1: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:35:40.38 ID:sp1eyNH5O
「西片、待った?」

振り返るとそこには高木さんが佇んでいて。
空から照りつける太陽の光を高木さんが着ている白いワンピースが反射して、眩しくて思わず目を細めてしまう。

「ううん……今来たとこ」

すんなりと受け答え出来るようになるためにはそれなりに場数を踏まなくてはならなくて、つまり夏休みが始まってから高木さんと毎日会っているのだけど、それでも見惚れてしまう自分が恥ずかしくて変な汗をかいた。

「今日も暑いねぇ」
「そうだね」

きっと、高木さんよりもずっと俺は熱があるに違いない。だって、頬が焼けそうだから。赤くなっているであろう顔面を見られないように先に歩き始める。早歩きにならないように気をつけながら、時折後ろを確認しつつ。

「西片、日に焼けたね」
「そうかな」

皮が剥けるほどではないけれど、毎日待ち合わせで先に来ていたから、それなりに日焼けしているかもしれない。すると、いきなり。

「日焼け、痛い?」
「……痛くないよ」

しっとりして柔らかい高木さんの手が腕を掴んできてそのまま離さずに隣を歩いている。
手を繋いだり腕を組んでいるわけでもないのに、触れられているだけで、ドキドキした。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1627043740

引用元: ・高木さん「もしもわたしが転校したらどうする?」西片「えっ……?」

2: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:39:56.26 ID:sp1eyNH5O
「図書館の中、涼しいね」
「そうだね」

結局目的地である図書館に着くまで高木さんは離してくれなくて、涼しい館内に入って席に着いてからようやく腕を解放してくれた。

「西片はどんな本を読むの?」
「漫画とか……」
「図書館に漫画ってあるの?」
「あるよ、ほら」

書架を2人で巡って偉人シリーズの漫画を本棚から取り出して見せると、高木さんは興味津々な様子でパラパラとめくって感心した。

「なるほど。西片らしいね」
「高木さんはなに読むの?」
「わたしも同じシリーズにする」

モーツァルトの伝記漫画を手に取って、高木さんはご満悦。オレまで嬉しくなる笑顔だ。
偉人シリーズの漫画はお気に召したようで、2人で何冊か選んで席に戻る。なんとなくそうしなければいけない気がして、オレは高木さんの分の本も持ってあげた。何故だろう。

「ありがとね、西片」
「いいよ……このくらい」

ありがとうと、言われたかったのだろうか。
違う気がする。ただオレは高木さんに良いところを見せたくて格好つけただけだと思う。

3: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:42:13.26 ID:sp1eyNH5O
「ジュース、飲みに行こうか?」
「いいよ」

しばらく2人で読み耽って、喉が渇いたので外の自動販売機でジュースを買うことに。
図書館から1歩出るとそこは別世界で、真上まできた太陽が地面を焼き焦がしていた。

「暑いねぇ」
「そうだね」

プルタブを開けて冷たいジュースを2人で並んで飲みながら、なんとなく空に浮かぶ夏らしい入道雲を眺めて、暑さを共有した。

「西片」
「ん? なに?」
「西片のおかげで毎日楽しい」

不意打ちに思わずドキッとする。
息が詰まって、返事が出来ない。
そんなオレを、からかうように。

「毎日西片をからかうの、楽しい」

そう言って楽しそうに笑う高木さんの笑顔が見れただけで、からかわれた憤りが蒸発していくのを感じてしまう。ずるいと、思った。

4: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:44:17.50 ID:sp1eyNH5O
「西片は楽しい?」

訊かれて、オレは珍しく素直に返事をした。

「楽しいよ」

すると高木さんはちょっとだけ困ったように眉を下げて、こんな質問をしてきた。

「もしもわたしが転校したらどうする?」
「えっ……?」

頭が真っ白になる。高木さんが転校。
どうすると聞かれても困ってしまう。
どうしよう。オレはどうすればいい。

「高木さん……転校するの?」
「もしもの話だよ」

どうしてそんなことを訊くのかわからない。

「もしもの話でも……ちょっと困るよ」
「どうして?」
「逆にオレが転校したら、どうする?」

気持ちをわかって欲しくて問いかけると、高木さんは納得したように頷いて、頭をぺこりと下げた。そして申し訳なさそうに謝った。

「嫌な気持ちにさせて、ごめんなさい」

謝って欲しかった訳じゃない。わかってくれたらそれでいい。それだけを伝えたかった。
胸が締めつけられるような、この苦しみを。

5: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:45:56.32 ID:sp1eyNH5O
「どうしてそんなことを訊いたの?」

別に怒っているわけじゃないけど、高木さんの動機が知りたかった。すると、自分の考えを整理するようにしばらく考えて、答えた。

「西片は昨日と同じ今日で幸せ?」

脈絡なく問われたオレは、ちょっと考えて。

「幸せというよりも安心する……かな」

昨日と同じ今日なら、少なくとも不幸ではない。昨日も一昨日も、高木さんと過ごした。
だからオレはそんな今日に不満はなかった。

「じゃあ、明日は?」
「明日?」
「明日も今日と同じで西片はいいの?」

どうだろう。高木さんが視ているのは未来でオレが見ているのは現在。そこが違うのか。
想像してみる。明日も高木さんと待ち合わせて、少しだけ早く来て、待っている自分を。

高木さんが来て、今日と同じように見惚れてから一瞬にどこかに出かける自分たちの姿。
そこに不満はなくてそれにオレは安心する。

だけど、そんな自分でいいかと言われると。

「オレはともかく、高木さんに悪いかな」

高木さんに退屈を感じさせるのは嫌だった。

6: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:49:12.35 ID:sp1eyNH5O
すみません。
誤記を訂正します。
一緒に、ではなく、一緒に、でした。

以下、本編です。

7: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:52:52.42 ID:sp1eyNH5O
「わたしは西片に不満なんてないよ」

高木さんは優しい目をして、励ますようにそう言ってくれた。それだけで、ほっと安堵してしまう自分がなんだか情けないと思った。

「でもね、西片」

わかってる。情けないままなのは嫌だった。

「うん。オレも、今日よりも楽しい明日が来たらいいなって……」
「今日よりも楽しい明日にしよ?」

ああ、やらかした。言葉は難しいなあ。
やっぱりオレは高木さんには敵わない。
勝ち誇った顔で、高木さんが勝利宣言。

「わたしの勝ち」

オレは負けた。いつも負けっぱなしだ。
だけど、高木さんの笑顔が見れたなら。
いや負け惜しみはやめよう。次は勝つ。

8: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:55:46.82 ID:sp1eyNH5O
「それを伝えたくて、そのために転校するみたいなことを言ったのはごめんね」
「そういうことなら、謝らなくてもいいよ」

遠回しだったかも知れないけれど高木さんが突然居なくなって会えなくなる恐怖が前提にあったからこそ、オレは真剣に向き合えた。

「ずっとこのまま居れたらいいのにね」

安定や安心を求めていたオレの気持ちを汲むように高木さんがそうひとりごちる。

「ずっとこのままってわけにはいかないよ」

図書館だって閉館時間になれば閉まってしまうのと同じように、夏休みもそして中学時代もいずれ終わる。変化は避けられないのだ。

近い将来、大人になってから、オレたちは今日の眩しい太陽をどのように思うのだろう。
良い思い出なのか、ただの思い出じゃなく。
もっと特別な何かになればいいと。だから。

「今日、高木さんにからかわれて良かった」

このかけがえのない1日1日を大切にしよう。

9: 名無しさん 2021/07/23(金) 21:58:29.01 ID:sp1eyNH5O
「それで、罰ゲームのことだけど」
「え?」

はて、罰ゲームとは。全く身に覚えがない。

「わたしに大事なことを言わせた罰だよ?」

ああ、日和った罪は残っていたのか。
高木さんは抜け目なくて、厳しいな。
しかし、罪は罪なので罰は受けよう。

「どんな罰ゲーム?」
「明日はずっと手をつなぐこと」

思わず拍子抜けする。それが罰ゲームとは。

「西片は照れ屋さんだから」

言われて事態に気づく。手汗がやばかった。

「あ、明日も暑いだろうし、ずっと手をつないだままっていうのはちょっと……」
「転校するよ?」
「わかったよ! わかったから……やめて」
「うん。だから手、離さないでね?」

脅されて情けない悲鳴をあげて懇願するオレの手汗まみれの手を、高木さんはしっとりした手のひらで優しく包み込んで、微笑んだ。

「あ、明日からでしょ?」
「練習しておかなくて平気?」
「平気……じゃないかも」

何事も慣れだ。すんなり挨拶出来るようになったように場数を踏めば手だって普通につなげるようになる。そう前向きに善処しよう。

10: 名無しさん 2021/07/23(金) 22:02:21.13 ID:sp1eyNH5O
「熱いね」
「うん……熱いね」

小さな呟きが蝉の声に負けることなく耳に届いたのは、きっと手をつないでいるからだ。
触れ合っているだけで、齟齬が格段に減る。

「ずっと、こうしてたい」

そう言いながら、強めに手を握ってくる。
ちょっと躊躇いながらオレもそっと握る。
高木さんの細い指が折れてしまわぬよう。

「そろそろ図書館の中に戻ろっか?」
「うん……そうだね」

名残惜しいけれど、涼しい館内のほうが手をつなぐには相応しいだろう。と、その前に。

「ごめん。ちょっとオレ、トイレに……」
「うん、わかった。いいよ。行こっか」
「えっ……?」

汗にならなかった分のジュースを尿として排出しようとするオレの手を、高木さんは離さない。何故かトイレについて来ようとする。

「た、高木さん、さすがにトイレは……」
「ずっとつないでるって約束」
「で、でも、それは明日の約束で……」
「予行練習が必要なんでしょ?」

逃げられない。避けられない明日が、来る。

「ち、ちなみに大は……?」
「うーん……えへへ。そうだなぁ」

高木さんは珍しく照れながら、耳打ちした。

「一緒にしよっか?」
「フハッ!」

困惑が愉悦となりて脳内を瞬時に駆け巡る。

「明日、愉しみだね」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

高らかに、モリモリとまるでウンコのように空に聳える入道雲の頂上まで届けと言わんばかりに哄笑して図書館の司書に怒られたことをオレは、大人になっても忘れないだろう。

歌うように表情豊かな哄笑のカンタービレ。

遠い未来に、自分が偉人シリーズの漫画になるとは思えないけれど、もしかしたら明日、糞好きのモーツァルトもびっくりな展開が待っているかも知れないと思うと、愉しみだ。

忘れられない夏に、なりそうな予感がした。


【耳打ち上手な高木さん】


FIN