……」

千早のその雰囲気に俺は黙ったままでいる。

ロケットを開くとそこには幼いころの千早と思われる女の子と仲良く寄り添って笑顔を見せる幼い男の子が写っている。

P「この子は?」

俺は聞かなきゃいけないと思った。

千早「弟です」

そうだろうとは思ったが、同時に悲しいとも思ってしまった。

なぜなら……。

274: ◆K6RctZ0jT. 2015/04/16(木) 23:34:40.11 ID:uh1GYAOp0
千早「今はもういませんけど……」

千早の表情がどんなものなのか想像してしまい、顔を見れない。

千早「弟は、優は事故で亡くなってしまったんです。……私はその時すぐに動けなかった。今でも後悔してます」

大きくなった今だからこそ、その悔しさは膨れ上がるのだろうか……。

千早「その優が私の歌を好きだと言ってくれたのが嬉しくて、いつも優のために歌を歌ってました」

P「そうか、だから千早は歌にこだわっていたのか……」

千早「ええ、だから私は優が亡くなってからも、私の中で優が消えないように歌い続けようって決めました」

P「……」

千早「でも私は間違ってたみたいです。……優はもっと多くの人に私の歌を聴いてほしいって言ってたのを思い出しました」

俺たちはなおも歩き続ける。

千早「私の中で優が消えることなんてない。私は優の願いのために、私の願いのために、みんなに感動を届けたい。……私の歌で」

気が付けば千早のマンションの前だ。

そこで俺に向き直る千早は涙を流しながら笑顔でこう聞くのだ。

千早「私の願い、一緒に叶えてくれますか?」

P「……ああ、もちろんだ」

帰路についた俺はいつものように空を見上げる。

今日は輝く星が多く見えた。

ずっと見上げてると、星々はじんわりぼやけて、より輝いて見えた。

彼女は言ってた。

弟は、優くんは、私の中にある決してどこへ行くこともない『蒼い鳥』だと……。

『雛祭り』『気づけば隣にいる』『どうにかなるんだよ』『蒼い鳥』   終わり