1: 名無しさん 2019/09/05(木) 22:56:38.387 ID:2CWs25r/0
夏も八月に入り、本格的な暑さが東京を覆いつつある。

こんな日は軽井沢の別荘にでも行って釣りでも楽しむか。

そんな別荘があればの話だが。


おれはキャスターつきの椅子に座りながら、スチールデスクの上に足を乗せ、週刊誌を読んでいた。

暇を持て余した昼下がり、ゆっくりと一ページずつ読んでは睡魔の訪れを待ちわびていたが、まんじりともできずに読み終えてしまった。

きょうははずれか……。

呟きながら、週刊誌をデスクに放り、うしろのブラインドの隙間から窓外を覗く。

先ほどまではビル群をはるか上空から照らしていた太陽が、徐々にビルの陰に沈んで行くのが見える。

夕暮れの訪れとはこんなにも早いものだったのか。

いや、ここは週刊誌が暇つぶしとしての役割をしっかり果たしてくれたのだと褒めるべきだろう。

そんなことを思いながら、おれはデスクの上に置かれたサイダーの500ml缶を手にとった。

右手で缶を握り、左手でプルタブを倒す。

わずかに炭酸の抜けるこころよい音が室内に響く。

飲み口を口に運び液体をゆっくりとのどに流し込む。

炭酸の刺激がひりひりとのどを通過し胃に染み渡るのを感じる。

かたわらに置いた扇風機は生ぬるい風を吹きつけてくるだけで用をなさない。

そのため、涼を取る方法が冷えたドリンクを飲む以外にないのだ。

居抜きで設置されていた古いエアコンは、効きが悪く、無駄に電力を消費するだけのがらくたとして老醜をさらしている。

最新のエアコンは機能がよく電気代もくわないとのことだが、いまだに購入のめどはたっていない。

引用元: ・(=゚д゚)花の行方と懐中時計のようです

2: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:00:30.875 ID:2CWs25r/0
温風にあたりながらサイダーを飲む。

こうして夜更けを待つのだ。


このひと缶を飲み干す頃にはなん時になっているだろうかと考えながら、二口目をのどに流し込む。

そのまま刺激の余韻に浸っていると、ふと跫音が耳に届いた。

とん、とん、と音を立てながら鉄の階段を昇ってくる。

音の質からしてハイヒールや革靴のものではない。

おそらくスニーカーの類だろう。

やがて音が止み、次いでドアブザーがおれの部屋に鳴り響く。

ドアに近づき魚眼レンズを覗くと、そこには一人の女が立っていた。

ξ゚⊿゚)ξ

カールした黒髪を肩の辺りまで伸ばし、上はダークグレーのTシャツに下は濃い色のジーンズ。

肩には焦げ茶色をした革のショルダーバッグをかけている。

3: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:03:46.893 ID:2CWs25r/0
おれは微笑を浮かべながらゆっくりとドアを開き、ようこそ、どうぞお入りください、といって女を室内へ招いた。

女は軽く会釈をし、部屋の中へ。

玄関に立つとぐるりと室内を見回し、あなたお一人ですか、とたずねてきた。

おれは、そうですが、なにか不都合でも、と訊き返した。

いいえ、そんなことはありませんよ、ただきいてみただけです。

女はぎこちなくはにかんだ。


幾分緊張しているようだ。

こういう調査機関を利用するのは初めてなのだろう。

初めての依頼人は丁重に扱わなければ。

5: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:07:04.286 ID:2CWs25r/0
おかけください。

おれは部屋の右手に据えられた応接セットのソファをてのひらで示した。

女は、失礼いたします、と一礼してからソファに腰かけ、バッグをかたわらに置いた。

ファイルキャビネットの上にあるコーヒーポットから、
二つのグラスにコーヒーを注ぎ、 冷凍庫から取り出した氷を三個入れ、ストローを挿してからガムシロップとフレッシュを添えて女の前に置いた。

女は礼をいうと、コーヒーに添えられた二つを入れてかき混ぜ一口飲んだ。

白いのどがゆっくりと波打つ。


(=゚д゚)「初めまして、わたしはこの事務所の所長の義虎正寅(ぎこまさとら)といいます」

おれは向かいに座り自己紹介をした。

すると女が首をかしげた。

理由はわかっている。

(=゚д゚)「亡くなった先代の茂名重光からこの事務所を引き継いだんですよ。
     わたしは茂名調査事務所の二代目所長になります」

ξ゚⊿゚)ξ「あ、そうだったんですね」

説明を聞いた女は得心した様子で小さくうなづいた。

8: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:08:54.532 ID:2CWs25r/0
電話帳には事務所の名前と住所と電話番号しか記載されていない。

『安心安全』だの『迅速丁寧』だのという惹句も書かれていない簡素な広告が載っているだけだ。

タクシーのように街を流していれば誰かが手を挙げてくれるような稼業ではない。

知り合いの弁護士が回してくる浮気や離婚に関する身辺調査の仕事以外で、依頼人の方から飛び込んでくるというのは幸運な例だった。


(=゚д゚)「ではこちらを」

おれはデスクからステンレスの名刺入れを取ってくると、その中から一枚を引き抜き両手で女に差し出した。

女も両手で名刺を受け取ると、軽く眺めてからバッグにしまった。

そして、「はじめまして、わたしは津出礼子といいます」と自己紹介し、深々と頭を下げた。

ξ゚⊿゚)ξ「あっ」

津出礼子は思い出したようにかたわらのバッグに手を突っ込むと、そこから茶色い革の名刺入れを取り出した。

ξ゚⊿゚)ξ「どうぞ」

差し出された名刺を受け取り目を通す。

名刺には彼女の名前の他に「津出生花店」という勤め先らしき店の名前とそこの住所と電話番号が記されていた。

(=゚д゚)「お花屋さんにお勤めですか」

ξ゚⊿゚)ξ「個人経営の小さいお店ですけど」

個人経営ね、おれは心中で呟きながら、名刺をテーブルのはじに置いた。

9: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:12:24.030 ID:2CWs25r/0
コーヒーにガムシロップをひとつ入れ、ストローでかき混ぜる。

からの容器をそばの小さいごみ箱に捨ててから、彼女にたずねた。

(=゚д゚)「それでは、本日はどのようなご用件でお越しくださったのでしょうか」

ξ゚⊿゚)ξ「実は……」

彼女は膝の上で両手を握り合わせた。

ξ゚⊿゚)ξ「わたしは渋谷で小さな花屋を営んでいるのですが、三日前、不思議な男性がお店に現れたんです」

(=゚д゚)「不思議な男性?」

ξ゚⊿゚)ξ「はい、日本人にしては珍しいくらい鼻が高くて、優しげな目をした男性でした。
      見た感じでは二十代前半くらいだったので、多分、大学生ではないかと思うのですが――」

彼女はそこでいったん言葉を切り、小さく息をついてから、続けた。

10: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:14:15.484 ID:2CWs25r/0
それは三日前にさかのぼる。

よく晴れた昼日中のことだった。

彼女が店の中で薔薇の棘取りをしているとき、ひとりの男が会計を済ませようと彼女に十本のリナリアを渡した。

そこまでは他の客と変わりなかったのだが、レジで代金を請求したときだった。

男がズボンのポケットから銀色に輝く円形の物体を取り出し、これとその花を交換して欲しいと持ちかけてきたのだという。

彼女は驚きながらも、申し訳ございませんがそのようなサービスは承っておりません、と丁重に断った。

しかし男は、お願いですから交換してください、といったきり、物体を差し出したまま硬直してしまった。

まるで彫像のように。

だが、不思議と不気味な感覚はなく、まるで芸術的なものを見ているかのような錯覚に囚われていた。

ひと言でいえばはかなさ、そんな印象を彼女は受け――気づいたときには、物体を手にしたまま立ち尽くしていたという。

11: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:16:08.585 ID:2CWs25r/0
(=゚д゚)「無意識のうちに花と交換してしまっていたということですか」

彼女はゆっくりとうなずいた。

おれは顎に手をあて、少し考える素振りをしてから口を開いた。

(=゚д゚)「現物はいまお持ちですか」

ξ゚⊿゚)ξ「はい、持ってきました」

そういうと、彼女はバッグから物体を取り出し、テーブルの上に置いた。

それは化粧品のコンパクトをもっと小ぶりにしたようなサイズの懐中時計だった。

ふたの表面には、髪をストレートに伸ばした人魚が横を向いた状態で岩礁に座るという構図の浮彫が施されている。

おれは時計に目を注ぎながら、彼女にたずねた。

(=゚д゚)「手に取って見てもかまいませんか?」

ξ゚⊿゚)ξ「どうぞ」

了承を得ると、テーブルに置かれた時計をつまみ上げ、てのひらに乗せた。

純銀なのかはさだかではないが、それなりに重みを感じる。

意匠の施されていない裏面はおれの顔が映りこむほどの光沢を帯びており、右側には小さな穴が開いていた。

メンテナンスをするためのものなのか、考えながら時計のふたを開くと、答えはすぐに見つかった。

長針と秒針と数字の配された盤面の下にオルゴールのシリンダーが埋め込まれていたからである。

どうやらゼンマイを巻くための穴のようだ。

秒針は動いているが、オルゴールは静止しているため音楽を聴くことはできない。

13: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:18:29.432 ID:2CWs25r/0
おれは時計を矯めつ眇めつ眺めたのち、彼女に返した。

(=゚д゚)「ありがとうございました」

ξ゚⊿゚)ξ「いえ」

彼女は時計を受け取ると、指で優しく包み込み、バッグにしまった

(=゚д゚)「見たところ、なかなか上等な懐中時計のようですね。
     やはり初めて見たときはさぞかし驚いたでしょう」

ξ゚⊿゚)ξ「交換して欲しいというお願いには驚きましたけど、時計そのものには特に」

彼女は毅然とした表情できっぱりといってのけた。

ξ゚⊿゚)ξ「わたしは普段から貴金属より断然美しいものに囲まれているものですから」

(=゚д゚)「それはやはり――」

おれがいい終わるより早く、彼女は言葉を継ぎ足した。

ξ゚⊿゚)ξ「貴金属と違って、お花は生きているんです。
      生きているからこそ、命があるんです。
      命があるからこそ、いつかは生涯を終えなければならないときがきます。
      だからこそ目一杯花開くんです。
      そのときがくるまで精一杯生きるんです。
      生きているからこその美しさがあるんです」

ひとしきりいい終えると、彼女ははっと息を飲んだ。

恥ずかしげに顔をうつむけ、スイッチが切れたかのように黙りこくってしまった。

先ほどまでとは打って変わり、熱を帯びた語勢から、彼女の花に対する愛情の深さがうかがい知れる。

14: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:20:15.461 ID:2CWs25r/0
おれは微笑を浮かべた。

(=^д^)「なに、恥じることなんてありませんよ。
     あなたの花を想う気持ち、十分伝わりました」

ξ゚⊿゚)ξ「ありがとうございます……」

彼女はなおもうつむいたまま、 小さな声で答えた。


おれは自分のグラスを手に取り、ストローをくわえた。

氷が解けてかなり薄くなっている。

一口だけのつもりだったが、そのまま一気に飲み干した。

グラスを置き、口を尖らせてゆっくりと息を吐くと、うつむいている彼女に問いかけた。

(=゚д゚)「では、今回のあなたのご依頼は、その男性を捜し出してほしい、ということでよろしいのでしょうか?」

その言葉にようやく顔を上げると、恥ずかしさのせいか目を合わそうとはしないが、首肯した。

(=゚д゚)「その目的も、お聞きしてよろしいですか」

彼女は小さくうなずくと、コーヒーで唇を湿らせた。

グラスを置き、口を開く。

ξ゚⊿゚)ξ「わたしは、知りたいんです。
      あの男性が交換したお花が、いまどのように扱われているのか、なぜあそこまでしてお花が欲しかったのか、それだけが」

いい終わると、うかがうような目でおれを見詰めてきた。

おれはその目を見据えながら、大きくうなずいた。


(=゚д゚)「お任せください」

15: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:22:49.133 ID:2CWs25r/0
 ※


おれは翌日から調査を開始した。

鼻が高く、優しげな目をした二十代前半の大学生と思しき男という依頼人の証言のみを頼りに、
電車を乗り継ぎ、靴底をすり減らし、渋谷の大学や短大を訪ね歩いた。

学生には、妹を妊娠させて行方をくらませた男を探している、協力してほしい、と哀切な表情を作って嘘をつくだけでよかった。

だが、有益な情報を得るには至らなかった。

恐ろしく存在感が薄いのか、はたまた交友範囲が狭いのか、見当はつきかねたが、いまのおれには歩き続ける他なかった。


東四丁目にある大学へと続く通りを歩くころには、時刻は三時に差しかかっており、そのときになってようやく空腹とのどの渇きに気づいた。

午後をすぎ、陽ざしも一段と強くなっている。

なん度ハンカチで顔の汗をぬぐっただろうか。

16: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:25:04.373 ID:2CWs25r/0
空腹とのどの渇きにさいなまれながら、おれは考えていた。

もしかすれば、男は大学生ではない可能性がある。

それか、渋谷界隈の学生ではないのかも知れない。

推測があたってしまった場合、それはおれの調査が徒労であることを意味していた。

推察をしなおすにしても、限られた証言からまた別の道筋を導き出すのは骨が折れる。

ましてや大都会東京ともなると尚更だった。


徒労だったとしても、そのときはそのときだ。

おれのやりかたに限れば、この稼業の大半は動き続けることに労力を割かれる。

ネットで検索をかければ、細大漏らさず情報が得られるというものでもない。

身辺調査でも人探しでも、その点は同じだ。

大学生ではないとすれば、再び津出礼子から他に思いあたる節がないかを訊いてみる必要があった。

17: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:27:13.156 ID:2CWs25r/0
やがて、十メートルほど離れた距離から、大学名の彫られた黒い御影石の石標が目に入った。

キャンパス内では、高層マンションを思わせる巨大なビルが威容を誇っている。

目標にしていたビルだ。


正門に目を向けると、そこにはまばらではあるが、数人の学生が行き交っている。

談笑しているグループもいれば、カップルもいる。

むろん一人の者も。


(=゚д゚)「すみません」

おれはその中から、一人でキャンパスから出てきた男子学生に声をかけた。

丸縁の眼鏡をかけ、赤いチェックのYシャツとベージュのチノパン。

背には黒いリュックサック。

この男子学生に声をかけたのは、服装の野暮ったさと、勤勉を絵に描いたような風体をしているためだった。

要するに、非協力的な態度は取らないであろうと推測したからである。

18: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:30:08.297 ID:2CWs25r/0
(-@∀@)「なにか」

男子学生はこれといって警戒する様子もなく立ち止った。

(=゚д゚)「あの……」

わけありな様子であることをそこはかとなく悟らせるため、うつむき気味に小さく呟く。

(-@∀@)「ど、どうされたんですか?」

男子学生が幾分動揺した様子で訊ねると、おれは顔を上げた。

(=゚д゚)「実は、ある男性を探していまして」

(-@∀@)「人探し、ですか」

(=゚д゚)「ええ、その、わたしには六歳年の離れた高校三年になる妹がいるのですが、その妹が……」

そこでわざと口ごもり、下唇を強く噛んで見せた。

ときが止まったかのように沈黙が流れる。

行き交う学生達が胡乱気におれたちを流し見ては通りすぎた。

男子学生は先を促さず、不安げな眼差しでおれを諦視している。

相手に最大限の関心をひかせるため、おれはもったいぶるようにして沈黙に身を委ね、心の中で一分間を計っていた。

19: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:33:02.322 ID:2CWs25r/0
一分が経った。


(=゚д゚)「身ごもってしまいまして……」

顔をうつむき気味にし、ささやくような声で言葉を絞り出す。

(;-@∀@)「え?」

硬直した状態のまま、男子学生の口だけが動いた。

今度は明らかに動揺している。

(=-д-)「街でナンパされ、のこのことついて行ってしまったのが運の尽きでした……」

おれは目をつぶりながら、ため息混じりに続けた。

(;-@∀@)「そ、それはお気の毒に」

男子学生はあたり障りのない気休めをいった。

(=゚д゚)「でも、あいつにも非はあります。
     なんの警戒もなしに見ず知らずの男についていくだなんて。
     ですから、わたしは別にその男性を叱責するつもりなんてないんです。
     とにかく会って話し合いたいだけなんです」

おれの話を黙って聞いていた男子学生は、先ほどとは打って変わり引き締まった表情を浮かべると、小さく二度うなずいた。

(-@∀@)「わかりました。ぼくでよければ協力しましょう」

(=゚д゚)「ありがとうございます」

おれは深々と頭を下げた。

20: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:34:53.092 ID:2CWs25r/0
三文芝居をするのもひと苦労だ。

おれにも少なからず良心の呵責がないわけでないが、スマートな方法というものが思いつかない。

事情を把握している人間が目にすれば、おれの姿はひどく滑稽なものに映るだろう。


スーツの胸ポケットからメモ帳を取り出し、男の顔の特徴や雰囲気をそのまま男子学生に告げた。

特徴を聞いた男子学生は腕を組むと、それこそ学生らしく、問題に取り組むように眉間に皺を寄せてうんうんと唸り始めた。

三十秒ほどがすぎたとき、男子学生が唐突に「あっ」と声を上げたが、「いや、まさかな」と呟いて再び眉間に皺を寄せた。

(=゚д゚)「なにか心あたりがありましたか?」

思わず訊ねた。

(-@∀@)「うーん、あなたの証言に該当するかも知れない男性の姿が一瞬脳裡をよぎったのですが、でも、あいつがそんなことをするはずは……」

(=゚д゚)「その男性のことを教えてもらえませんか」

男子学生は思案するようにいい渋っていたが、絶対に人違いだとは思いますが、と前置きをした上で答えた。

(-@∀@)「うちの大学に、さすがという学生がいるんです。
      ぼくと同じ経済学を専攻していましてね。
      ノートの貸し借りや昼食を一緒にするくらいには親しい仲でして。
      あなたのいった特徴通り、まあ、とてもハンサムな男なんです。
      無論、成績も優秀ですが、それらを鼻にかけるような尊大な人間ではありません」

(=゚д゚)「さぞかし羨望されていたんでしょうね」

(-@∀@)「物静かで積極的に交流を持とうとするようなタイプではありませんが、
      誰かがわからない問題を聞いたり、食事に誘ったりしても断るような人ではないですね。
      とても自然体な人柄なので、むしろ羨望というよりも、頼れる存在といったほうが適切かも知れません」

(=゚д゚)「なるほど」

おれは軽く相槌を打った。

(-@∀@)「ただ……」

男子学生が眉をひそめる。

(=゚д゚)「なにかあったんですか?」

(-@∀@)「彼は、ここのところ大学に顔を見せていないんですよ。
      きょうでちょうど一週間になります」

(=゚д゚)「顔を見せなくなる前日、なにか兆候のようなものはありましたか」

(-@∀@)「いいえ、全く変わったところなんてありませんでした」

男子学生の返答を聞いたおれは、顎に手をあて、考える素振りをした。

21: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:49:42.866 ID:2CWs25r/0
馬鹿な。

そんな瓢箪から駒が出るようなことがあるものか。


しかし、これはあたりである可能性が高い。

一週間の空白。

容貌の一致。

いままでで一番有力な情報と見ていいだろう。

はずれた場合はそれでいい。

また歩き続けるだけだ。

とりあえずおれはこの可能性に賭けてみることにした。

(=゚д゚)「彼のお住まいはどちらなのでしょうか」

(-@∀@)「わかりません。
      どこかの企業の御曹司なんて噂も立っていましたが、彼は家庭のことはぼくを含めて誰にも話したがりませんでしたから」

男子学生はきっぱりというと、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。

(=゚д゚)「裕福な家柄かも知れないと」

(-@∀@)「あくまで噂ですけどね」

(=゚д゚)「最後にもう一つお聞きしていいですか」

(-@∀@)「なんでしょう」

(=゚д゚)「さすがとは、流れる石と書いて流石と読むのでしょうか」

(-@∀@)「そうです」

男子学生がこくりとうなずくのを確認してから、来た道を戻ろうとしたときだった。

(-@∀@)「高確率で違うとは思いますけど」

男子学生が誰にともなくぽつりといった。

(=゚д゚)「ただ確認したいだけですので」

おれはフォローにもならない言葉を残して踵を返した。

22: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:53:18.669 ID:2CWs25r/0
 ※


時刻四時半すぎ、広尾二丁目に到着した。

騒々しい市街とは一線を画した閑静な住宅地。

おれの推測が正しければ、男はこの界隈のどこかに住んでいるはずだった。


夕刻になり、陽ざしもだいぶ和らいではきたものの、いまだにむしむしとした熱気がまとわりついてくる。

朝から歩き通したところで決して慣れることのない熱気。

おれにとってそれは、空腹とのどの渇きを誘発させる忌まわしい存在でしかなかった。

加えて、アスファルトを踏みしめる足にもにわかな痛みを感じ始めている。

蝉の鳴き声も騒音以外のなにものでもない。

それも一匹ではなく、複数の蝉が不規則に斉唱している。

まるでおれを嘲笑しているかのようにきこえるは、気のせいではないだろう。

笑いたければ笑えばいい。

だがいまは仕事を完遂させるのが最優先だ。

23: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:56:29.717 ID:2CWs25r/0
あの学生の証言があたりだった場合は、二人を引き合わせて一件落着。

はずれだった場合は、きょうのところは切り上げ、どこか空調の効いた飲食店に飛び込む。

きょうは朝にカレーパンとアンパンを口にした以外に食事を取っていない。

ラーメンでも牛丼でも、しっかりと食べて明日への英気を養いたかった。

津出礼子には経過報告をしつつ、男が大学生ではないという可能性を示してもう少し話し合う必要がありそうだ。


そんなことを考えながら、「流石」と書かれた表札を探して路地を歩いていると、一匹の白いチワワを散歩させている女とすれ違った。

この辺りに住んでいる主婦に違いない。

(=゚д゚)「すみません」

女のうしろ姿に声をかけた。

その声に足を止めた女は、きょとんとした表情を浮かべながら振り返ると、「わたしですか?」と自身に指をさしながら答えた。

連れのチワワは置物のように、女の足元に鎮座している。

24: 名無しさん 2019/09/05(木) 23:59:29.230 ID:2CWs25r/0
(=゚д゚)「ええ、あなたにお聞きしたいことがありまして」

爪゚ー゚)「なんでしょうか」

(=゚д゚)「この辺りで流石さんのお宅を探しているのですが、ご存じありませんか」

爪゚ー゚)「流石さん……ああ」

女は破顔すると、おれのうしろを指さした。

爪゚ー゚)「流石さんなら、この路地の右側の、二つ目の角を曲がればすぐですよ。
     青い屋根とクリーム色の外壁で、門柱には表札もかかっているのですぐにわかりますよ」

(=゚д゚)「ありがとうございます」

女に警戒している様子はないが、念のため考えておいた嘘をついておくことにした。

(=゚д゚)「わたしは流石くんの知人なのですが、彼がここのところ大学に顔を出していないと聞いたものですから。
     心配なので様子を見にいこうかと」

爪゚ー゚)「そういえば……」

女は顔を心なし上に向けた。

爪゚ー゚)「わたしも最近流石さんの奥さんを見てないわ」

(=゚д゚)「流石さんとは親交が深いんですか?」

顔をおれに戻し、女は首を振った。

爪゚ー゚)「いえ、道であったら軽く世間話をするくらいですよ。
     とても上品そうな初老の方です。
     息子さんが大学生だとか、旦那さんが小さな会社を経営してるだとか、それくらいのことしか聞いたことはありませんが」

おれはここで話を切り上げることにした。

(=゚д゚)「どうもありがとうございました」

礼をいいながら頭を下げると、女も軽く頭を下げてから背を向けた。

チワワが甲高く一吠えしながら立ちあがる。

女は息を弾ませながら速足で歩くチワワと共に去っていった。

おれも踵を返し、三十メートル程先の角を曲がった。

25: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:01:57.517 ID:+0kvP+2H0
女の教えてくれた通り、目的の家は角を曲がってすぐ、右手のとっつきに二階建を構えていた。

ポーチへと通じる門扉の両側には煉瓦造りの門柱が立ち、
右側には同じ素材の低い塀が続き、左側には駐車場と思しい奥行きのあるスペースが空いている。

門柱には確かに「流石」と彫られた白い大理石の表札がかかっており、下にはカメラつきのインターホンが。

そのとなりの塀に造りつけられた郵便受けには、新聞が五部はみ出ていた。

二階の出窓を見上げたが、白いレースカーテンによって閉ざされている。

なかの様子をうかがうことはできない。

さすがにインターホンを押して直撃するわけにもいくまい。


こうなれば、張り込んで男が出てくるのを待つべきかと考えていると、不意に誰かの声が聞こえた。

「どちらさまでしょうか」

声色から察するに若い男のようだ。

おれは声が門柱のインターホンから流れているのに気づき、顔を近づけた。

(=゚д゚)「あなたは、流石さんのご子息様でしょうか?」

「そうですが」

男は怒りも動揺も感じられない無機質な声音で返答した。

27: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:06:03.509 ID:+0kvP+2H0
当人以外の人間でなくて僥倖だった。

目的の男が自ら声をかけてきたのなら、これで張り込みをする必要はなくなった。


おれは問いかけた。

(=゚д゚)「わたしは茂名調査事務所の義虎というものですが、あなたにお訊ねしたいことがあるんです」

「なんでしょうか」

スーツの内ポケットから、きのう津出礼子から預かっておいた懐中時計を取り出し、カメラに向けてかざした。

(=゚д゚)「これについてです」

心あたりがあるならなにかしらの反応があるはずだ。

「……」

しばしの間があった。

モニターの前から立ち去った気配はない。

なにかを思案しているのかも知れない。

やはりこの男が津出礼子に時計を渡した当人なのか。

28: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:07:39.576 ID:+0kvP+2H0
おれはつけ加えた。

(=゚д゚)「花屋のご主人に頼まれたんです。
     あなたを捜し出してほしいと。
     ですが、わたしはあなたから代金を徴収するためにここへきたのではありません。
     どうか、話を聞いていただけないでしょうか」

「……わかりました」

一分もかからずに返答があった。

「鍵は開いているので入ってきてください。
 入ってすぐに階段があるので、そこを昇って左側にある、ドアが開け放しになった部屋にいます」

その後、ぷつりと音が途絶えた。

おれは門扉を開いて敷地内に入ると、芝生の上に埋め込まれた四角い飛び石のアプローチを通り、ポーチの前に立った。

バーハンドルのついたドアを開き、家の中へ。

靴脱ぎに立つとすぐ、フローリングの廊下の右どなりに二階へと続く階段があった。

おれは靴を脱いで家に上がり、階段の段差に足をかけた。

十二段を昇りきると、横に伸びた廊下に行き着いた。

男の言葉通り、左側にドアの開け放たれた部屋がある。

左に曲がって部屋の前に立つと、そこには水色のYシャツと濃紺のスラックスを着けた人物のうしろ姿があった。

その人物の前には、シーツがなだらかな山なみのように隆起したベッドが据えられている。

他には、ベッドのかたわらのナイトテーブルと、風とジルバを踊るカーテン以外なにもなく、わびしさと虚無感が空間を支配していた。

背を向けている人物が、おそらくあの声の主なのだろう。

おれの存在には気づいているはずだが、振り向く気配はない。

じっと眼前のベッドを見下ろしている。

30: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:10:10.876 ID:+0kvP+2H0
(   )「どうぞ、入ってきてください」

背を向けたまま、立ち尽くしているおれに声をかけてきた。

やはり家の前で聞いた男の声だった。


おれは部屋に踏み入り、男のとなりに立った。

( ´_ゝ`)

優しげな目と高い鼻。

証言とここまで一致する人間もそういないはずだ。

そしてなにより、シーツの上に並べられた十本に及ぶ紫紺のリナリアが、男が目的の人物であることを決定づけていた。

(=゚д゚)「手向けの花だったということか」

隆起したベッドを見下ろしながら、おれは呟いた。

( ´_ゝ`)「好きな花だったんです」

ベッドを見据えたまま、男が答えた。


男と対面してようやく、津出礼子が話していた言葉の意味を理解できた。

確かに男からはそれとないはかなさが感じられる。

この部屋の雰囲気も、男が醸し出す雰囲気によるところが大きいのだろう。

その理由は考えるまでもなかった。

ベッドの上に顔からつま先までシーツを被せて寝かされているのはおそらく人間だろう。

小ぶりながら膨らんだ乳房を見るに、どうやら女のようだ。

両手を握り合わせているのか腹の辺りも膨れている。

まるで一つのオブジェのように、ベッドは部屋の一角に据えつけられていた。

31: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:13:04.371 ID:+0kvP+2H0
依然ベッドを見詰めたまま、男が口を開いた。

( ´_ゝ`)「それで、話したいこととはなんなのでしょうか」

おれもベッドに視線を注いだまま、答えた。

(=゚д゚)「先ほども聞いてもらった通り、あんたが懐中時計と花を交換した店の店主から依頼を受けたんだ。
     あんたがなぜあそこまでしてリナリアを欲しがったのか、交換されてどんな扱いを受けているのか、見つけて聞き出してほしいと」

( ´_ゝ`)「あの店員さんがわざわざそんなことを」

男はぽつりといった。

相変わらず声音からは感情が読み取れなかった。

(=゚д゚)「ああ、わざわざな」

おれは呟くようにいった。

(=゚д゚)「無理もないと思うがね。
     まさか花と懐中時計を交換してくれだなんて、人生で初の体験だっただろうしな」

おれはそこで口をつぐみ、右手の筋向いに設けられた出窓に顔を向けた。

桃色に染まった空を一羽のカラスが横切る。

黄昏どきを知らせるかのように、別のカラスが鳴き声を上げる。

薄闇と、穏やかに吹きつける温風が室内を包み込む。

その中にあってなお、ベッドに乗った紫紺のリナリアのコントラストが、より存在感を増しているように思われた。

32: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:15:48.161 ID:+0kvP+2H0
男の声が聞こえたのは、それから一分ほどが経ったころだった。

( ´_ゝ`)「終わらせたかったんです」

声に気づいたおれは顔を男のほうに向けた。

(=゚д゚)「終わらせたかった?」

( ´_ゝ`)「ええ」

男はベッドを見下ろしたままうなずいた。

( ´_ゝ`)「このがらんどうな部屋をご覧の通り、ぼくたちはなにもかも失ってしまったんです」

なおも淡々とした口調ながら、男は言葉を継いだ。

( ´_ゝ`)「野心的な人間が墓穴を掘った……それだけのことですよ」

その言葉を聞き、おれはようやく気づいた。

部屋に立ち尽くし、茫然とベッドを見詰める男に感じらるもの、それが「諦念」であることを。

全てを諦めた人間の纏う雰囲気、そして眼差し。

33: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:20:31.320 ID:+0kvP+2H0
――おれは腹を決めた。


ポケットから時計を取り出し、男の眼前に差し出す。

男の視線が一瞬ベッドから時計に、次いでおれの顔に留まった。

意図を探るように、じっと目を諦視する男に向かって、おれはいった。

(=゚д゚)「提案が、あるんだが」

( ´_ゝ`)「提案?」

(=゚д゚)「こいつをもう一度彼女に届けるんだ」

( ´_ゝ`)「意味がわかりません」

男はにべもなく答えた。

(=゚д゚)「要するに、あんたが直接あの女性に理由を話すということだ」

男は今度は小さくため息をついた。

( ´_ゝ`)「この時計が偽物かどうかを疑っていらっしゃるのでしたらご安心ください。
       生前の父からこれは二百万相当の逸品だといわれて譲り受けたんです」

(=゚д゚)「それも含めて、彼女に説明してくれ」

( ´_ゝ`)「ですから――」

男の言葉を遮り、おれは続けた。

(=゚д゚)「あんたは、感謝していないのか」

( ´_ゝ`)「え?」

男が軽く目を細める。

初めて表情を変えた瞬間だった。

(=゚д゚)「あんたの要求通り、時計と花を交換してくれた女性に感謝していないのかときいているんだ」

その問いに気おくれしたのか、男は一歩あとずさった。

(;´_ゝ`)「もちろん感謝しているに決まっているじゃないですか」

34: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:23:39.937 ID:+0kvP+2H0
平静を装おうとはしているが、声が幾分震えている。

おれは一瞬の隙を感じ取ると、一気にまくしたてた。

(=゚д゚)「おれは彼女に明日あんたが直々に弁明にくると報告する。
     もしあんたが現われなかった場合は、おれはなにも知らされていないとしらを切る。絶対にな。
     そうなれば、彼女は未練を抱えたまま一生を終えることになる。
     本当に感謝してるなら、彼女に直接理由を話すのがあんたの義務だと思うんだがな」

いい終え、時計をベッドのとなりにあるナイトテーブルに置こうとしたときだった。

( ´_ゝ`)「待ってください」

男がはっきりとした声で制止した。

それからおれの横を通りすぎると廊下に消えた。

数分が経って戻ってくると、再びおれの前に立つやいなや、すっと握りこぶしを突きだしてきた。

なにかを渡すつもりらしい。

おれはそのこぶしの下にてのひらを添えた。

そこに落ちてきたのは小物入れを開けるのに使うような小さな鍵だった。

この鍵をおれに渡してどうしようというのか、意図をはかりかねていると、男が口を開いた。

( ´_ゝ`)「時計に使うネジです」

(=゚д゚)「ネジ?」

その言葉で思い出した。

おれは内ポケットから時計を取り出し裏面を見た。

右側に空いた小さな穴。

この穴に鍵の形をしたネジを差し込みゼンマイを巻くというわけか。

35: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:25:38.118 ID:+0kvP+2H0
( ´_ゝ`)「あなたが来てくれなかったら、危うく永遠に忘れたままだったかも知れません。見つかってよかった」

(=゚д゚)「なぜおれにこれを?」

( ´_ゝ`)「正直なところ、あなたの提案をきいて心が揺れたのは確かです。でも……」

そういったきり、男はうなだれてしまった。

おれは急かすことなく、そのまま答えを待った。

( ´_ゝ`)「だめなんです」

ほどなくして、うなだれたまま力なく答えた。

それきり黙り込むと、部屋は静寂に包まれた。

( ´_ゝ`)「だから……」

絞り出すような声でいうと、顔を上げておれの目を見詰め返してきた。

( ´_ゝ`)「いまは彼女に渡しておいてください。
       いつになるかはわかりませんが、必ず会いにいきます。
       そのときにわけを話そうと思います」

男はそこでいったん間を置いてから先を継いだ。

( ´_ゝ`)「いまのぼくには信じて欲しいとしかいえませんが、約束は果たします」

(=゚д゚)「……わかった」

おれはそれだけ答えると、男の背後のベッドを一瞥してから時計とネジを内ポケットにしまった。

そして廊下に出ると、そこでいったん立ち止り、部屋の方を振り返った。

男はおれに背を向けた状態で立ち尽くしていた。

悠然と風を受けながら、静寂に身を任せ呆然と屹立している。


おれは無言のまま階段をおりて玄関のドアを開けた。

空はいつの間にか薄い墨汁を流したかのような灰色に覆われており、太陽の姿はなく、蝉たちの声も鈴虫の斉唱に取って代わっている。

早いものだ。

心中で独りごちながら、おれは門扉をくぐった。


そのままきた道を戻るため、手前の角を曲がったときだった。

こちらに向かって二人組の制服警官が歩いてくるのが見えた。

背後にはパトカー1台と、ルーフの前部に横長の赤色灯をつけた真っ白な車体と黒いバンパーのE25キャラバンが停まっている。

徐々に距離が縮まり、そのうちの一人と目があったが、おれは構わずに警官の横を通りすぎた。

36: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:27:31.886 ID:+0kvP+2H0
 ※


事務所に戻ったおれは部屋の明かりをつけると、上着を玄関先のポールハンガーにかけ、
応接セットの近くにある扇風機のスイッチを入れた。

いぜん吹きつける風は生ぬるいが、ないよりはましだろう。


一人用の白い冷蔵庫から500ml缶のペプシコーラを取り出し、ソファに座った。

プルタブを開け、口に運ぶ。

いままで炎天下を歩き通しだったぶんその味は格別だった。

そして染み渡るような清涼感。

一息で半分近くを流し込んでしまった。

ようやく人心地つき、ゆったりと炭酸の刺激を堪能しながら、おれは広尾での事象を思い返した。


男がいまは無理だといった理由は大方察しがつく。

あの隆起したベッド。

そしてすれ違った二人組の警官。

おれが訪れる前に男は成すべきことを成していたということか。

約束を果たすまでにどれだけの時間がかかるのか、それはおれにもわからない。

数年か、それとも数十年か。

37: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:29:59.562 ID:+0kvP+2H0
腕時計を見た。

時刻は七時十分。

残りのコーラを一息にあけると向かいのごみ箱に放り投げ、ソファから立ちあがった。


再び冷蔵庫の所へ行き、二本目のコーラを取りだす。

きょうの仕事が終わったら飲食店に向かうつもりだったが、気が変わってしまった。

部屋にとんぼがえりし、一人でひっそりといつものように炭酸飲料を飲みたくなった。


缶のプルタブを開けかけて、思い出した。

その前に男と接触したことを津出礼子に報告しなければならない。

まだ仕事は終わっていないのだ。


おれはデスクの上の固定電話から受話器を取り、彼女の携帯の番号を押した。

「はい、津出です」

三回目の呼び出し音で返事があった。

彼女の声だった。

39: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:36:18.383 ID:+0kvP+2H0
(=゚д゚)】「こんばんは津出さん。義虎です」

「あ、義虎さん。なにかわかったんですか?」

おれは単刀直入に報告した。

(=゚д゚)】「ええ、あなたの探していた男性が見つかりました」

「え!?」

彼女が声を上げた。

声音からも驚きようがうかがえる。

「ほ、本当ですか?」

震えた声で彼女が訊ねる。

(=゚д゚)】「本当です。
     詳しいことは事務所で直接話したいのですが、ご都合はつきますか」

「ええ、もちろ……」

そこで彼女の声が途切れた。

誰かに鉢合わせたため携帯を顔から離しているのか。

おれは訝りながら耳をすませた。

すると突然、彼女の叫び声がおれの耳をつんざいた。

「ごめんなさい義虎さん!またあとでかけなおします!」

いい終わると同時に電話が切れた。

声音から察するにずいぶんと取り乱しているようだ。


どういうことだ……。


それから数分考えた末、おれは受話器を置いてから席を立ち、
扇風機の電源と室内の明かりを落とすと、上着を羽織って事務所を出た。

40: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:38:43.500 ID:+0kvP+2H0
 ※


津出礼子の勤め先は、渋谷の北のはずれに並ぶ寂れた商店街にあった。


両どなりをクリーニング屋と和菓子屋に挟まれており、一階が店舗で二階が住居の下駄履き家屋だった。

白いオーニングの降りた店先には、数本の花が入った大きな柳織りのバスケットが三つ置かれている。

店内に目を向けると、そこにはピンクのエプロンを着けた従業員と思しい人間がおれに背を向けて作業をしていた。

軽くウェーブのかかった黒髪をうなじの辺りまで伸ばしている。

髪型だけでは男女の区別はつかなかったが、小柄で細身の体躯から察するに女のようだ。


(=゚д゚)「すみません」

額に滲んだ汗をハンカチで拭いながら、おれはその背中に声をかけた。

从'ー'从

振り返った店員の顔を見て、おれは予想があたったことを確信した。

大学で見た学生たちよりもまだどこかあどけない印象を受ける。

左の耳たぶには黒いピアスがついているが、まだ背伸びをしたい年頃の子供といったところか。


从'ー'从「あっ」

おれの存在に気づいた店員は一瞬声を上げると、次いで愛想のいい笑顔を浮かべながら頭を下げた。

从^ー^从「いらっしゃいませ」

41: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:40:46.494 ID:+0kvP+2H0
左胸に「良子」と書かれた名札をつけている。

別の人間がいるということは、きょうは休暇を取っているのか。

すると彼女が電話に出たのは店ではなく別の場所ということになる。


从'ー'从「あの……」

店員が恐る恐るといった様子で声をかけてきた。

つかのま思案していたおれを見て怪訝に思ったようだ。

おれはとりあえずその場を取り繕うことにした。

(=゚д゚)「いや、おかしいなと思いまして」

从'ー'从「おかしい? なにがですか」

店員は首を傾げた。

(=゚д゚)「あの店員さん、髪をカールしていて感じのいい若い女性がいたと思うんですけど、きょうはお店に出ていないんですね」

从'ー'从「姉なら配達に出てますよ」

店員が即答した。

おれの言葉ですぐに思いあたったようだ。

(=゚д゚)「そうだったんですか。
     以前ここで接客してもらったときに丁寧な対応をしてもらえたのが嬉しかったのでまた寄ってみたんですよ」

从'ー'从「ここの従業員は姉と祖母とわたしだけなので、お客さんのいってることを聞いてすぐわかりました。
     お姉ちゃん結構人気あるし」

(=゚д゚)「なるほど」

当人がいないのなら、もはやここに用はない。

とはいえ冷やかすだけでは怪しまれるだろう。

おれはその辺のバスケットに入っている真っ赤な花を指さし津出良子に告げた。

(=゚д゚)「これを三本ください」

从^ー^从「ダリアですね。ありがとうございます」

カウンターで代金を支払い、薄茶色の包装紙に包まれた花を受けとった。

42: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:42:39.105 ID:+0kvP+2H0
(=゚д゚)「それでは」

花を持って辞去しようとしたそのとき、そばの壁に設置されている電話が鳴った。

从'ー'从】「はい、津出生花店です」

受話器を取った良子が明るい声で店名を告げる。

从;'ー'从】「えっ」

小さく声を上げると同時に、彼女の表情が一瞬にして曇った。

从;'ー'从】「ええ、そうですけど……」

先ほどとは打って変わり、受話器を両手で握りしめている。

はい、はい、と断続的に返事をしていたかと思うと、今度は唐突に「え!」と瞠目しながら叫び声を上げた。

从;'ー'从】「わかりました。すぐに向かいます」

いい終えると同時に素早く受話器を戻し、そのままの動作でエプロンを脱ぎカウンターの上に置いた。

彼女は慌てた様子で店の奥の暗がりに駆け込むと大声で誰かと会話を始めた。

話題が電話の内容についてであることは容易に想像できる。

相手の声も女のようだが、良子のものよりもしわがれている。

この声の主が先ほど良子が教えてくれた祖母なのだろう。

声の震えから、良子どうよう狼狽している様子がうかがえる。

ほどなくして良子が暗がりから売り場に戻ってきた。

表情には相変わらず焦燥や困惑の色がありありと浮かんでいる。

43: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:44:19.204 ID:+0kvP+2H0
(=゚д゚)「なにかあったんですか」

訊ねると、良子はいまにも泣きだしそうな顔をしながら訥々と答えた。

从;'ー'从「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、歩道橋から落ちて病院に、凄く悪い状態だって」

その言葉を聞いて先ほどの記憶がよみがえった。

津出礼子と会話を交わしたときの記憶が。

彼女が取り乱していた理由となにか関係があるのかも知れない。


从;'ー'从「ごめんなさい! 行かなきゃ」

(=゚д゚)「待ってください」

店から駆けだそうとする良子をおれは呼び止めた。

(=゚д゚)「病院へはわたしが車でお送りします」

从;'ー'从「え、でも」

(=゚д゚)「お姉さんが重篤であることはあなたの様子を見ればわかります。
     お願いです。わたしを信じてください。
     わたしもお姉さんのことで確かめたいことがあるんです。
     申し遅れました、わたしはこういうものです」

おれは上着の内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を彼女に手渡した。

彼女は姉の礼子がおれに仕事を依頼していることを知らないようだが、遅かれ早かれ発覚するだろう。

いま身分を明かしたところで支障はないはずだ。

44: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:46:10.615 ID:+0kvP+2H0
名刺を受け取った良子は一瞬だけ紙面を眺めてから考えるそぶりをしたが、返事は早かった。

从;'ー'从「わかりました。お願いします義虎さん」


店を出たおれたちは近くの野外駐車場に停めてある濃紺のパサートワゴンに乗り込んだ。

良子の話によると礼子が搬送された病院は恵比寿二丁目にあるとのことだった。


道は思いのほか空いていた。

通りすぎるビルや店舗の灯りが光線となって流れて行く。

とき折となりに座る良子の様子を一瞥した。

暗い表情でうつむく彼女にかけてやる言葉が思いつかなった。

外で響いているクラクションや自動車の走行音とは裏腹に、車内は沈黙に包まれている。

45: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:48:49.249 ID:+0kvP+2H0
ほどなくして、車は病院の正面玄関に到着した。

(=゚д゚)「先に行ってください。わたしは車を停めてきます」

良子はうなずくと同時に車を降りると、院内に駆け込んだ。

その姿を見届けてから、おれは車を近くの駐車スペースに停めた。

院内に入ってすぐ、落ち着かない様子でエレベーターを待っている良子と合流した。

(=゚д゚)「津出さん」

振り返った良子の目には涙が溜まっていた。

上の階数表示を見上げると、二基とも最上階へ昇っているため、なかなか降りてこないようだ。

(=゚д゚)「階段で行きましょう」

おれはすぐ脇にある階段室の方を指差した。

(=゚д゚)「お姉さんはなん階に?」

階段を駆け上がりながらおれは訊ねた。

从;'ー'从「三階の第六手術室です」

廊下に出たおれたちはそのままの勢いでその手術室を目指した。

途中、すれ違った看護婦がおれたちに注意の言葉をかけたようだが、無視した。

ロビーで場所を教えられたらしい彼女のあとを追うと、目的の手術室の前にはすぐにたどり着いた。

(=゚д゚)「とりあえず座りましょう」

荒く息をついている良子を傍らの長椅子に座らせた。

良子は腰を下ろすと、うつむいたまま祈るように両手を握り合わせた。


室内と廊下とを隔てるステンレス製の扉の上には「手術中」というランプが灯っている。

そのあかりを見上げていたとき、ふとなにかの音が聞こえた。

となりに視線を移すと、そこには背中を丸めたまましゃくり上げる良子の姿があった。

しゃくり上げるたびに背中が震え、とき折鼻をすする音も混じる。

それ以外に物音はない。

少女の泣き声以外にはなにも耳に入らない。

46: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:51:23.069 ID:+0kvP+2H0
 ※


車を事務所に向けて走らせながら考えていた。

それはやはり、津出礼子に降りかかった突然の悲劇のことに他ならない。


手術には三時間余りを要した。

医者からの説明によると、彼女は渋谷駅西口の近くにある歩道橋から転落し、後頭部と背中をアスファルトに強打したのだという。

その際、礼子は小さな男の子を抱きかかえていた。

目撃者の証言では、歩道橋の欄干から身を乗り出し、
頭から車道に転落する寸前だった男の子を目にした礼子が慌てて抱きとめようとした際に一緒に転落してしまったということだった。

一緒に転落した男の子は下敷きになった礼子のおかげでかすり傷一つ負うことなく保護された。


あの場所の歩道橋は地面との高低差が大きい。

手術の時間から鑑みても、礼子がどれだけの重症を負ったのかは想像に難くなかった。


長髪がクッションになったため、多少の衝撃は緩和されたものの、頭蓋骨の後頭部には大きな亀裂が生じており、脳挫傷と外傷性脳内出血を起こしていた。

おまけに脊椎まで損傷している。

いまも昏睡状態から覚めぬまま、集中治療室で予断を許さない状態が続いている。


幸いだったのは、下の車道の信号が赤だったため、車に轢かれるという二次被害は避けられてことである。

もしも車が往来しているときに転落していたら、二人の命はなかっただろう。

47: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:53:17.747 ID:+0kvP+2H0
医者の説明を聞き終えた良子は、三秒ほど硬直したかと思うと、瞬時に滂沱の涙を流して哭声を上げた。

人目もはばからずにただただ泣き続けていた彼女の姿がおれの脳裡に焼きついて離れない。

その後、良子は悄然とした様子で姉のそばについていてやりたい旨を主張した。

おれもそのほうがいいと彼女の意思を尊重し一人で病院をあとにした。


津出礼子は脳にも脊椎にも大きな損傷を負っている。

意識を取り戻したとしても、いままで通りの生活を送るのは難しいかも知れない。

医者は礼子の体が不随になる可能性も示唆した。

それは半身か、それとも全身か、これからの精密検査によって明確になるという。

しかし最悪の場合、そのまま昏睡から覚めないという事態もありうる。

植物状態になれば、いつ訪れるかわからない目覚めを待ちながら、生死を親族の意思に委ねなければならない。

それは家族にとってどれだけの苦痛をもたらすのか。

それとも絶対に目覚めるという希望を抱きながら彼女を看取るのか。

どちらにしろ、おれにできることはなにもなかった。

48: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:55:16.360 ID:+0kvP+2H0
 ※


翌日、十一時頃に起床したおれはのどを潤すために冷蔵庫からサイダーの500ml缶を取り出した所だった。

昨夜は帰宅してすぐに買い置きしてあったカップ焼きそばを食べてからシャワーを浴び、床についた。

早めに就寝したつもりだったが、思いのほか疲れていたようだ。

おかげでこんな時間に目覚めてしまった。


あくびを噛み殺しながら一つ目の窓のブラインドを上げると、真夏の陽光がおれの目を突き刺し、思わず顔を背けた。

残りのブラインドも上げ、プルタブをあけようとしたとき、デスクの上に乗っている三本のダリアが目に留まった。

花瓶が見あたらなかったので、手ごろな矩形のグラスに水を入れて活けてある。

真っ赤なダリアを活けるには心もとないが、捨てるわけにもいかないだろう。

陽光を浴びるその姿はきのうよりも一段と赤く見える。

あらためてプルタブをあけようとして、急に気が変わった。

おれは缶を冷蔵庫に戻すと、自室で袖をまくったYシャツと黒のスラックスに着替え、事務所を出て一階へ降りた。

49: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:57:43.309 ID:+0kvP+2H0
階段を降りた突きあたりのロビーのとっつきに喫茶店兼バーがある。

マホガニー材に横二列に四つの正方形が施されたドアの前には、黒のフレームに金字で「OPEN」と記された矩形のプレートがかかっている。

真鍮の丸ノブをひねりドアを引くと、内側に設置されている小さなベルが音を立てた。

入って左手にはカウンターがあり、その前には等間隔に固定されたスツールが六脚並んでいる。

右手にはカウンター席から四メートルほど離れた位置に四人がけのボックス席が二つ備えられている。

天井の所々には、白い三度笠を思わせるランプシェードが吊るされており、暖温色の灯りが店内を照らしている。

カウンターの中にいた店主の眉村はおれの存在に気づくとこちらを向いたが、関心を持ったのはその一瞬だけで、すぐにグラスを磨く作業に戻った。

おれは眉村の前に位置するまんなかのスツールに腰かけた。

磨いたグラスを微に入り細に入り眺めながら、眉村がぽつりといった。

(´・ω・`)「お客様、モーニングの時間なら、一時間前に終了しておりますが」

(=゚д゚)「そんなこと知ってる。曲がりなりにも常連だぞ」

(´・ω・`)「自称、だろ。君を常連と認めたつもりはないんだけどね」

50: 名無しさん 2019/09/06(金) 00:59:20.751 ID:+0kvP+2H0
眉村とはおれがここで商売を始めて以来のつき合いになる。

このビルに事務所を構える前から店を切り盛りしており、高校生の一人娘がいることからおそらく年齢は四十代の半ばから五十代といったところか。

その娘も学校が休みの日には店の手伝いとして接客にあたっている。

おれとも顔なじみだが、一目で父親ではなく母親に似たのであろう愛嬌のある顔立ちが特徴的だった。

名前は恵梨香といい、前に一度、親父さんに似なくて本当によかったなと本心からいったことがある。

「うんほんとに」とあっさり肯定する恵梨香と、近くにいた眉村が平静を装ってコーヒーを淹れいている情景がなんとも滑稽だったのをいまでも覚えている。

(´・ω・`)「まあいいや。で、注文は? 虎ちゃん」

(=゚д゚)「あるもんでなにか作ってくれ。モーニングであまったパンかなにかあるだろ」

(´・ω・`)「ああ、それならちょうど食パンがあるよ。はいどうぞ」

眉村はそういうと食パンを乗せた白い丸皿をおれの前に置いた。

おれはその食パンを数秒眺めてから、眉村の方を向いた。

(=゚д゚)「すまん。おれが悪かった。空腹のせいでちょっと気が立ってたんだ。
    頼むよ、なにか作ってもらえないかな」

懇願すると、眉村は小さくため息をつきながらカウンターの上の食パンを片づけた。

(´・ω・`)「かしこまりました」

51: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:02:11.469 ID:+0kvP+2H0
言葉は慇懃だが気のない返事をすると、カウンターの内側に設けられた台所で調理を始めた。

二つのコンロに火をつけてから、そこに黒い鉄のフライパンを二枚づつ置く。

次にカウンターの下にある小さな冷蔵庫からバターの箱とベーコン四枚と白い正方形のタッパーを取り出す。

食材をいったん調理台の上に置くと、フライパンの一つにバターをひと欠片と、もうひとつにはサラダ油を少量たらし、全面にいき渡るように滑らせる。

タッパーの中から薄い黄土色の液体に濡れそぼった食パンを二枚トングでつまみ上げ、フライパンの中へ。

続いてもう片方のフライパンの中にベーコンを入れると、ものを焼く際に流れるあの独特の音が二重奏となって店内に響き渡った。

それと同時に甘い香りが漂い始め、瞬時にして鼻孔を満たした。

ある程度両面に焦げ目がついたところでコンロの火を二つとも弱め、それと同時に音も小さくなった。

それから数分してコンロの火を二つとも止めた。

フライパンの中のパンとベーコンを先ほど食パンが乗っていた白い丸皿に盛りつけた。

そして「お待たせいたしました」といいながら料理の乗った皿にナイフとフォークを添えておれの前に置いた。

52: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:04:36.552 ID:+0kvP+2H0
(´・ω・`)「飲み物はあれでいいんだろ」

そういうと、冷蔵庫から黒い取っ手と蓋のついた円筒形のポットを出した。

透明なポットにはオレンジジュースが入っており、それをアイスコーヒー用のグラスに注ぐと皿のとなりに並べた。

(=゚д゚)「ありがとう。いただくよ」

申し訳程度に両手を合わせてから、まずはオレンジジュースに口をつけた。

生のオレンジを絞っているため濃厚で酸味が強く、口やのどに絡みついてくる。

パンはシロップの類をかけなくても甘みを感じられるほど味がしみ込んでおり、食感はカステラを思わせるほどふんわりとした仕上がりだった。

塩気がきいたベーコンもかりっと歯応えを楽しめる焼き上がりだ。


ゆっくりと十分ほどで平らげた。

(=゚д゚)「ごちそうさん。うまかったよ」

(´・ω・`)「そいつは良かった。
      ま、こっちとしては作るの楽だから助かるんだけどね。
      虎ちゃん、大抵これしか食べないから」

(=゚д゚)「気が向いたら別のも頼んでみるよ」

いい残して席を立つと、隅にあるマガジンラックから新聞を一紙抜き出し、再び席についた。

一ページ目から順繰りにめくっていると、社会欄に載っているひとつの記事に目が留まった。

留まったというよりも、釘づけになっていた。


【母親の首を絞め殺害 大学生の息子を逮捕】

53: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:06:58.842 ID:+0kvP+2H0
(´・ω・`)「どうしたのさ虎ちゃん。
      それスポーツ新聞じゃないから虎ちゃんが喜ぶような記事は載ってないと思うけど」

(=゚д゚)「うるせえ」

小さく吐き捨ててから文面に目を通した。

間違いない。

住所も名前もきのう訪れた家の所在地と人物の苗字に一致している。

男は容疑を認めており、朝方に母親を殺害し夕方に自ら110番通報をしたと書かれていた。

殺害の動機については、什器類の販売会社を経営していた父親が二度目の不渡りを出し、それによる債権者からの取り立てによって資産を失い蒸発。

以前からの経営難で憔悴しきっていた母親が不憫でならなかったため、犯行に及んだとのことだった。

部屋に据えられていたベッドについての記述も、おれがきのう見たものと同じだ。

(´・ω・`)「もしかして」

不意に眉村が声をかけてきた。

(´・ω・`)「虎ちゃんの仕事となにか関係してることなのかい」

一瞬、眉村の顔を見てから紙面に目を戻し、呟くように答えた。

(=゚д゚)「いや、なんでもない」

おれは新聞を畳んでカウンターに置くと、グラスを取ってオレンジジュースを飲んだ。

54: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:09:56.858 ID:+0kvP+2H0
 ※


津出礼子が収容されている集中治療室は、昨夜手術を受けた階と同じフロアにあった。

引き戸をノックすると「はい」という声が答えた。

この声は妹の良子のものだろう。

事前に連絡をしてあるので彼女がいることは知っている。

そっと開いて中に入ると、横向きに据えられたベッドの前に置かれたパイプ椅子に良子が座っていた。

良子が振り返る。

互いに会釈を交わすと、おれは良子のとなりに立った。

ベッドの周りには、人工呼吸器、心電計、点滴台などの器具が設置されている。

いまは心電図の電子音だけが空間を支配していた。

ベッドの上の礼子は毛布をかけられており、頭全体は包帯と白いネットに覆われ、首にはコルセットが巻かれていた。

呼吸をするたびに、口に着けられた酸素マスクが白く曇る。

从'ー'从「すみませんでした」

開口一番、良子が忍び声で謝罪した。

(=゚д゚)「なにがです?」

从'ー'从「まさかお姉ちゃんがわたしたちに内緒で調査を雇っていたなんて。
     その上こんなことになってご迷惑を」

(=゚д゚)「気にすることはありませんよ。これは事故なんです。だれにも落ち度はありませんよ。
     それはそうと、お姉さんがなにかの都合で調査機関を利用するような心あたりはありますか?」

从'ー'从「いいえ、全く」

良子はかぶりを振った。

つまり、あの男との出来事は礼子しか知らないということになる。

55: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:11:59.931 ID:+0kvP+2H0
おれは上着の内ポケットから懐中時計を取り出し、良子に差し出した。

(=゚д゚)「この懐中時計に見覚えはありますか?」

両手で受け取った良子は、時計の蓋に施された浮彫の人魚をじっと眺めながら答えた。

从'ー'从「素敵なデザイン。でも、見覚えはありません」

おれの方を見上げると、再び首を振った。

从'ー'从「この時計がお姉ちゃんとなにか関係があるんですか?」

(=゚д゚)「ええ、まあ――あ、ちょっと待ってください」

時計を返そうとする良子を制止し、今度は鍵の形をしたネジを取り出した。

それも彼女に渡し、おれはいった。

(=゚д゚)「そのネジを裏面に空いている穴にさし込んで回してみてください」

从'ー'从「なにか仕かけがあるんですか?」

(=゚д゚)「蓋を開いて見ればわかります」

いわれた通りに蓋を開けた良子が「あっ」と小さく声を上げた。

从'ー'从「そういうことだったんですね」

(=゚д゚)「わたしもまだ聴いたことがないんです。三人で聴いてみましょう」

良子はうなずくと、ネジを穴にさし込み、ゆっくりと三回巻いた

巻き終えてまもなく、旋律が流れ始めた。

その曲はドビュッシーの「夢」だった。

一音一音を小さく刻みながら、室内に響き渡る。

オルゴール特有の透明な音色が奏でる旋律は淡々としていながらもはかなく、室内の雰囲気と完全に調和していた。

おれたちはじっとその音色に聴き入っていた。

57: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:13:07.854 ID:+0kvP+2H0
やがて、旋律を奏でるテンポに乱れが生じ、途切れ途切れで緩慢な音に変わり始めた。

そのままゆっくりと、音階板を弾き終えたオルゴールは静止した。

室内が再び心電図の電子音に支配される。


おれは曲の余韻に浸りながら、口を開いた。

(=゚д゚)「これはあなたが持っていてください」

良子は言問いたげな表情でおれを見た。

(=゚д゚)「その時計はあなたのお姉さんが店の花と引き換えにある男性と交換したものなんです。
     お姉さんはその男性を見つけ出してなぜ花と交換したがったのか、
     交換された花はどういう扱いをされているのかを突き止めてほしいとわたしに依頼し、
     わたしはその男性と接触することができた。
     そしてその報告をしようとお店を訪ねたのですが、こんなことに」

一度間を置き、息をついてから先を続けた。

(=゚д゚)「男性と接触したときに約束したんです。
     再び店へ会いに行き、直接理由を説明すると。
     だから、そのときまで、近親者であるあなたに預かっておいてほしいんです。
     お姉さんがこの状態のいま、それがベストな方法だと、わたしは思うんです」

从'ー'从「そんなことが」

話を聞き終えた良子は呟くと、ベッドに眠る礼子へ視線を向けた。

そしてうなずきながら、はっきりと答えた。

从'ー'从「わかりました」

(=゚д゚)「調査料については状況が落ち着いてからで結構です。
     いつでも構いませんので、きのうお渡しした名刺の番号に連絡をください」

そう告げてからおれは礼子に視線を向けた。

58: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:15:15.837 ID:+0kvP+2H0
とても穏やかな顔をしている。

場所が場所でなければ、優雅に眠っている乙女という趣を感じることができただろう。

意識はただ暗闇を漂っているのか。

それともなにか夢を見ているのか。

おれたちには知るよしもない。


良子の手にある懐中時計はいまも刻一刻とときを刻んでいる。

再び彼女のときが動き出すのはいつになるのか。

あの男が全てを清算し、彼女の前に現れるのはいつになるのか。

目覚めた礼子が男と再会するのはいつになるのか。


そんな思いを巡らせていると、かたわらでカチカチという音が聞こえた。

続いて先ほどと同じ旋律が流れ始める。

良子がもう一度ゼンマイを巻いたようだ。

もし彼女が夢を見ているのなら、その夢が心地のよいものであることを、そしてこの旋律が耳に届くことを願おう。

59: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:20:17.323 ID:+0kvP+2H0
おれは良子に別れを告げると、旋律に包まれた病室をあとにした。


廊下に出ると、目の前に女が立っていた。

ストレートの長髪を腰の辺りまで伸ばし、グレーのワンピースを着ている。

その横には、女の手を握る小さな男の子の姿もあった。

青いオーバーオールを着けたその男の子は、黒々とした髪を頭全体にたらしているが、夏のせいか湿って張りついた形になっている。

年齢は三歳か四歳くらいだろう。

右手に実物に近似した白いうさぎのぬいぐるみを抱えている。

川д川「あの、津出礼子さんの病室はこちらでしょうか」

女がおれに声をかけてきた。

その瞬間、おれは気づいた。

(=゚д゚)「ええ、そうですが」

川д川「この度は誠に申し訳ございませんでした」

答えると、女は声を震わせながら、深々と頭を下げた。

川д川「わたしが目を離したばかりに、多大なるご迷惑を……」

頭は下げたままだが、声の振幅は大きくなっていた。

(=゚д゚)「顔を上げてください。
    中に礼子さんと妹の良子さんがいますので」

川д川「すみません。本当にすみません」

鼻をすすりながら頭を上げた女は真っ赤に充血した目をこすると、手をつないでいる男の子に声をかけた。

川д川「ちゃんとお姉ちゃんにお礼いうのよ」

( ><)「うん、おねえちゃんにこれ、あげるの」

男の子はそういうと、右手に抱えていたぬいぐるみを掲げて見せた。

60: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:22:07.941 ID:+0kvP+2H0
(=゚д゚)「きっと喜ぶんじゃないか」

月並みな言葉しか出てこなかったが、他に言葉が思い浮かばなかった。

そのまま会釈して立ち去ろうとしたときだった。

( ><)「ばいばい」

男の子が笑顔を浮かべながらおれに手を振ってきた。

それは無邪気であどけない振る舞いだった。

そこには輝きがあった。

これが彼女が守ったものか。

おれは小さく手を掲げてから、廊下を歩き出した。


彼女はいっていた。

生きているからこそ命があり、命があるからこそ、いつかは生涯を終えなければならないときが来る。

だからこそ目一杯花開き、そのときがくるまで精一杯生きるのだと。

彼女にとっていまがそのときなのか。

いや、まだそのときではないはずだ。

おれにはそう思えてならなかった。


小さな未来を守った者と、これから未来を築こうとする者。

どちらに光明が射すのか。

やはり両者に射してほしいと考えるのは、わがままなのだろうか。


一階へはエレベーターは使わず、階段で降りることにした。

61: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:24:02.289 ID:+0kvP+2H0
 ※


あれから一週間後の昼下がり、事務所に来訪者があった。

从'ー'从「こんにちは」

よそよそしい態度で頭を下げた津出良子を室内に招き、応接セットのソファに座らせようとしたときだった。

良子が「あっ」と先日と同じように声を上げた。

視線を追うと、良子の目がデスクの上にある矩形のグラスに活けられた三本のダリアに留まっていた。

購入してから一週間が経ったためか、茎がうつむき気味で、花びらも心なししおれた状態でわびしく陽光に照らされている。

(=゚д゚)「あなたのお店で購入したお花ですよ。
     すみません。普段花を飾るようなことがないので不格好ですが」

羞恥心を感じながら苦笑すると、良子もぎこちなくはにかんだ。

(=゚д゚)「どうぞ」

用意したアイスコーヒーを良子の前に置き、おれも向かいのソファについた。

(=゚д゚)「どうもご無沙汰しています良子さん。お姉さんの容体はいかがですか」

从'ー'从「相変わらずの状態です……」

良子の声音に愁いが帯びた。

62: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:25:27.830 ID:+0kvP+2H0
(=゚д゚)「そうでしたか」

気休めの言葉が浮かばなかったため、おれは話題を変えることにした。

(=゚д゚)「良子さん、本日はなにか別のご用件でお越しくださったのでしょうか」

从'ー'从「あ、そうでした。きょうは義虎さんにご相談があってきたんです」

(=゚д゚)「相談、ですか」

从'ー'从「はい、実は……」

なにかうしろめたいことでもあるのか、声がか細くなり伏し目がちになった。

(=゚д゚)「なにか、深刻なことなんですか」

おれはできるだけ穏やかな口調になるよう努めて先を促した。

从'ー'从「先日、お預かりした、あの懐中時計なんですが、あれを、骨董品屋さんに、鑑定してもらったんです」

良子は顔を伏せた状態でぽつりぽつりと呟くように打ち明けた。

63: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:27:14.896 ID:+0kvP+2H0
野暮なことを。

その言葉を飲み込みながら、おれは軽く相槌を打って続きを待った。

从'ー'从「そうしたら、あの時計にはなんの価値もないということがわかったんです
     製造されたのは五十年前くらいで、ああいうデザインや作りの物も大量に出回っているらしくて」

おれは大して驚きを感じなかった。

流石はあの時計には二百万ほどの価値があるといっていたが、どこかの骨董品屋は無価値と鑑定したらしい。

それだけのことだ。

从'ー'从「本当はお姉ちゃんが預かってる物なのに、勝手にこんなことをしてしまって申し訳ないとは思ってるんです。
     でも、気になってしまって……」

うつむきながら声を絞り出す良子におれは言葉をかけた。

津出礼子がここでおれに熱弁をふるった光景を思い出したからである。

(=゚д゚)「良子さん。お姉さんがわたしに話してくれたことがあるんです。
     わたしは普段から貴金属よりも美しいものに囲まれて生きていると。
     妹であるあなたなら、その言葉の意味をより深く理解できるのではないですか」

はっと顔を上げた良子が瞠目しておれの目を見詰め返してきた。

そして唇を固く結びながらゆっくりうなずくと、かすれたような声で「はい」と続けた。

おれはうなずき返してから立ちあがった。

64: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:28:16.436 ID:+0kvP+2H0
(=゚д゚)「さて、そろそろ花に水をやる時間だ」

流し台へ向かい、水切りかごに置かれた透明なコップに水道水を満たした。

デスクへ移動し、ダリアの活けられたグラスに水を注ごうとしたときだった。

从'ー'从「待ってください!」

突然良子が大声を上げた。

驚いてコップの水をこぼしそうになったがなんとか体制を整え、良子の方を振り向いた。

(=゚д゚)「な、なにか」

从'ー'从「そのダリアは一日になん回お水をあげてるんですか」

いつの間にか立ちあがっていた良子に質問された。

(=゚д゚)「朝昼晩の三回です」

恐る恐る答えると同時に、良子の顔がダリアのように赤くなった。

从#'ー'从「そんなにあげたらしおれちゃうに決まってるじゃないですか!
     しかも夏は湿度が高いからあげすぎには一段と注意しなきゃいけないのに」

(;=゚д゚)「すみません。これからは気をつけます……」

从#'ー'从「それと、花瓶もちゃんと買って活けてあげてください。いいですね!」

(;=゚д゚)「わかりました」

勢いに圧倒されたまま、おれは従順なイエスマンに成り下がった。

これが姉妹の血か……。

65: 名無しさん 2019/09/06(金) 01:29:58.752 ID:+0kvP+2H0
从'ー'从「でも」

良子が呟いた。

从'ー'从「ありがとうございました。
     いけないとはわかってても、
     時計を勝手に鑑定に出しちゃったことに罪悪感があったから、
     事情をよく知ってる義虎さんにお姉ちゃんが起きたときに知らせるべきかどうか相談したかったんです」

(=゚д゚)「お姉さんに打ち明けるか打ち明けないかはあなたの自由ですが、どちらに転んでもお姉さんが傷つくことはないとわたしは思いますよ」

从^ー^从「はい」

良子は明るい調子でうなずいた。

从'ー'从「きょうは相談に乗っていただきありがとうございました。
     調査料のお支払いもまだなので、また連絡しますね」

(=゚д゚)「お待ちしています」

事務所を辞去する良子を見送ってから、デスクの方を振り返った。

陽光に照らされるダリアを眺めながら、おれはこれからの予定について考えた。

花瓶を買いに行かなくてはならない。